『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

千里ニュータウン新千里北町:日本で初めて新住宅市街地開発法(新住法)に基づき開発された町

大阪府の吹田市と豊中市にまたがる千里ニュータウンは日本で最初の大規模ニュータウンで、次の12住区が開発されました。

千里ニュータウンでは、開発の前半と後半では開発の法的な拠り所が異なります。その境となるのが、豊中市域の新千里北町。

新千里北町より前に開発された住区では一団地の住宅経営に基づいた開発が行われていましたが、新千里北町以降の住区は新住宅市街地開発法(新住法)に基づいた開発へと切り替えられました*1)。団地を作るための法律から、街を作るための法律への切り替えです。新住宅市街地開発法の制定は1963年。新千里北町は、新住宅市街地開発法に基づいて開発された日本で最初の町です。

新住宅市街地開発法は、次のような目的で制定された法律です。

「第一条 この法律は、人口の集中の著しい市街地の周辺の地域における住宅市街地の開発に関し、新住宅市街地開発事業の施行その他必要な事項について規定することにより、健全な住宅市街地の開発及び住宅に困窮する国民のための居住環境の良好な住宅地の大規模な供給を図り、もつて国民生活の安定に寄与することを目的とする。」
※衆議院のウェブサイト「法律第百三十四号(昭三八・七・一一) ◎新住宅市街地開発法」のページより。

大阪府職員として千里ニュータウン開発に携わった方は、この経緯を次のように振り返っています。

「開発の法的拠り所ですが、最初は「一団地の住宅経営」という枠の中で事業を行っていました。しかし途中で、「新住宅市街地開発法」〔新住法〕に切り替えました。というのは、「一団地の住宅経営」は300~500戸くらいの団地を作るのが建前で、1,000~2,000戸というのは無理だったんですね。そこで西側の住区は新住事業という法律でやっていきました。法律を変えるということは、用地買収を拒否する方に対しても、ぜひ協力していただくという法的な裏付けをもっていました。」
※ディスカバー千里「開発者に聞く:千里ニュータウンの回顧」のページより。

大阪府が刊行した『千里ニュータウンの建設』にも、この経緯が次のように説明されています。

「住宅地開発や町づくりの法的手法としては、都市計画法による一団地の住宅経営事業と土地区画整理事業があったが、一団地の住宅経営事業はその名のとおり住宅の集団的建設と経営をその事業本来の目的としており、事業区域の規模もおのずから住宅団地の範囲に限定される。都市計画標準によれば、既成市街地外において10ヘクタール、既成市街地周辺において2ないし4ヘクタール程度とされている。したがって千里ニュータウンのような大規模の住宅地開発のための事業とは、おのずから性格を異にしている。しかし千里ニュータウン開発では、他の法律がないためやむを得ず当初の吹田市側はこの法律を適用している。
また土地区画理事業についていえば、その目的が土地の換地処分と減歩で道路、公園等の公共用地を生み出すと同時に宅地を整備するということであり、事業施行区域内の各宅地の所有権が従前の地主にあり、整備後の宅地の利用および売買についても何ら規制を受けないため、せっかく造成された宅地が放置されたままになったり、統一のない利用のされ方になる場合が多い。また大都市周辺部のような地域では急激な地価の値上りが期待できるので、事業施行による地価の上昇に見合う正当な減歩負担をきらうため、事業施行者の事業費負担が不当に増大する結果となる。このため土地区画整理事業の手法を採用することは適当でない。
・・・・・・
しかし、宅地の入手難は年をおって著しくなり、とくに大都市周辺における公的機関による宅地開発事業はいよいよ困難の度を加えてきた。住宅対策審議会、宅地審議会でこれらの対策について慎重に検討を重ね、その答申にもとづいて『新住宅市街地開発法案』が提出された。その要旨は『第一に、人口集中の激しい市街地の周辺の一定区域について、新住宅市街地開発事業を施行すべきことを都市計画として決定し、これを都市計画事業として実施できるものとし、原則として地方公共団体および日本住宅公団がこれを施行する。第二に用地取得の円滑な遂行を図るため、土地建物の先買制度、区域内の土地またはその上にある権利の収用、農地転用の特例を講ずる。第三に事業によって造成された宅地は、原則として公募により公正な方法で処分するものとし、自己の居住していた宅地を事業用地として提供した人等に対してはとくに優先譲渡の措置を講ずる。第四に、この事業によって造成される宅地の処分後の適正な利用を図るとともに、転売等により不当な利益の収受を抑制するため譲り受け人に2年以内に建築物を建築すべき義務を課するとともに、10年間は他に転売する等の行為については都道府県知事の承認を受けなければならないこととし、これに違反した場合には買い戻すことができるという規制をつける。』という内容である。この法律は昭和38月7月11日公布、即日施行された。ちょうど事業実施中であった千里ニュータウンの豊中市側と吹田市の西側はこの法律を適用することになった。」
※『千里ニュータウンの建設』(大阪府, 1970年)

新千里北町の新住法の看板

新千里北町には、日本で初めての新住宅市街地開発法に基づいて開発されたことを示す看板が2ヶ所設置されています。


1つは、つつじ公園のすぐ北東(医療センターのすぐ北)の住宅地に設置されています。

もう1つは、北町2丁目第3公園の南西角に設置されています。

  • ①新住宅市街地開発事業が施行された土地の区域に含まれる地域の名称:豊中市計画千里丘陵住宅地新住宅市街地開発事業I住区第4工区豊中新千里北町2丁目の一部
  • ②施行者の名称:大阪府企業局
  • ③工事完了公告の年月日:昭和42年5月12日
  • ④標識設置者の名称:大阪府

