『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

千里博覧会(せんぱく)の写真展@千里中央・セルシー

2017年8月31日(木)まで、千里中央のセルシー地下1階にて、千里博覧会(せんぱく)の写真展が開催されています。
千里博覧会(せんぱく)は、元々、8月9日(水)〜15日(火)の期間、千里中央の8施設で開催されていたもの。写真展の他、トークショー、スタンプラリー、フォトコンテストなどが開催されていましたが、期間終了後、写真展のみ千里セルシーにて延長されて開催されています。


千里博覧会(せんぱく)
1970年代・千里ニュータウン・EXPO’70をテーマに、8施設で実施する共通イベント!
せんちゅうだいすきキャンペーン 第3弾「千里博覧会 せんぱく〜千里ニュータウン開発の軌跡〜」

大阪に“せんちゅう(千里中央)”ができて、47年。この機会に改めて千里中央の魅力に触れていただくため、8つの商業施設が協力して、多数の楽しいイベントを期間限定で開催いたします。1970年代の高度成長期から現在にいたるまで、この街の成り立ちや変遷を振り返りながら、この先もずっと地域のみなさまと共に歩んでいけたらと願っています。帰省でご家族が集まるお盆休みに、ぜひご来場ください。

  • 期間:2018年8月9日(水)〜15日(火)
  • 主催:千里中央エリア活性化プログラム連絡協議会(オトカリテ、千里阪急、せんちゅうパル、SENRITOよみうり、セルシー、阪急OASIS、ピーコックストア千里中央店、千里阪急ホテルの8施設)
  • 後援:吹田市・豊中市千里ニュータウン連絡会議
  • 写真協力:大阪府

セルシーで延長開催されている写真展は、以下の3つのコーナーで構成されています。

  • 「千里を造る」(産木民彦氏の写真集『千里山』より)
  • 「団地の暮らし」(永井俊雄氏撮影の写真より)
  • 大阪万博(EXPO’70)

先日、セルシーを訪問した際にも、立ち止まって写真や、展示されている年表などに見入っている方がいました。

人工的に開発された千里ニュータウンという町にも歴史がある。このことに初めに焦点があてられたのは、2006年4月〜6月に吹田市立博物館で開催された「千里ニュータウン展」、同年9月に建替前の千里公民館(千里文化センター)で開催された「千里ニュータウン展@せんちゅう
」だと思います。それから10年が経過。千里中央の商業施設で展示が行われるほどには、千里ニュータウンにも歴史があるという意識が共有されてきたということかもしれません。

写真展が開催されているセルシーですが、現在、店舗がどんどんと撤退しており、例えば、写真展が行われている地下一階は半分ほどが空き店舗担っているという状態。所有者が、賃貸契約を更新しないという姿勢をとっているため、賃貸契約のきれた店舗が次々に徹底しているためです。

昨年末、次のような記事が掲載されていました。

「大阪府豊中市の千里ニュータウンの中心部にあり、1972年にできた大型商業施設「セルシー」の半数近い店舗が、年末で閉店する。所有者側は賃貸契約を更新しない姿勢を示しており、来春以降さらに立ち退く店が増える可能性がある。所有者側から事情説明はなく、関係者は困惑している。
・・・(中略)・・・
店舗の半数強が年末までの定期契約で、契約が切れれば空き店舗になる。他の店舗は正当な理由がないと契約を破棄できない普通契約だが、所有者側は解約を迫る構えで、今後、各店と管理会社が交渉に入る見通しという。管理会社の阪急阪神ビルマネジメントの担当者は「現時点で取り壊しなどは決まっていない。当社は委託を受けている立場で、今後の計画は知らない」と説明。信託の受益者になっている合同会社が所在する会計事務所の担当者は「取材には応じられない」としている。
*吉村治彦「ローマ風建築のSC、揺れる年末 退店続々、困惑広がる」・『朝日新聞』2016年12月20日

地域の方からは、セルシーは耐震改修をして再オープンする、建替えられタワーマンションになるなどの話を聞きます。ただし、いずれも噂であり、真相は不明。
地域にとって重要な場所が、住民の目が届かないところ、手が届かないところで、地権者の意志によって動いていくというのは、千里にとって不幸なことだと思います。これはセルシーだけでなく、例えば、新千里東町の近隣センターも同様。

住民ではなく、地権者の意志によって町が動くというのは、必ずしも千里ニュータウンだけに限らず、多かれ少なかれ他の町にも当てはまることかもしれません。けれども、人工的に開発された千里ニュータウンでは、基本的には千里中央などの地区センターか、各住区の近隣センターしか、公共施設や商業施設が存在していない。だからこそ、地区センター、近隣センターには住民の声を反映させ、公共的な場所にしていく必要がある。そのための仕組みが千里ニュータウンには存在していないことが根本的な問題だと思います。