『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

まちの居場所の価値を受けとめる

昨年、ILC Japan(国際長寿センター)で大船渡の「居場所ハウス」のレポートを書かせていただきましたが、引き続き、今年度もレポートを書かせていただけることとなりました。今年度は「居場所ハウス」に加えて、東京都江戸川区の「親と子の談話室・とぽす」、大阪府千里ニュータウンの「ひがしまち街角広場」、それに、今回初めて訪問する場所、あわせて4つの「まちの居場所」について書かせていただきます。
「親と子の談話室・とぽす」、「ひがしまち街角広場」は学生の頃、もう10年以上前からお世話になっている場所。学生の頃には見えていなかったことも含め、改めて書かせていただきたいと考えています。特に「ひがしまち街角広場」は今年がオープンから15周年という節目の年。これまでの歩み、この場所が生み出した価値、運営で大切にしてこられたことなど、調査を通して教わったことを少しでも還元できればと考えています。

今年度のレポートのテーマは、「まちの居場所」の運営をどう継続するか? 「まちの居場所」が生み出したものをどう継承するか? 継続・継承がテーマですが、話を伺っていると「まちの居場所」という場所を計画したり、運営したりするためのノウハウだけを取りあげるのでは十分ではないことに気づかされます。
現実の運営においては、それぞれの「まちの居場所」は様々な制約、条件の中での試行錯誤がありますし、ある程度の資金も必要、運営できる空間(建物)も必要。この部分についてのノウハウの蓄積や考え方もありますので、レポートではそれぞれの場所が運営資金や空間(建物)をどうやって確保してきたかについても触れたいと思います。同時に、「お金だけでは人は動かない」、「空間(建物)があっただけでは生きた場所にならない」という点も無視できません。
長い間運営していると、様々な困難に直面します。資金が不足したり、空間(建物)を確保できなくなったり。そうした大きな困難を迎えた時に、「(お金は後回しでいいから)できることがあったら協力するよ」と言ってくれるメンバーが何人集まるか? が大切だということ。もしもそのようなメンバーが集まらなければ、その場所は地域で必要とされていないのかもしれません。「運営のためにはお金が大事だよ」という考え方をとる人にとっては綺麗事に聞こえるかもしれませんが、綺麗事(だと見なされることが)が地域を変えていけるという可能性を抱かせてくれるのが「まちの居場所」。

「まちの居場所」は、2000年頃から各地に同時多発的に開かれ始めていますが、「まちの居場所」はどのような思いで開かれたのか? 何故、従来の施設ではなく、「居場所」をキーワードとする場所であったのか? そこでは何が生み出されてきたのか? など、「まちの居場所」の価値を最大限に受け止める作業が必要となります。

これまで様々な方の話を伺ったり、議論したりして浮かび上がってきたキーワードは、セミパブリック(住宅でも施設でもない)、あるじ(管理者でも利用者でもない)、事後的であること、居方、身近な暮らしの蓄積としての歴史、サービスではなくホスピタリティなど。「まちの居場所」が従来の施設とは異なる価値を生み出しているとすれば、それを捉えるための言葉、あるいは、概念を作り出していく必要があるように思います。
レポートが完成する半年後には、また内容が変わっているかもしれませんが、レポートのためのレポートではなく、地域で実践されている方にとってわずかでも意味のある内容にと思います。

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※写真は、「居場所ハウス」の農園で収穫したジャガイモを食堂に届けるKさん。