『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

フィリピン、バゴング・ブハイの通りでの暮らし

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先日、フィリピン・オルモック市にあるバゴング・ブハイ(Barangay Bagong Buhay)を訪問しました。バゴング・ブハイは2013年台風30号(台風ヨランダ)の被害を受けた地域であり、Ibashoプロジェクトが進められている地区です。
バゴング・ブハイだけに限らず、フィリピンを訪れて驚かされるのは通りで過ごしている人が多いこと。小さな子どもから高齢の方まで、多くの人々が通りにいるのを見かけます。フィリピンは年間を通して寒くないから屋外で過ごせるという気候的な条件はあるにしても、通りが(単に通過のための場所でなく)暮らしの場所になっていると感じます。

通りでの暮らしを支えている重要な場所がサリサリストアという小規模な(家族経営の)小売店。バゴング・ブハイではあちこちでサリサリストアを見かけ、地区の中心であるホール(バランガイ・ホール)から、Ibashoプロジェクトの農園まで徒歩で5分もかかりませんが、その間に10以上ものサリサリストアがあったと記憶しています。
サリサリストアには通りに面した家の前面で開かれているもの、小屋を建てているもの、屋台が出されているものなど様々なタイプがあり、鶏肉のバーベキュー、豚の丸焼きなどの食べ物、野菜、ジュース、スナック菓子など様々な物が売られているのを見かけました。サリサリとは現地の言葉で「様々な」という意味だとのこと。
サリサリストアは身近に買い物ができる場所ですが、ベンチに座って食事をしたり話をしたりしている人もおり、決して買い物をするだけの場所というわけではなさそうです。ジュースやスナック菓子を買ったりしている子どももおり、日本でいう駄菓子屋的な役割も担っていると言ってもよいと思います。

こうした光景をみた後、日本を振り返るといくつかのことを考えさせられます。
日本では、近年、まちの居場所の必要性が言われています。ふらっと気軽に立ち寄れる地域の場所がないという悩みが、まちの居場所が必要だと言われる1つの理由になっていますが、フィリピンではそんな悩みはないのだろうなと。
また、日本で(特にニュータウンで)まちづくりと言うと、何らかの組織を立ち上げたり、そこに行政などのオフィシャルな機関が関わってきたりと仰々しくなってしまう場合がありますが、サリサリストアはあくまでも個人の商売として開かれているもの。そういう個人個人の営みが重なることによって、通りでの暮らしが実現されているように思います。
もしかすると日本では個人個人の営みと、地域での暮らしというのが分離してしまっているのかもしれません。そうだとすれば日本(日本のニュータウン)においては組織だったり、行政が関わったりするのではなく、もう少し肩の力を抜いて、個人から始まるまちづくりという視点(まちづくりという表現が適切でないなら、個人個人の営みが地域を良くすることにどうつながっているのかという視点、プライベートとパブリックとの関係の再考)が求められるのではないか。バゴング・ブハイの通りの光景を見て、そんなことを感じました。

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