ワシントンDCの非営利法人「Ibasho」は、東日本大震災の被災地である大船渡市末崎町の「居場所ハウス」の立ち上げに携わり、現在はフィリピン、オルモック市のバゴング・ブハイ(Barangay Bagong Buhay)でIbashoフィリピンの、ネパールのマタティルタ村(Matatirtha)でIbashoネパールのプロジェクトを進めています。
プロジェクトは必ずしも理想通りにはいきませんし、実際に多くの課題に直面していることも事実ですが、現在社会においてIbashoのプロジェクトの特徴は何かを考えておくことは大切だと思います。長い目で見れば、これを明確にしておくことが、それぞれの国におけるプロジェクトの力になると考えています。
先日、フィリピンのバゴング・ブハイを訪問し活動の様子を見る機会がありました。この経験を通してIbashoのプロジェクトには次のような特徴があるのではないかと感じました。
- 地域交流、被災地支援、居場所づくりといった曖昧な表現ではなく、目指すべき姿が8つの理念として明確に言語化されている。
- 被災地への支援、開発途上国への支援、あるいは、福祉の領域では多くの場合、被災者、貧しい人、介護が必要な人というように、対象とする人々が弱者として見なされる。しかし、Ibashoのプロジェクトにおいては対象とする高齢者を弱者だと見なしていない。高齢者も他の誰かの、地域の一員であり、高齢者も学ぶことで変わっていける存在であると見なしている。
つまり、Ibashoのプロジェクトは弱者の支援ではなく、高齢者が弱者というカテゴリーに入れられてしまっているという社会のあり方、高齢者に対する認識の変革を目指している。 - そのために、プロジェクトは高齢者への支援ではなく、高齢者による活動に対する支援という意味合いを持っている。
活動に対する支援には、高齢者の主体性と、理念が目指す姿とが合致しているか否かを振り返る機会をもつということも含まれる。
こうした特徴があるからこそ、小さな組織であるIbashoが進めているプロジェクトが注目されているのだと思います。しかし、例えば、初めてフィリピンのバゴング・ブハイ、ネパールのマタティルタ村を訪れた時は、やはり「アメリカと日本から、お金の支援をしてくれる人が来てくれた」という目で見られていたことを思い出します。また、高齢者は他者に貢献できるという表現は、「高齢者を働かせる気なのか、虐待ではないか」という趣旨のことを言われたことがあるという話も聞きます。
こうしたプロジェクトは既存の施設・制度と、さらにはそのベースとなっている社会のあり方とは、なかなか相容れない部分があるかもしれません。
以下は個人的な思いですが、Ibashoのプロジェクトのポイントは、既存の施設・制度を否定して別世界を作るのではなく、既存の施設・制度が覆うことのできない領域の貴重さに自覚的であること(哲学者の山本哲士氏の「脱」と「非」の表現を借りれば、脱施設・制度ではなく非施設・制度であることだと言ってよいかもしれません)。だからこそ、Ibashoは(既存の施設・制度が存在している)地域に根ざしたものとして成立する可能性をもっているのだと考えています。
(更新:2016年12月6日)