『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

日常の場所がもつ価値とその場所を継続するために

151018-155426

「まちの居場所」の最大の価値は、毎日開いていて、行けばいつでも誰かがいてくれるという日常の場所であることです。毎日開いているから、(イベントの時だけでなく)気が向いた時に立ち寄ることができる。また、居合わせた人同士の会話から様々なことが行われます。
先日、「居場所ハウス」では1人の女性が刺繍を教わっていました。今月末、大船渡市末崎町の熊野神社では4年に1度のお祭りが開催されます。前回は震災で中止となったため、8年ぶりだとのこと。このお祭りで身につける物には各家の家紋を刺繍することになっていますが、この女性の家の家紋の形が複雑だということで、刺繍の方法を教わっていたようです。
現在、地域の文化と見なされ、その継承が必要だと言われているものも、かつては日常の生活の中にあったもの。こうした日常の積み重ねが文化なのだとすれば、お祭りのために家紋の刺繍を教わるというのも文化の継承ということになります。
文化の継承としてイベントをせずとも、こうした日常の中で継承されるものは確実にあると思います。

「まちの居場所」がもつ日常性は非常に大切ですが、運営を継続するためには費用がかかるのも事実です。
例えば、補助金で運営費をまかなうという考え方があります。補助金を受ける場合、成果をわかりやすい形で(数値的に)表すことが求められる場合があります。ただし、日常の場所の意味をこのような方法で表現するのはなかなか難しいため、「イベントを○○回開催して、○○人の来訪が見込まれる」というわかりやすい形で事業を計画してしまうと、結果としてそれに縛られ、イベントを開催し人を集めることだけが目的となってしまう。そうすると、日常性という価値が損なわれていく恐れがあります。このことは「まちの居場所」の運営において、十分に意識しておく必要がありそうです。

日常性を大切にしながら「まちの居場所」の運営を継続するためには、(補助金を受けるかどうかとは別として)少額であっても、日常的に飲物や食事に対する代金をいただく、入館料をいただく、募金を募るなどによって、みなでお金を出し合う雰囲気を作っていくことが大切ではないかと考えています。

公民館などの公共施設、あるいは、公園などは無料で利用できるのに、なぜ、「まちの居場所」はお金がかかるのだと思われるかもしれませんし、「まちの居場所」においてお金をとることを躊躇するかもしれません。けれども、考えてみれば公共施設や公園など無料で利用できる場所は税金で建設され、維持されているもの。税金として目に見えにくい形でコストを負担するか、その都度コストを負担するかという違いはあるにしても、みながコストを負担しているのは同じ。だとしたら、「まちの居場所」は無料で利用できることは魅力ですが、だからと言って、費用を負担しなくてもいいという話にしてはいけないのだと感じます。

「居場所ハウス」では、(コーヒーや紅茶などは代金をいただいてますが)お茶は無料で提供しています。しかし、中にはお茶しか飲んでいないのに、毎日来ているからと募金箱にお金をいれてくださる方がいます。今日はお釣りはいらないよと言ってくださる方もいます。
「あそこに行ったらお金を取られる」ではなく、「あそこがずっと続いて欲しいから、少しだけどお金を出してもいい」と思ってくれる人を地域にどのくらい増やすことができるか。遠回りのようですが、日常性を大切にしながら「まちの居場所」の運営を継続するためには、地域の人々の意識を変えていくことを同時にやっていく必要があると思います。

(更新:2015年12月7日)