『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

千里中央のデパート「大丸ピーコック」(現「オトカリテ」)

大丸ピーコック

日本万国博覧会(大阪万博)が始まった1970年3月15日の4日前、1970年3月11日に千里中央地区センター「千里サンタウン」のまち開きが行われました。「千里サンタウン」は公募によって決められた愛称です*1)。当時の新聞記事には、「千里サンタウン」が次のように紹介されています。

「ショッピングセンターとは
現在アメリカの都市郊外には一一、〇〇〇にのぼるショッピングセンターがあるといわれています。
一口にショッピング・センターといっても一個のデェヴロッパー(事業体)としてその地区の計画建設、管理まで行なうものといわれています。また、ショッピングセンターには、核になる店舗と一個以上のデパートとスーパーマーケットを有し、レジャー、スポーツ施設や、銀行証券会社などの他、広い駐車場をもつことが条件となって形成されるべきものとされています。
この千里中央地区センター(千里サン・タウン)はその条件を充分にみたすだけのものがあります。
この完成により郊外居住者の消費生活をより発展させることに役立つことを確約するものです。
全体の敷地(約30万平方米)は大きな幹線道路によって中央ブロック、東ブロック、西ブロック、南ブロックの四つに分けられ、中央ブロックには地下鉄を軸にした専門店街や、これと交差する阪急デパート、大丸ピーコックストアー、センタービル、娯楽センター、公会堂、文化会館があり、東ブロックには、ホテル、西ブロックには事務所と冷暖房プラント、南ブロックにはドライブインなどの施設が配置されています。」
※「中央地区センター 千里サン・タウンの概要」・『千里タイムズ』第247号 1970年3月6日

「千里サンタウン」は「日本で最初にして最大の郊外ショッピング・センター」*2)。当時の新聞記事には、ショッピングセンターとは何かがアメリカを例にあげて紹介され、その「条件を充分にみたすだけのもの」があるものとして千里中央地区センターが紹介されています。

「大丸ピーコック」は、この「千里サンタウン」の核となるデパートの1つとして1970年3月11日にオープンしました*3)。店内のフロアは、地下1階が「食料品」、1階が「紳士、婦人、こども服に用品雑貨」、2階が「家庭雑貨・のりもの・薬品」、3階が「家具・電気製品・文化ホール」、屋上が「こどものりもの・遊ぎ施設」となっています*4)。

「大丸ピーコック」は、「ニュータイプのデイスカウント・デパートとしての第一号店」として位置づけられていました。オープン時の「大丸ピーコック」の店長は次のように記しています。

「ご存知の通り、大丸ピーコックは、二五〇余年の歴史を歩む大丸が、新しい時代にふさわしく、豊かなくらしにご奉仕するニュータイプのデイスカウント・デパートとしての第一号店であります。店の方針としては、どこよりも親切な、どこよりも気軽な、どこよりも安い、をかかげ、長年皆様方からご愛顧をいただいております大丸のもつ安心感、信頼感と、スーバーのもつ、自由な、気軽なシヨッピングが同時にお楽しみいただける工夫をいたしております。同時に私たちは小さい店ではありますが、すこしでも文化的な、教養的な場を皆様にご提供申しあげたいと考え、3階に各種文化催のできる文化ホールを、2階に皆様のつどいやサークル活動に自由にお使いいただく文化サロンを設けました。
・・・・・・。サービス体制につきましては、大丸グルプのもつ強力なサービス網を利用し、「都心店のサービスを効外店で」をモットーにして、すみずみまでゆき届いたサービスを差し上げたいと考えております。新入社員も鹿児島、佐賀、福岡、髙知、愛媛、徳島、広島、岡山、そして石川、福井、三重、奈良、静岡から、新しい街の新しい店を目指して集ってきております。まだまだお国ことばのきえない熱気に溢れた一九才のグループです。ふるさとを共にされるニュータウンにお住まいの皆様からのなつかしいお国ことばをこの若いグループが待っております。新しい街、新しい店に新鮮な希望にみちた若ものが、皆さまのお買物のお相手をさせていただきます。」
※「ニュータイプのディスカウントデパートで「大丸ピーコック」」・『千里タイムズ』第247号 1970年3月6日

