『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

閉館間際の千里阪急ホテルを訪れる人々

千里中央の千里阪急ホテルは、1970年の大阪万博にあわせて開業しました。設計者は、倉敷アイビースクエアや倉敷市庁舎を設計した日本を代表する建築家・浦辺鎮太郎氏。館内の装飾は「千里の自然」をモチーフにデザインされています。豊かな自然環境を守り、景色に溶け込むようなホテルとするために、広大な敷地に7つのガーデンが設けられ、その土地に生息していた種の木々が植樹されました。
2024年8月に策定された「千里中央地区活性化基本計画〈改定版〉」で、千里阪急ホテルの跡地には隣接する東町公園と連携した交流機能、都心居住機能の導入を検討するという再開発計画が発表され、千里阪急ホテルは2026年3月31日で、56年の歴史に幕を閉じることとなりました。

2025年12月26日からは、1階フロント前スペースに、56年間の歴史を紹介するメモリアルブースが設けられました。メモリアルブースでは、千里阪急ホテルの母体となった大阪エアポートホテル、開業当初の千里阪急ホテル、千里阪急ホテルの変化、結婚式、大阪万博の思い出など、56年間の歴史を伝える数々の貴重な写真の展示、千里阪急ホテルと千里ニュータウンの年表が掲示。「みんなのメッセージでご縁を繋げよう!」という、訪れた人が思い出を付箋に書いて、パネルに貼り付けていくことのできるコーナーももうけられています。
ディスカバー千里(千里ニュータウン研究・情報センター)は、年表作成のための資料、写真、情報の提供として、メモリアルブースの展示に協力してきました。


2026年3月30日、千里阪急ホテルを訪れました。宿泊できるのはこの日が最後です。

千里阪急ホテルでは多くの方を見かけました。宿泊される方だけでなく、閉館する前にと訪れた方もいたように思います。
記念撮影したり、建物を撮影したり、メモリアルブースの展示を熱心に眺めたり。結婚式の時に記念撮影したのと同じ階段で、もう一度、記念撮影しようとされている夫婦。夫婦と子ども、祖母の3世代で訪れている方。自分たちはここで結婚式を挙げたと、小学生ぐらいの子どもに話している夫婦。「みんなのメッセージでご縁を繋げよう!」と書かれたパネルは、訪れた人が思い出を書いた付箋でいっぱいになっていました。このような光景を見て、千里阪急ホテルは多くの人々に大切にされていた場所なのだと改めて思わされました。

ディスカバー千里では、千里阪急ホテルの思い出を、千里ニュータウンの貴重な歴史として、継承したいという考えから、千里阪急ホテルの思い出を募集する活動も続けてきました。千里阪急ホテルは閉館となりましたが、思い出は引き続き募集しています。ぜひ、こちらのページから思い出をお寄せください。お寄せいただいた思い出は、イベント会場やウェブサイトなどで共有させていただきます。