『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

初対面の人との会話

夏目漱石の小説『三四郎』は、東京へ向かう汽車のシーンから始まります。汽車の中で、たまたま隣り合わせた初対面の人との会話。そんな会話は素敵だと思うのですが、地域でも、乗り物の中でも、なかなかそういう経験をすることはありません。
新幹線に乗れば大阪から東京までたったの2時間半。これくらい短時間だと、会話をするきっかけも、必要もないのかもしれませんが、今でも、長時間乗る必要がある飛行機なら隣の人と話をすることがあります。昨年、アメリカを訪れましたが、その帰りの飛行機で隣に乗り合わせた人とこんなことがありました。

機内食の時にワインを頼みました。隣の席の方もワインを注文されたのですが、そのワインの瓶の蓋がかたくて2人とも開けることができず「これ固いですね…」と思わずお互いに顔を見合わせて苦笑。それがきっかけになり話をし始めました。聞いたところによると相手の方は、アメリカでコンピュータ関係の仕事をしているインドの方。冬休みをとって、インドに残してきた家族に会いに戻られるとのことでした。ひらがな・カタカナは読めるようで、インドに戻る前に1週間ほど日本を観光されるとのこと。「飛行機の中で、英語と日本語のレッスンができますね」などと言いつつ、日本語と英語をまじえつつ話をしていました。
今回だけでなく、機内では色々な方と出会います。海外旅行にまで行かされることなって少し困っておられた添乗員さんや、海外に住んでいる息子夫婦に会いに行かれた女性など。こういう方々と会うことはもう二度とないかもしれませんが、機内での会話もある意味で旅の思い出です。

喫茶店、お店、公園など、初対面の人との何気ない会話が、自然に生まれるような街は、きっと住み心地がいいんだろうなと思います。「ひがしまち街角広場」のような地域のカフェは、そんな会話を生み出すという意味でも、地域にとって貴重な場所です。