『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

フィリピン・レイテ島のオルモック市

Ibashoフィリピンのお手伝いをしてきた関係で、これまで何度かオルモック(Ormoc)市を訪問しました。オルモック市はレイテ島に位置する都市で、Censusによると2015年時点の人口は215,031人。

オルモックへはマニラ、あるいは、セブからアクセスできます。マニラからは、マニラからタクロバン(Tacloban)まで1時間〜1時間弱、タクロバンからオルモックまで車で約2時間。セブからは、フェリーで約3時間です。一時期、オルモック空港が開港しており、セブから1日1往復の便がありましたが、現在、オルモック空港は閉鎖されています。

1991年台風25号(台風ウリン/Uring)による大洪水に見舞われ、死者約5,000にもなる大きな被害を受けました。Ibashoフィリピンが活動するバランガイ・バゴング・ブハイ(Barangay Bagong Buhay/Bliss)には、大洪水の被災者のための再定住地(Relocation)として開発された住宅地があります。

大洪水の後、日本の支援により河川改修事業が行われたため、レイテ島という第二次世界大戦の戦場になった場所であるにも関わらず、日本に対して好印象を持つ方が多いと伺いました。

ただし、Ibashoフィリピンのメンバーのある女性は、親から「日本人は悪い人だ」と言われて育ったため、日本人に対して良い印象を持っていなかったという話を聞いたことがあります。それが、Ibashoフィリピンの活動を通して、初めて日本人と顔の見える関係を築くことで、日本人に対する印象が変わったと。この方の話からは、第二次世界大戦の記憶はそう簡単には消えないこと、それでも顔の見える新たな関係を築いていける可能性があることを表していると考えています。Ibashoフィリピンは、結果として草の根の国際交流という側面も持っていると言うことができます。


オルモックは2013年台風30号(台風ヨランダ/Yolanda)による大きな被害を受けました。初めてオルモックを訪問したのは2014年4月。この時はまだフェリーターミナル前にあるバスターミナルの屋根も飛ばされたままであり、あちこちに被災の跡が伺えました。

それから4年半が経過。オルモックを訪れる度に、被災の跡がなくなっていくと同時に、道路が綺麗になったり新しい建物が建ったりと、目にする風景が変化していくことに気づかされます。

オルモックには規模の大きなショッピング・モールがありませんでしたが、今年、相次いで2つのショッピング・モールがオープンしました。
1つは2018年4月19日(木)にオープンしたロビンソン・プレイス・オルモック(Robinson Place Ormoc)。

もう1つは2018年11月16日(金)にオープンしたSMセンター・オルモック(SM Center Ormoc)。先日訪問したちょうど1週間前にオープンしたばかりのショッピングセンターです。SMセンター・オルモックがオープンした日は安売りが行われ、市内が大渋滞になったということです。SMセンター・オルモックにはスーパーマーケット、レストラン、カフェ、電気屋、洋服屋、雑貨屋などあらゆる店舗。車も展示・販売されています。ゲームセンターもあり、中学生・高校生くらいの子どもが多数遊んでいました。


参考