『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

まちの居場所(コミュニティ・カフェ)で見られるテーブル越しの会話

少し前、千里ニュータウンの「ひがしまち街角広場」では来訪者が、他の来訪者やスタッフとテーブル越しの会話が見られるということをご紹介しました。
このような目で大船渡の「居場所ハウス」を見ると、「居場所ハウス」でもテーブル越しの会話が頻繁に見られます。写真のように薪ストーブを囲んで別のテーブルに座った人々が話をしたり、カウンターにいる人と話をしたり。

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テーブル越しの会話が見られる千里ニュータウンの「ひがしまち街角広場」と大船渡の「居場所ハウス」の共通点は何かと言うと、スタッフと来訪者との関係が緩やかなものであることだと感じます。
上の写真を見るだけでは、誰がこの日のスタッフで、誰が来訪者かはわかりません。スタッフは、たまたまその日はスタッフという役割を引き受けているだけであり、スタッフも来訪者も同じ地域に住む人同士。だから、スタッフは一方的にサービスを提供する人ではなく、時間がある時はスタッフも一緒になって話をする。逆に忙しい時は、来訪者も御茶をいれたり、お茶碗を洗ったりしてお手伝いをすることがある。
スタッフと来訪者との関係が緩やかであることは、まちの居場所(コミュニティ・カフェ)において非常に重要な点だと考えています。

もちろん、「ひがしまち街角広場」でも「居場所ハウス」でも、いつもみなが話をしているわけではありません。1人で過ごしている人もいるし、何人かでやってきて食事をして帰る人もいます。

少し前に書いたことの繰り返しとなりますが、気が向いた時にふらっと立ち寄ることができ、活動に参加せずとも1人で過ごすこともできる。けれども、話をしようと思えば居合わせた人やスタッフと話もできる。地域において人々が緩やかな関係を築いていくためには、このような多様なかたちで過ごせる場所が重要です。