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千里ニュータウン居住者の移動:2020年国勢調査より

近年、千里ニュータウンでは集合住宅の大規模な再開発が行われてきました。これは、千里ニュータウンの人口に大きな影響を与えています。国勢調査の結果によると、千里ニュータウンとして開発された12住区の人口は、1975年以降減少していましたが、2010年の8万9,220人を境として増加に転じ、2020年には再び10万人を超えています。

※国勢調査の結果をもとに作成。具体的には、2015年までは『千里ニュータウンの資料集(人口推移等)』(吹田市・豊中市千里ニュータウン連絡会議, 2017年10月1日)に掲載のデータ、2020年は国勢調査の「小地域集計」「27:大阪府」を集計したデータを用いて作成。

このように千里ニュータウンの人口は増加しつつありますが、ここではもう一歩進んで、2020年の国勢調査の結果から、千里ニュータウンの居住者の移動の状況をみていきたいと思います*1)。

各住区の人口の変化

千里ニュータウンとして開発された12住区の人口は、2015年の96,996人から2020年の100,315人へと、5年間で3,139人増加しました。
ただし、12住区の全てが同じように人口増加しているわけではありません。12住区のなかでは、新千里南町が908人、新千里東町が823人、古江台が713人と大きく増加。いずれも、集合住宅の大規模な再開発が行われてきた住区です。桃山台は529人の減少となっていますが、これは集合住宅の再開発に伴う一時的な移転が大きく影響していると思われます。

一方、上新田は1,281人と大きく増加し、2020年の人口は12,725人となりました。この人口は、12住区の約2〜4.5倍の規模となっています。

※2020年国勢調査の「小地域集計」「27:大阪府」のデータを集計した結果をもとに作成。

5年前の常住地

先に述べた通り、千里ニュータウンとして開発された12住区の人口は、2015年から2020年までの5年間で3,139人増加しました。約10万人の人口に対して、3,139人という人数だけをみると、居住者の大きな移動は起こっていないような印象を抱きます。しかし、国勢調査の結果からはこうした印象とは違った姿が浮かび上がってきます。

5年前の常住地、つまり、2015年の国勢調査時点の常住地をみると、2015年と2020年で常住地が変わらない人が65,006人(約65%)、移動*2)した人が23,708人(約24%)であり、約4人に1人が移動していることになります。これは非常に大きな割合です。
ただし、例えば、再開発が行われた集合住宅の居住者は、同じ住区に住み続けていたとしても住所が変わるため、このような人は「自市町村内から」と回答している人の中に含まれます。そこで、「現住所」と「自市町村内から」と回答している人をあわせた人数に注目すると*3)、「現住所」と「自市町村内から」をあわせた人数は74,960(約75%)、「県内他市町村から」、「他県から」、「国外から」をあわせた人数は13,754人(約14%)となります。これによると、約6人に1人が市をまたぐ移動を行っていることになります。

居住者の移動の程度は住区によって異なります。2015年と2020年で常住地が変わらない人の割合は桃山台、新千里北町で70%を超えています。この割合は、吹田市全域、豊中市全域と比べても大きく、これらの住区は居住者の移動の程度が小さいと考えることができます。一方、高野台、津雲台、新千里東町は60%を下回っており、これらの住区は居住者の移動の程度が大きいと考えることができます。
「現住所」と「自市町村内から」と回答している人をあわせた割合に注目すると、高野台が約81%、佐竹台が約81%と80%を超えているのに対して、新千里東町が約67%、上新田が約69%と70%を下回っています。これより、市をまたぐ移動を行った居住者の割合は、高野台と佐竹台で小さく、新千里東町と上新田で大きいと考えることができます。

※2020年国勢調査の「小地域集計」「27:大阪府」のデータを集計した結果をもとに作成。

現住地での居住期間

国勢調査では、現住地での居住期間も調査されています。現住地での居住期間が5年未満の人は25,345人(約25%)。この割合は、この5年間で居住者の約4人に1人が移動しているという先に見た結果と一致しています。
これに対して、20年以上移動せず居住している人は20,422人(約20%)。今年、2022年は千里ニュータウンのまち開き60年です*4)。国勢調査の質問項目は20年以上がまとめられているため、これ以上の詳細を把握することはできませんが、まち開き当初から移動せず、同じ住宅に住み続けている人の割合が小さくなっていると考えることができます。

※2020年国勢調査の「小地域集計」「27:大阪府」のデータを集計した結果をもとに作成。


国勢調査の結果から、千里ニュータウンの居住者の移動の状況をみてきました。この結果は次のように整理することができます。

  • 千里ニュータウンとして開発された12住区の人口は、2015年の96,996人から2020年の100,315人へと、5年間で3,139人増加した。
  • 12住区のなかでは、新千里南町が908人、新千里東町が823人、古江台が713人と大きく増加した。
  • 上新田は1,281人増加し、2020年の人口は12,725人になった。この人口は、12住区の約2〜4.5倍の規模であり、千里ニュータウンにおいて上新田の人口が占める割合が大きくなっている。
  • 12住区の人口は、2015年から2020年までの5年間で3,139人増加している。しかし、この人数よりはるかに多くの人が5年間で移動している。
  • 集合住宅の再開発などで同じ住区内に転居した人も移動していると見なせば、12住区の居住者の約4人に1人が5年間で移動している。
  • 12住区の居住者の約6人に1人が、5年間の間に市をまたいで移動している。
  • 12住区の居住者のうち、20年以上移動していない人は約5人に1人。これより、まち開き当初から移動せず、同じ住宅に住み続けている人の割合は小さいと考えることができる。

近年の集合住宅の大規模な再開発により、千里ニュータウンでは居住者の大きな移動が生まれており、まち開き当初から同じ住宅に住み続けている人の割合も低下しつつある状況が伺えます。こうした状況だからこそ、千里ニュータウンの歴史を継承する作業がますます大切になっていると考えています。


■注

  • 1)この記事は、2020年国勢調査の「小地域集計」「27:大阪府」のデータを独自に集計して得たデータに基づくものである。
  • 2)この記事では、たとえ同じ住区に住み続けていても、集合住宅の再開発などで住所が変化することを居住者の移動と捉えている。
  • 3)集合住宅の再開発が行われる際、例えば、「県内他市町村」や「他県」に一時的に移転し、集合住宅がの竣工後に戻ってくる人もいると思われるが、ここではおおよその傾向を把握するため、このような人は集計から除いている。
  • 4)最初に入居が行われたのは佐竹台(1962年)、最後に入居が行われたのは新千里南町(1969年)である。

(更新:2022年12月15日)