近年、地域の人々にとっての居場所になることを目的とする場所(以下、居場所と表記)が開かれています。居場所の中には、空き家や空き店舗を活用して開かれている場所、建物を新築して開かれている場所もありますが、公民館や集会所の部屋を借りて開かれている場所も多い。
居場所を、空き家や空き店舗を活用して開くことは容易なことではありません。そもそも、居場所を開こうとしている地域に、活動できる空き家や空き店舗があるとも限らない。建物を新築するのは、さらに容易でありません。そうした中で、公民館や集会所の部屋を借りることは、居場所を開く際の1つの選択肢になると思います。それでは、公民館や集会所の部屋を借りて居場所を開くうえで、どのようなことを考慮する必要があるのか。
新潟市で「地域の茶の間in石山」という場所が開かれています。以下は、この場所を訪れて教わったこと、考えたことのメモです。
空き家に開かれた場所
新潟市東区で、「実家の茶の間・紫竹」という場所が運営されていました。新潟市最初の「地域包括ケア推進モデルハウス」として、任意団体「実家の茶の間」と新潟市の協働事業により、空き家を活用して開かれた場所。2014年10月のオープンから、2024年10月までの10年間運営されてきました*1)。
(「実家の茶の間・紫竹」)
「実家の茶の間・紫竹」の目的は、地域における助け合いの拠点にするために、「『助けて!!』と言える自分をつくる、『助けて!!』と言い合える地域をつくる」こと。筆者は、「実家の茶の間・紫竹」から多くを教わりましたが、特に、人が「いる」ことのできる場所とは、一人ひとりの尊厳を大切にすることに関わるのだということを教わりました。ここでは、「実家の茶の間・紫竹」から教わったことの中の2点を中心にご紹介したいと思います。
1つは、様々な人々が思い思いに過ごしているのを見てもらうことに意味があること。
「実家の茶の間・紫竹」では、「さぁ、みなさん」と全員に声をかけたプログラムは行われていませんでした。訪れた人は、お茶を飲みながら話をしている人が多いですが、オセロ、将棋、ミシンなどが様々なものが揃えられており、何をするのか、何をしないのかは自己決定とされており、1人で過ごしたい人が、1人で過ごすことも大切にされてきました。このことを、「大勢の中で、何もしなくても、一人でいても孤独感を味わうことがない“場”(究極の居心地の場)」(河田珪子, 2016)と表現されています。
「ここね、ない物はないんですよ。麻雀も囲碁も将棋もミシンもアイロンもね、織機から2台もあるでしょ。ない物はないんですよ、一つもないんです。オセロから何から全部あるから。やりたいか、やりたくないかは、決めるのは自分なんですね。」
「奥様が亡くなられて一人になった方が、みんなが話してるときにテーブルにうつぶせになってるんですよ。その姿を見て、普通なら一人で孤独な姿と思うでしょ。『具合悪いですか?』って、そっと傍に座って聞いたんですね。そうしたら『いやぁ、このにぎやかなのを自分は楽しんでるんだ』って。子どもの頃、自分の家がこんなだったって。いっぱい親戚とか集まって、にぎやかで。『だから、みんなの話し声とかを味わってるんだ』っておっしゃったの。」
「実家の茶の間・紫竹」がこのような場所であることを、特に初めて訪れた人にどのようにして伝えるのか。このことについて、次のような話を伺いました。
「初めて来た人は、できるだけ外回りに座ってもらおう。そうすると、あんなことも、こんなこともしてる姿が見えてきますね。すると、色んな人がいていいんだっていうメッセージが、もうそこへ飛んでいってるわけですね。そっから始まっていくんです。」
(「実家の茶の間・紫竹」)
様々な人々が思い思いに過ごしているのを見てもらうことによって、この場所が何を大切にしているのかを伝えるということ。逆に言えば、周りからどのように見えているかが大事だということになります。
もう1つは、それぞれの人が自分なりのかたちの役割を担うことが大切にされていることです。
「サービスの利用者は一人もいない。いるのは『実家の茶の間』っていう場の利用者だけ。場は自分たちが、自分たちでつくる。」
そのための配慮として、当番の人数があります。1日の当番は「居場所担当」の2人と「食事担当」の2人、あわせて4人が担当。「居場所担当」の当番は茶の間で来訪者と話をしたり、茶の間に目を配ったりすることが、「食事担当」の当番は厨房での昼食の準備・片付けを行うことが主な役割であり、午前と午後で「居場所担当」と「食事担当」の当番は交代されていました。訪れる人の多寡に関わらず、当番が4人とされていたのは、当番だけが役割を担うのではなく「みんなが、出来ることで動く、手を貸し合う」(河田珪子, 2016)ようにするためです。
