『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

千里ニュータウンの府営住宅の暮らし〜縦の長屋・地域をより良くするための活動〜

千里グッズの会(千里ニュータウン研究・情報センター)では千里の魅力と歴史を発見するための活動「ディスカバー千里」を行っています。

これまでに「ディスカバー千里」では、住民の方から千里ニュータウンでの暮らしについての話を伺ってきました。近隣との関係が希薄な町、完成されたピカピカの町、歴史のない町、閑静な住宅街、昼間の暮らしがないベッドタウン、(近年では)子どもが少ないオールドタウンのようなイメージで語られがちなニュータウンですが、住民の方の話からはこれらとは全く異なるニュータウンの暮らしがある(あった)ことに気づかされます。

今から半世紀前にまち開きが行われました。同世代の人々が一斉に入居したため、まちびらき当初の千里では女性たちが井戸端会議をしていたようです。

○〔団地の住棟にある〕階段の前での井戸端会議はすごかった。階段の前でね。主人なんか、早く帰ってくるか、遅く帰って来るかしないと、井戸端会議で通れないって言ってました。

この話に出てくるように、特に同じ階段室の人(同じ階段を利用して住戸に出入りする人)とのおつきあいが密だったようで、ある住民の方はこうしたおつきあいを「縦の長屋」のようだと表現されていました。

○そりゃ知らん顔することはまずないですよ、階段では。しばらく顔を見かけなかったら、「元気してた?」とか声をかけて。知らん顔をすることはないです。

現在、新千里東町の近隣センターで運営が継続されている「ひがしまち街角広場」には府営新千里東住宅の方が多数関わっていますが、「ひがしまち街角広場」はまち開き当初からの関係を共有する人々がいるからこそ成立しているということが言えそうです。「ひがしまち街角広場」で感じる下町のような感じは、「縦の長屋」を受け継いでいることの現れかもしれません。

「縦の長屋」のような近隣との関係に加えて、地域を考える上で特に重要だと感じたのは、若い女性たちは入居当初から町をより良く運営するための組織を立ち上げたり、活動を行ってきたという話です。

○子どもがみんな小学生ぐらいになり出した時に、自治会から子ども会を作ろうという話しがあって。子どもを連れてキャンプに行ったりもしましたね

○1回、もくせい公園で盆踊りやりました。B棟〔府営住宅〕だけで。・・・・・・。その時はね。昭和41年に私らが来て、3年くらいしてからやったかな、自治会でね。

○自治会に文化部があって、文化部の中に民謡クラブを作ったんです。民謡クラブの人が20人ぐらいいて、その20人で盆踊りをしたり色々して。運動会の時は、みんな盆踊りの格好で踊るんですよ。

地域の活動に参加していたのは女性だけではありません。

○僕、カークラブの委員長をやった。車が500台ほどあった時に。僕より前に委員長をしていた人が、駐車場を増設した、3,000万ほどかけて。車一台につき3万円集めて。一番最初、駐車場は月200円だった。ここはモデル住宅だったんです。当時、電柱なんてなくて、全部地下を通ってた。そのうち、やむを得ず建てられたけどね。モデル住宅になってたから土地は充分に間は空いてたわけですよ。それで、カークラブで月200円で駐車場をやってた。

こうした話からは、千里は最初から完成した町ではなく、住民の方々による働きかけの積み重ねによって、徐々に住みやすい町になってきたことを伺うことができます。

現在、千里が抱えている課題として高齢化、集合住宅の建て替え、戸建て住宅の相続、近隣センターの再生などがあげられますか、住民が完成した町に住むだけの存在(商品としての住宅やサービスを購入するだけの存在)になっているということが、最も大きな課題ではないかと感じます。

未完成の町を徐々に住みやすい町へと作り上げてきた第一世代と、第一世代が作りあげてきた町の上で生活する第二世代では事情が違います。第一世代が作りあげてきたものを全て受け入れる必要はありませんが、第一世代が暮らしてきた半世紀の暮らしの結果を「オールドタウン」と見なして、まっさらな町を作ることで忘れ去ることにも問題があります。

そのためにも、第一世代の人々は半世紀に何を作りあげてきたのか? そのうち何を継承すべきか? 何を変えていくべきか? について共有することが大切だと感じます。

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