『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

韓国・阿峴洞の街並みとニュータウンの開発予定地

2012年9月、阿峴洞(アヒョンドン/Ahyeon-dong)を案内していただきました。阿峴洞はソウル特別市内に位置する地域で、まだ古い街並みが残っていますが、3〜5年後にはニュータウンとして再開発される予定になっているとのこと。
ソウルでは26~30地域がニュータウンとして再開発される地域に指定されている。例えば、阿峴洞内には3地区あるので、1地域に3地区が含まれると考えると、ソウル全体で約100地区(26〜30地域×3地区)ぐらいの計算になるという話でした。

阿峴洞を案内してくださった方の1人は、この地域の歴史を収集する活動に携わっている方で、新聞記事や学校の沿革を調べたり、昔の写真を収集したり、住民へのインタビューを行ったりされています。この地域は1950~60年代に「土塔」と呼ぶテントに不法占拠のようなかたちで住む人が増え始めた。1970年代後半、朴正煕大統領が再開発を行い、道路の拡幅や土地の払下げを行った。今建っているレンガの住宅はその時代に建てられたもの。そして、上に書いた通り、近い将来、ニュータウンとして再開発される予定になっているとのことです。

ニュータウンとして再開発されることの問題点として、住民が入れ替わってしまうという問題を指摘されていました。1つの建物に賃貸で3世帯が暮らしているところもあるが、再開発されると賃貸の人は住む場所がなくなってしまうとのこと。また、ニュータウンとして再開発されることに対して反対する地域住民もいるとのこと。

最初に見晴らしの良い場所ということで、案内してくださった方が「市民アパート」と呼ぶ中層の集合住宅の屋上に案内していただきました。既に退去が進んでいるのか、住んでいる人はほとんどいませんでした。
屋上から南側を眺めると、これからニュータウンとして再開発されようとしている阿峴洞の古い街並が見られます。北側は既に再開発されており、高層のアパート団地が建ち並んでいます。南北の風景は対照的。

この後、南へ歩いて阿峴洞を案内していただきました。「古い道」と表現されていたように1~2階建ての家が密集して並び、階段・坂も細くて急。路面もきちんと舗装されているわけではありません。バリアフリーや安全、衛生といった観点からは良い住環境だと評価されないと思います。
しかしその反面、表に出した椅子に座っている人、洗濯物を干している人がいたり、玄関が開け放されているため住戸内の様子が見えたり、気配を感じたりすることができます。そしてこれが、社会的な接触の機会を生み出している。こうした暮らしが、高層のアパート団地の中で行われるようになった時、日々の暮らしを通した社会的接触の機会はどうなるのだろうかとも感じました。

再開発前の地域で展開されてきた暮らしを、何らかのかたちで歴史として残すことはなこと。ただし、それは誰にとって大切なことなのかとも考えさせられました。住民の中には、新しい高層のアパート団地で住みたいと思っているかもしれません。
案内してくださった方の1人は、自分も子どもの頃、このような場所に住んでいたので懐かしい感じがする。ただし、ニュータウンとして再開発されることは悪いことでないと話されていました。しかし、学術的には地域の歴史はきちんと残しておく必要があると。
もし住民にとっては残したいと思わない地域の歴史だとしても、その歴史を将来の人々への贈与として残すことは大切な仕事。この仕事は、それが大切だと思った人が、自分にできるところからやっていくしかない。ありきたりの結論かもしれませんが、そのようなことを思いました。

社会的接触の機会についても、色々なことを考えさせられました。
バリアフリーや安全性、衛生といった価値はわかりやすく、誰も反対できない価値。それに対して、社会的接触の機会は定量化しにくく、また、社会的接触の機会が豊かであることがどのような効果をもたらすのかもわかりにくい。バリアフリーや安全性、衛生といったわかりやすい価値の優先により、社会的接触の機会が失われてしまうとすれば、やはりそれは大きな損失ということになると思います。


もちろん、これは決して他人事ではありません。

例えば、千里ニュータウンでは近年、集合住宅の建替えが進められています。これまで階段室であった住棟が、エレベータの付いた廊下型の高層住棟に建替えられています。エレベーターが付いて便利になったのだと思いますが、建替前に築かれていた階段室を単位とする近所づきあいはどうなったのだろうかと感じることもあります。
東日本大震災の被災地では仮設住宅からの災害住宅などへの高台移転が進みつつあります。建設された災害公営住宅は、千里ニュータウンで見るのと同じようなエレベータの付いた廊下型の高層住棟。仮設住宅では住戸内の様子を伺うことができるため、それが自然なかたちでの見守りつながっているという側面はあると思います。仮設住宅が良いとは決して言えませんが、廊下型の高層住棟への移転後、鉄の扉によって住戸内外が遮断されてしまった時、住戸の中が伺えるという自然かたちでの見守りはどうなっていくか。
ただし、繰り返しになりますがエレベーターが付くこと、仮設住宅がなくなること自体は良いことです。誰もが良いと感じることに対して階段室型の住棟にも良い面があったとか、仮設住宅で住戸内の雰囲気が伺えることにも良い面があったというのは語りにくい気がします。

変化前の状態がよいとノスタルジーに浸るスタンスでもなく、変化後の状態がよいのだと言い切るスタンスでもなく、その間にある曖昧な状態の語りにくさをあえて語り合っていくこと。これによって社会的接触の機会が豊かであることの価値を継承していくしかないのかもしれません。

(更新:2018年11月2日)