『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

50周年を迎えた千里中央

千里ニュータウンの中央地区センターである千里中央は、今年、2020年に50周年を迎えました。50周年を記念し、3冊の冊子が刊行・無料配布されています。

①株式会社シティライフNEW『千里中央まるわかりBOOK』千里中央アニバーサリー事業実行委員会, 2020年
(配布場所)千里文化センター・コラボ、北大阪急行・千里中央駅、大阪モノレール・千里中央駅。
※千里中央アニバーサリー事業実行委員会は、今年50周年を迎えるせんちゅうパル、千里阪急、北大阪急行電鉄、オトカリテ、千里阪急ホテル、大阪モノレールによって立ち上げられた委員会。

②『パルマガジン』特別号, せんちゅうパル専門店会事務局, 2020 AUTUMN
(配布場所)せんちゅうパル、PDFファイルをこちらからダウンロード可能

③阪急阪神マーケティングソリューションズ株式会社編『北急で見つけた50のこと』北大阪急行電鉄株式会社, 2020年9月1日
(配布場所)北大阪急行・千里中央駅

千里中央の開発にまつわる略年表

千里中央が生まれた1970年は大阪万博(日本万国博覧会)が開催された年でもあります。次の年表からわかるように、千里中央の開発と大阪万博とは密接に関わっています。

■1964年(昭和39年)

  • 6月5日:(新)御堂筋線、千里中央線、中央環状線の用地買収交渉開始

■1967年(昭和42年)

  • 12月25日:中央地区センターの構想発表

■1968年(昭和43年)

  • 6月15日:中央地区センタービル着工
  • 11月21日:中央地区センター専門店着工

■1969年(昭和44年)

  • 1月23日:中央地区センター地域冷暖房プラント着工
  • 2月4日:阪急百貨店千里阪急着工
  • 4月2日:千里阪急ホテル着工
  • 4月22日:大丸ピーコックストア千里中央店着工
  • 9月26日:北大阪急行試運転開始(桃山台車庫~千里中央トンネル入口)
  • 12月1日:北大阪急行本格試運転開始(江坂~万博中央口)

■1970年(昭和45年)

  • 2月16日:千里開発センター、中央地区センタービルへ移転
  • 2月20日:中央地区センター地域冷暖房プラント運転開始
  • 2月24日:北大阪急行、地下鉄御堂筋線(我孫子~万博中央)と相互乗入れによる営業運転開始
  • 3月1日:千里阪急ホテル開業
  • 3月11日:千里サンタウンの町びらき式が行われ、阪急百貨店千里阪急、大丸ピーコックストア千里中央店が開店
  • 3月15日:大阪万博開催(~9月13日)
  • 9月14日:北大阪急行(千里中央仮駅~万博中央口)の営業を廃止し、千里中央駅開業

※年表は、山地英雄『新しき故郷』(NGS, 2002年)などを参考にして作成した。

大阪万博の開催は1970年3月15日。その数日前の3月11日には阪急百貨店千里阪急、大丸ピーコックストア千里中央店、千里サンタウン専門店街(現在のせんちゅうパル)が開店しています。当時、北大阪急行の線路は大阪万博の会場に向かって東側に曲がっており、千里中央は仮駅として営業されていました。そして、大阪万博が終了した翌日、1970年9月14日から現在の千里中央駅での営業が始められました。

  • 1970年2月24日〜9月13日:
    (梅田方面)・・・桃山台駅・・・千里中央駅(仮駅)・・・万博中央口駅
  • 1970年9月14日〜現在:
    (梅田方面)・・・桃山台駅・・・千里中央駅

上に紹介した『パルマガジン』特別号を読むと、大阪万博が開催されている間、現在の千里中央駅は「電車のこない無人駅」であり、店舗には来客が少なかったこと、そうした状況が大阪万博が終わってから「ガラッと変わった」ことが伺えます。例えば、千里サンタウンについて、次のようなエピソードが紹介されています。

「うちも、地下でキャッチボールしたり、地下の通路を一周何秒で走れるか競争したりしてました。当時は皆で野球チームを作って、ユニフォームまで作ったなあ。地下鉄千里中央駅は、万博が終わるまでは、電車のこない無人駅やったからね。それだけ暇だったということですね。」

「そうそう、万博の開催期間中は、逆にお客さん全然来なかったんです。ただ、万博関係のお客さんがよくおいででした。今のインバウンドほどではないですが、外国の方も本買いに来はったけれど、言葉がちんぷんかんぷんでね・・・(笑)。」

「ガラッと変わったのはむしろ、万博が終わった直後ですね。昭和四十五年(一九七〇年)の九月十三日に閉幕式があって、翌日の九月十四には、万博会場線が廃止されて、今の路線が開通しました。目に見えて人が増えはじめたのは、九月十六日頃からです。」
※『パルマガジン』特別号に掲載の「せんちゅうパル50周年記念座談会」より。

せんちゅうパルは、開店当時は千里サンタウン専門店街という名称で、その形態は、一時アメリカ最大のショッピングセンターだったハワイのアラモアナセンター(アラモアナ・ショッピングセンター)がモデルとされていました。1990年(平成2年)3月に「せんちゅうパル」(SENCHUPAL)に改称され、1991年(平成3年)3月に古代ギリシャの宮殿のイメージの建物としてリニューアル・オープンしました。座談会では、この経緯が次のように話されています。

「そもそも「千里サンタウン」はハワイのアラモアナショッピングセンターをモデルにして造られてて、それがいきなり、ギリシャの神殿やからね(笑)。」
※『パルマガジン』特別号に掲載の「せんちゅうパル50周年記念座談会」より。

(リニューアル・オープン前のせんちゅうパル)

アラモアナセンターは1959年10月に開業したショッピングセンターで、写真を見ると吹き抜けの通路の両側に店舗が並ぶ様子が似ていることがわかります。

(アラモアナセンター)


せんちゅうパルは、2018年10月6日にリニューアル・オープンし、北広場には「パルやま」が設置。また、外壁が北広場が緑に、南広場が赤に塗装されています。

(リニューアル・オープン後のせんちゅうパル)

せんちゅうパルでは、2020年9月19日〜10月31日まで、2階中央エスカーレーターの北側で、せんちゅうパルの50年の歩みを伝える「パルヒストリー展」が開催されています。先日通りかかった時は、子どもを連れた家族から高齢の世代まで、幅広い年代の人が足を止めて展示された写真や年表を眺めておられるのを見かけました。

(パルヒストリー展)

なお、千里セルシーは、せんちゅうパルから数年後の、1972年11月15日に開館しました。大阪府北部地震の影響で休館したのち、2019年5月31日をもって商業施設としての営業を終了しています。
現在、千里セルシーは立入禁止になっているものの建物はそのままのかたちで残されています。今後、隣接する千里阪急と一体として再開発されることが予定されています。

(千里セルシー)

(更新:2023年2月15日)