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Ibashoプロジェクトと災害復興

ワシントンDCの非営利組織Ibashoでは、岩手県大船渡市の「居場所ハウス」、フィリピンのバゴング・ブハイでのIbasho Philippinesを行っており、今、ネパール・マタティルタ村でのプロジェクトを行おうとしています。いずれも、東日本大震災、2013年台風30号(ヨランダ)、2015年ネパール大地震の被災地でのプロジェクト。ただし、被災地と言っても地区全体が壊滅的な被害を受けたというよりも、地域のかたちが残された地区です。

Ibashoでは被災地でのプロジェクトを続けて行うことになりましたが、Ibashoは最初から被災地のプロジェクトを行おうとしていたわけではありません。

大船渡でのプロジェクトの最初のきっかけは、東日本大震災から約1週間後、Ibasho代表のEさんがワシントンDCで行った講演。講演で被災地支援の可能性について聞いたところ、講演の参加者を介して、国際NGOのOperation USAがEさんにコンタクトをとったことからプロジェクトがスタートすることとなりました。

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フィリピンでのプロジェクトのきっかけは、2014年1月に刊行されたレポート『Displacement and older people-The case of the Great East Japan Earthquake and Tsunami of 2011-』に、Ibasho代表のEさんが協力したこと。刊行後、レポートの発行者である国際NGOのHelpAge Internationalから、フィリピンの被災地でのIbashoプロジェクトの可能性について打診がありました。

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ネパールのプロジェクトのきっかけは、Ibasho代表のEさんらが執筆したレポート『Elders Leading the Way to Resilience (Conference Version)』。2015年3月18日、仙台市で開催された第3回国連防災世界会議のシンポジウムにあわせて刊行されたレポートです。ウェブサイトに公開されていたレポートを読んだネパールのソーシャルベンチャーBihaniから、ネパールの被災地でのIbashoプロジェクトの可能性について打診がありました。

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最初から被災地でのプロジェクトを行うことを考えていたのではなく、講演会やレポートがきっかけとなり、結果として(あるいは偶然に)被災地でのプロジェクトを行うこととなりました。

少し前、ある方からIbashoのプロジェクトと復興との関係について、両者の共存・切り離しをどう考えているか? という質問がありました。以下、この質問に対して個人的に考えたことです。

Ibashoのプロジェクトが目指すのは、生産活動からは引退し、役に立たないと見なされがちな高齢者が、実は豊かな経験や知恵をもった存在であると見なされること、そのような高齢者の活動によってより良い地域を実現していくことです。
この意義を最大限に広くとれば、地域にある資源を組み合わせることで新たな価値を生み出すこと。
被災地ではこうした動きに対して開かれた状態にあると言えます。被災によって建物などの財産が失われたり、土地が使えなくなったりするというように従来からあった資源が失われてしまうため、被災地では残された資源でどうやって暮らしを組み立てざるを得ない状況に直面する。上に書いた開かれた状態とは、このような意味です。
そして、残された資源で暮らしを組み立てていくことを復興と見なすのであれば、最終的にはIbashoプロジェクトと復興が目指すものは同じ。Ibashoプロジェクトが行われている地域が被災地であれば、それが復興のプロジェクトで捉えられる場合がある。Ibashoプロジェクトは被災地でなくても意味をもつ。だから、復興という側面に限定する必要はないと考えています。

もちろん、被災により地域が開かれた状態になるからこそ、外部から働きかけやすいという点は非常に重要であり、だからこそ、結果としてIbashoプロジェクトが大船渡、バゴング・ブハイ、マタティルタ村という被災地でプロジェクトを行うことになったことは間違いありません。

(更新:2020年3月31日)