『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

千里ニュータウン再開発の光景@北千里(2024年2月)

先日、阪急千里線・北千里駅で久しぶりに下車しました。北千里駅周辺は、再開発により大きく変化しています。再開発による変化はこれまでもご紹介したことがありますが、改めて最近の光景をご紹介したいと思います。

(北千里駅の西側(藤白台):2024年撮影)

府公社藤白台B団地・千里丘陵G団地

再開発前、北千里駅前には大阪府住宅供給公社による藤白台B団地(300戸、1966年8月入居開始)*1)がありました。藤白台B団地の北側・東側には、同じく大阪府住宅供給公社による千里丘陵G団地(500戸、1965年5月入居開始)がありました。藤白台B団地、千里丘陵G団地は、5階建ての住棟が整然と建ち並ぶ典型的な団地の光景を作り出していました。
2000年代に入ってから再開発が始まり、北千里駅に近い部分はOPH北千里駅前(2010年3月入居開始。OPHはOsaka Prefectural Housingの意味)の12階建ての高層の住棟に建て替わりました。OPH北千里駅前の東側は分譲マンションのプレミスト北千里クラッシィに建て替わっています。

(藤白台B団地:2007年撮影)

(再開発が進む藤白台B団地:2008年撮影)

(再開発が進む藤白台B団地:2011年撮影)

(OPH北千里駅前:2024年撮影)

(手前が藤白台B団地:2007年撮影)

(手前がOPH北千里駅前:2024年撮影)

千里メゾネット

藤白台B団地とピアノ池のある藤白公園の間には、大阪府住宅供給公社の分譲住宅(A27棟)である千里メゾネット*2)がありました。6階建て、53戸の住棟です。通常、集合住宅の住戸は1フロアですが、メゾネットは住戸が2フロアになっているという珍しいタイプの集合住宅の住棟になっています。千里メゾネットは、分譲マンションのプラウド北千里に建て替えられました。

(千里メゾネット:2007年撮影)

(プラウド北千里:2024年撮影)

府営千里藤白台住宅

北千里駅の南東には府営千里藤白台住宅(1963~1964年に建設)がありました。府営千里藤白台住宅は、高低差のある敷地に、中層の住棟が中庭を作るように配置(囲み型配置)されており、千里ニュータウンの特に吹田市域の典型的な府営住宅の光景を作り出していました。
府営千里藤白台住宅は2010年代に入ってから再開発が始まり、一部の敷地が府営吹田藤白台住宅に、一部の敷地が分譲マンションのローレルコート北千里藤白台に建て替わっています。

(再開発が進む府営千里藤白台住宅:2011年撮影)

(右手が府営吹田藤白台住宅:2024年撮影)

北千里小学校

北千里駅の西側(千里北公園古江線と青山古江線の交差点の西側)には、かつて、北千里小学校がありました。

千里ニュータウンは近隣住区論に基づいて開発されました。1つの住区に1つの小学校、2つの住区に1つの中学校が基本とされ、古江台と青山台には、それぞれ古江台小学校(1964年4月開校)、青山台小学校(1965年4月開校)が開かれました。しかし、両校の児童数増加に伴い、1973年4月、両校の校区の一部を分離するかたちで北千里小学校が開校しました。北千里小学校は、古江台と青山台をまたぐ位置にあり、南の古江台側に校舎、北の青山台側にグラウンドが配置。そして、校舎とグラウンドが幹線道路をまたぐ陸橋で結ばれていました。
しかし、少子化に伴い、2007年度に元の青山台小学校の校区を青山台小学校校区に編入。2009年3月に残る校区が古江台小学校に統合され、北千里小学校は廃校とされました*3)。

北千里小学校の跡地は再開発され、北の青山台側には分譲マンションのブランズ北千里が建設されました。

(北千里小学校のグラウンド跡:2011年撮影)

(北千里小学校のグラウンド跡:2012年撮影)

(北千里小学校のグラウンド跡:2020年撮影)

(ブランズ北千里:2024年撮影)

(中央がブランズ北千里:2024年撮影)

南の古江台側では、北千里小学校の跡地と、隣接する北千里保育園(2018年閉園)の跡地が再開発。南東側の土地は公民館、図書館、児童センターを複合した「まちなかリビング北千里」が2022年11月に開館。南西側の土地には、「地域密着型特別養護老人ホーム憩~北千里~」、「きたせんり愛育保育園」が開かれました。北東側の土地には「地域住民等の交流」や「にぎわい創出」を目的とする施設・広場が計画されています*4)。

(まちなかリビング北千里:2024年撮影)


■注