実際に、「実家の茶の間・紫竹」ではテーブルの準備や片付け、庭の手入れ、買い物、調理の下準備、食器や衣類などのバザーへの寄付など、様々なかたちでの協力がなされていました。
「『駐車場がなくて困ってるから、市の方でいくらかお金出してくださいよ』って言うの簡単だけど、それを言ったらチャンスをなくすのね。その参加しようって、たとえば2,000円の賛助会員費というかたちで、ここ参加してもちあげていく、自分もそこに関わろうと思っている人たちのチャンスなくしていくでしょ。バザーも同じですよね。だから人の力、物、もらうこと、そのものは実はここの協力者増やしてるんです。・・・・・・。いかにみんなから労力であったり、お金であったりね、物であったり、もらうことによってここを一緒にやっていく人たちを増やせるか。」
空き家を活用して居場所を運営するのは大変なこともある。しかし、それは「協力者」を増やすためのきっかけにもなるということです。
空き家から公民館へ
任意団体「実家の茶の間」と新潟市の協働事業として運営されてきた「実家の茶の間・紫竹」は2024年10月に運営を終了しましたが、2024年12月から任意団体「実家の茶の間」のメンバー、当番をされていた方、訪れていた方によって、「地域の茶の間in石山」の運営が始められました。
「地域の茶の間in石山」は、東区の出張所、地域保健福祉センター、図書館、公民館が入居する石山地区公民館の部屋を借りて、月に1回開かれています。
(石山地区公民館)
「地域の茶の間in石山」が始まって5回目となる2025年4月20日、初めて「地域の茶の間in石山」を訪問させていただきました。この日は、3階の講座室を借りて開かれていました。
(石山地区公民館の講座室)
この時、運営されている方から、居場所を開くうえで、公民館には、空き家とは違う難しさがあるという話を伺いました。先にあげた2点に関して、空き家と公民館の違いについて、次のようなことを感じました。
まず、様々な人々が思い思いに過ごしているのを見てもらうことについて。
空き家と違って、公民館の部屋は「四角い箱」に見えます。テーブルは、長テーブルしかなく、オセロ、将棋、ミシンなど様々な備品を用意するのも難しい。そうすると、どうしても過ごし方が均一に見えてしまいます。
「実家の茶の間・紫竹」では、初めて訪れた人には「外回り」の席に座ってもらうことが配慮されていましたが、「外回り」の席には背の高いテーブルが使われていました。背の高いテーブルに座ると目線が高くなるため、自然に全体の様子が伺える。一方、公民館には長テーブルしかないことで、たとえテーブルが部屋の隅に置かれていても、座ってしまえば全体の様子を伺うことも難しくなります。
次に、それぞれの人が自分なりのかたちの役割を担うことについて。
「実家の茶の間・紫竹」では、それぞれが自分なりのかたちで運営に関わっていましたが、「地域の茶の間in石山」では雪かきも、トイレ掃除もする必要はなく、運営に関われることがなく、それゆえ、「ありがとう」と言われることがなくなったという話を伺いました。
掃除、庭の草取り、冬場の雪かきなど、空き家を活用して居場所を運営するのは大変ですが、それは、「協力者」を増やすためのきっかけにすることができた。けれども、公民館ではそもそも担える役割が限られているということになります。
担える役割が限られているため、訪れた人はテーブルに座って、お茶を飲みながら話をするという過ごし方になってしまう。このことも、過ごし方が均一に見えてしまうことにつながっているように思います。
公民館に開かれた場所
2026年4月19日、「地域の茶の間in石山」を訪れました。1年ぶりの訪問で、久しぶりに多くの方にお会いすることができたという個人的な事情が影響している可能性があるため、あくまでも個人的な印象にすぎないかもしれませんが、昨年と雰囲気が変わった印象を受けました。このように感じた理由を、先にあげた2点から考えたいと思います。
様々な人々が思い思いに過ごしているのを見てもらうことについては、長テーブルが使われていることに変わりません。昨年と同じように、長テーブルを2つ、あるいは、3つ組み合わせて島が作られています。
ただし、昨年訪れた時は講座室だったのが、この日は4階の大きなホールで開かれていました。この日は、見学や視察に来た人も含めて70人ほどが参加されたとのこと。午前だけで帰る人、午後から来る人など人の入れ替わりはあったものの、これだけの人数でもゆったりしていました。