備考:当該工事完了公告にかかる区域を表示した図書は大阪府および豊中市に備え置き縦覧に供する。

看板は、設置から年月が経過し文字も読みづらくなっていますが、新千里北町が日本で初めて、新住宅市街地開発法によって開発されたことを示す貴重な資料です。

新千里北町における歩行者専用道路の試み

千里ニュータウンの12住区は、どの町も同じように見えるかもしれません。しかし、開発の法的な拠り所が一団地の住宅経営から新住宅市街地開発法に切り替わったことで、町の姿が異なっています。それが典型的に表れているのが歩車分離*2)(歩行者と自動車の動線を分離すること)の方法で、おおよそ次のように整理することができます。

  • 新千里北町より前に開発された住区:団地、戸建住宅地それぞれの中での歩車分離がなされているものの、住区全体での歩車分離はなされていない。
  • 新千里北町以降に開発された住区:歩行者専用道路により住区全体で歩車分離がなされている。

新千里北町より前に開発された住区は、団地を作るための法律に基づいて開発されました。これらの住区では府営住宅の囲み型配置、公団団地(UR団地)の遊歩道、戸建住宅地のクルドサック(袋小路)というように、それぞれの敷地内では歩車分離が考えられています。しかし、それぞれが独立して計画されているため、住区全体で歩車分離が実現されておらず、近隣センター、学校、公園などの主要施設を行き来するためには横断歩道を渡る必要があります。横断歩道が必要なのは、人が歩く道と車が通る道が分離されず、平面交差しているからです。

(府営千里佐竹台住宅の囲み型配置)

(UR千里青山台団地内の遊歩道)

(藤白台の戸建住宅地内のクルドサック)

(津雲台近隣センターとUR千里津雲台団地の間の車道)

新千里北町以降の住区は、新住宅市街地開発法により一体として開発されました。近隣センター、学校、公園などの主要施設が歩行者専用道路で結ばれており、住区全体で歩車分離が実現しています*3)。歩行者専道路と車道とが立体交差することで、横断歩道を渡ることなく住区内を移動することが可能となりました。
新千里北町以降で導入された歩行者専道路は、海外の事例を参考にしたものですが、開発に携わった方の話では、当時の日本には歩行者専用道路というものは存在せず(フットパスのような短い歩行者専用道路しかなかったとのこと)、歩行者専用であるという認識を共有するところから始めなければならなかったということです*4)。

(新千里北町の歩行者専用道路(いぶき橋))

(新千里北町のすずかけ橋)

(新千里北町のすずかけ橋)

(新千里東町の歩行者専用道路(こぼれび通り))

新住宅市街地開発法が導入されたことで、同じ千里ニュータウンの住区でも新千里北町を境にして町の姿が変化することになりました。
新千里北町に設置された2つの看板は、新千里北町の歴史を伝える貴重な資料であり、さらに、日本の住宅地開発の歴史という意味でも貴重な資料。写真の通り、看板は設置から年月が経過し文字も読みづらくなっていますが、貴重な資料として大切に継承されてほしいと考えています。


2ヶ所のうち、新千里北町に設置されていた新住法の2つの看板のうち、北町2丁目第3公園内に設置されていた看板は、2020年度の公園再整備の際、支柱がさび付いて倒れる危険性があるいうことで撤去されてしまいました。錆びて文字も読みづらくなっていたものの、日本の住宅地開発の歴史にとっても貴重な資料が撤去されたのは残念です(※2023年11月5日追記)。

(北町2丁目第3公園(2023年11月3日撮影))


  • 1)山本茂『ニュータウン再生』(学芸出版社, 2009年)では「一団地の住宅経営」について次のように説明されている。「良好な居住環境を有する住宅群を一団の土地に建設する目的でつくられた事業制度。千里ニュータウン開発当初は「一団地の住宅経営」であったが、事業の途中から同様の趣旨に基づく「一団地の住宅施設」へと変更された。その後、ニュータウン建設後の住宅・施設の更新等の変化に対応するため、2007年に解除された。」
  • 2)安全確保のため、人が歩く道と車が通る道を分離するという考え方。
  • 3)新千里北町以降に開発された住区においても、府営住宅の囲み型配置、公団団地(UR団地)の遊歩道というように団地内での歩車分離も行われている。なお、新千里北町以降に開発された住区では、戸建住宅地にクルドサック(袋小路)が見られなくなる。代わりに見られるのがループ状であり、特に新千里北町ではループ状の道路に車止めが設置されているという特徴がある。詳細はこちらの記事を参照。
  • 4)新千里北町の次に開発された新千里東町の南側の歩行者専用道路(こぼれび通り)では、歩行者通路の両側にもうけられた植栽帯に多様な種類の街路樹や花木が植えられています。こぼれび通りは、後の全国のニュータウンや大規模住宅地に採用される「緑道」のモデルとなりました。詳細はこちらの記事を参照。この意味で、新千里北町の歩行者専用道路は、日本の住宅地開発の歴史において重要な位置づけだと言えます。

(更新:2023年11月7日)