『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

まちの居場所が出来事の重なりと関係の広がりを生み出す

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「居場所ハウス」には様々な人々の出入りがあり、人々は様々なことをして過ごしています。
昨日(11月22日)は朝からボランティアの「おたすけ隊」のメンバーが、花壇にナデシコの花を植えてくださいました。午後からは震災後ずっと仮設住宅等に通い続けている方々の主催によるヨーガ・セラピーが行われていました。農園からは収穫したばかりの野菜も届きました。今日(11月23日)は行事の予定はない日でしたが、ノートパソコンを広げている人、裁縫をしている人もいました。

昨日、今日は連休ということもあり、普段見かけない人の来訪がありました。近所に住んでいて、いつものように顔を出してくださる方の娘さん夫婦が昼食を食べに来てくださいました。娘さんは、「居場所ハウス」にいた1人の女性に「先生ですよね」と声をかけていました。かつての教え子だったようで、思いがけず久しぶりの再会。他にもメンバーの親戚が東京からやって来たり、メンバーの娘さん・お孫さんがやって来て表で記念写真を撮ったり、「居場所ハウス」の近所に実家がある人が帰省したり。

「居場所ハウス」がなかったとしても、家庭に娘さん・お孫さんが尋ねてきたり、帰省したり、あるいは、家庭でパソコンをしたり、裁縫をしたりする行為は行われるのだと思います。けれども、家庭内で行われているだけであれば、これらが広がりを生む状況は生まれなかった可能性があります。
地域の人々の出入りがある「居場所ハウス」という具体的な場所があるからこそ、教え子との久しぶりの再会があったり、帰省した人と顔を合わせることができたりしますし、「あの人が○○をしている」と地域の人のことを知るきっかけになったり、話をするきっかけになったりする。
様々な出来事が重なりあっていくことで、(思いがけなかったような)関係の広がりが生み出されていくこと。これが地域に具体的な場所(まちの居場所/コミュニティ・カフェ)があることの意味です。こうした出来事の重なりによって、関係が網の目のようにあちこちに広がっていくという状態こそが、地域というものではないか。そのようなことを感じた2日間でした。

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