この記事からは、3階の「文化ホール」、2階の「文化サロン」というように、「大丸ピーコック」は単に買い物をする場所だけでなく、文化の拠点としても構想されていたことがわかります。また、新入社員の出身地が主に西日本であり、新入社員と買い物客(住民)との「ふるさと」の共有が考えられていることもわかります。

千里大丸プラザからオトカリテへ

「大丸ピーコック」はその後、「千里大丸プラザ」となり、2013年4月26日に「千里大丸プラザ」から「オトカリテ」としてリニューアル・オープンしました。

(「千里大丸プラザ」当時の様子)

「オトカリテ」(haute qualite)は「上質」を意味するフランス語で、「『千里という街にとって上質なモノ・コト』を、常に提案する場所・コミュニティー」でありたいという思いがこめられています。そして、「自然な自分らしいライフスタイルを描くことができる『地域密着高感度商業施設』」として「ナチュラル・カジュアル,アート」(natural casual, art)がコンセプトとされています*5)。

(「オトカリテ」)

オトカリテファイナルパーティー

「オトカリテ」は建物の老朽化のため、2023年4月30日に閉館することが発表されました*6)。閉館にあわせて、2023年1月13日から「オトカリテファイナルパーティー」という催しが開催されています*7)。
ディスカバー千里はこの催しに協力し、「オトカリテ」1階にもうけられている「オトカリテメモリアルスペース」に千里中央の説明資料や年表、写真、千里ニュータウンの「大きな本」などを展示する「千里ニュータウンはどんなまち?展」を開催しています。

「オトカリテメモリアルスペース」での展示

  • 会場:オトカリテ1階
  • 期間:2023年2月1日~2023年4月30日
  • ※2月中旬に展示の一部を入れ替え予定

「オトカリテメモリアルスペース」では、ディスカバー千里の展示のほか、子どもたちが色を塗ったウォールアート*8)、「オトカリテ」の思い出を展示するメッセージボード、フォトスポットなどももうけられています。

(「オトカリテファイナルパーティー」の案内)

(オトカリテメモリアルスペース)


■注

  • 1)千里中央地区センターの愛称は3,412通の応募の中から、1970年2月18日に決定されたもので、「千里サンタウン」は5人から応募があったという。この他、「サンタウン」、「千里スカイシティー」、「千里ニュートピア」の3点が佳作とされている。「『千里サンタウン』に 中央地区センターの愛称」・『ニュータウン』第105号 1970年2月22日
  • 2)「楽しみながらショッピングを 「千里阪急」」・『千里タイムズ』第247号 1970年3月6日
  • 3)「千里サンタウン」が、現在の「せんちゅうパル」の前身だと言われることもあるが、先に紹介した新聞記事に書かれているように、「千里サンタウン」は千里中央地区センター全体の愛称である。千里開発センターが発行した『財団法人千里開発センター10年のあゆみ』(1972年)でも、「中央センター専門店街、千里阪急、大丸ピーコック、千里阪急ホテル開店(愛称を千里サンタウンとす)」というように、「千里サンタウン」が千里中央地区センター全体を表すものと記載されている。
  • 4)『千里タイムズ』第247号 1970年3月6日に掲載された広告より。
  • 5)J.フロント リテイリンググループ 株式会社大丸コム開発のニュースリリース「4月26日(金)『千里大丸プラザ』大規模改装リニューアル」2013年2月28日。
  • 6)「オトカリテ」ウェブサイトの「オトカリテ閉館のお知らせ」のページ。
  • 7)「オトカリテ」ウェブサイトの「オトカリテファイナルパーティー」のページ。
  • 8)子どもたちがウォールアートに色を塗るワークショップは、2023年1月21・22・27・28日に開催。

(更新:2023年2月1日)