部屋が広くなったことで、テーブルとテーブルの間、あるいは、部屋の周りにスペースが生まれています。これによって、自分が立ち上がれば他者との距離を調整ができ、他のテーブルから少しひいた視点をとれるため全体の様子を伺いやすくなったように感じました。また、他者との距離を調整できることで、立ち上がっても他者からの視線を感じなくなったとも感じました。多くの人はテーブルに座って話をしていますが、部屋の周りで立ち話をしている人もいる。これらのことが、様々な人々が思い思いに過ごしているように見える感覚を強めてくれたのかもしれません。
(石山地区公民館のホール)
それぞれの人が自分なりのかたちの役割を担うことについては、見学に来られていた方から次のような話を伺いました。一般的に、地域の場所には男性はなかなか参加しないと言われているが、ここでは男性も参加し、役割を担っているという印象を受けたということです。
講座室からホールへと、空間が広くなったため、テーブル、椅子、備品などの準備、後片付けとしてする必要があることが増えたということはあるかもしれません。実際、この日は最後まで残っていた人全員で、後片付けが行われました。空間が広くなったという変化は大きいものの、公民館であるため、掃除、庭の草取り、冬場の雪かきなどをする必要がない状況に変わりありません。
このことについて、運営されている方から、みな、「地域の茶の間in石山」が始まった頃は勝手なことをしてはいけないと思い込んでいたが、1年以上が経過して、「地域の茶の間in石山」でも、「実家の茶の間・紫竹」と同じように、自分が役に立ってもいい、動いていいという思いが共有されてきたからではないか、という話を伺いました。
この日は、折り紙で箸置きを作って欲しいという依頼をしたという話も伺いました。単に折り紙をするだけでなく、折り紙をすることも運営に協力するという1つの役割になるということです。
公民館では担える役割は限られていると書きましたが、これは正確でなかったかもしれません。それぞれの人が自分なりのかたちの役割を担うことが大切であると共有されていれば、公民館でも担える役割を見つけることができる。さらには、ある振る舞いを、運営に寄与する役割として位置づけることもできる。そのためにも、何を大切にして居場所を開いているのかに意識的であることが求められる。
先に、見学に来られていた方から、「地域の茶の間in石山」では男性も参加し、役割を担っているという印象を受けたという話を紹介しました。この方にとって、「地域の茶の間in石山」は男性が役割を担っている場所に「見えた」ということも重要です。
「初めて来た人は、できるだけ外回りに座ってもらおう。そうすると、あんなことも、こんなこともしてる姿が見えてきますね。すると、色んな人がいていいんだっていうメッセージが、もうそこへ飛んでいってるわけですね。そっから始まっていくんです。」
「地域の茶の間in石山」で役割を担っている一人ひとりが、この場所は自分なりの役割を担っていい場所であるというメッセージを伝えている。このように考えると、役割を担うことは連鎖していくということになります。
この連鎖を起動する最初の一歩を踏み出すためには、自分なりのかたちの役割を担うことが、一人ひとりの尊厳を大切にすることなのだという理念が共有されている必要がある。
一般的に、公民館や集会所の部屋を借りて居場所を開くことは、空き家や空き店舗を活用したり、建物を新築したりすることに比べるとハードルが低いと見られているかもしれません。これは、公民館や集会所がもつ大きな役割と言えますが、それゆえ、理念が曖昧でも開けてしまうという状態になっているのではないか。
ここに公民館や集会所の部屋を借りて居場所を開くことの難しさがある。そうだとすれば、公民館や集会所の部屋を借りて居場所を開いている「からこそ」、何のために居場所を開いているのかという理念に意識的であることが求められる。「地域の茶の間in石山」を訪れて、このようなことに気づかされました。
■注
- 1)「実家の茶の間・紫竹」については、河田珪子(2016)、田中康裕(2021, 2025)を参照。
■参考文献
- 河田珪子(2016)『河田方式「地域の茶の間」ガイドブック』博進堂
- 田中康裕(2021)『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』水曜社
- 田中康裕(2025)「地域における助け合いの拠点「実家の茶の間・紫竹」が実現してきたこと」・『さぁ、やろう』さわやか福祉財団 第26号 pp.30-37




















