『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

公文書館、コミュニティ・ミュージアム

近年、公文書館設置の機運が高まっているようです。
数日前、新聞で次のような記事を見かけました。

公文書館設置の機運が全国各地で高まっている。栃木県芳賀市は十月に開館。三重県、福岡県が建設計画に着手したほか、熊本県宇城市、香川県三豊市なども設置への動きを具体化している。国は来年一月の通常国会に国家機関の公文書管理を義務づける公文書管理法(仮称)を提案する。関連して国立公文書館の新館構想も浮上してきた。
・・・(略)・・・
公文書館設置の動きは数年前から活発化している。一昨年は神奈川県寒川町、昨年は栃木県小山市、長野市が設置している。多くは市町村史編さんのために集めた古文書の保管が目的だったが、いずれも公文書の保存を視野に入れている。市民に対する説明責任を保証する手立てとして、公文書館を捉えるようになってきたためだ。
*「公文書館 地域の財産に」・『日本経済新聞』2008年11月15日

開設の理由はどうであれ、貴重な資料を保存する体制が整えられるのは大切なこと。千里ニュータウンにも公文書館ができたらなと思います。
それと同時に、人々の暮らしの記録ということを考えるならば、公文書とは見なされない日記や手紙、個人的な写真などの資料、あるいは、家具や食器など身の回りの品々を保存することも大切です。

人々の暮らしを記録するためには何を収集し、保存するべきなのか。収集したものを、どのような場で、どのような状態で公開するべきなのか。このことは、人々の暮らしを記録するとはどういうことなのかという大きな問いにもつながっていきます。

海外の郊外・ニュータウンでは、街開き50周年を記念してコミュニティ・ミュージアム(Community Museum)を開館しているところがあります。計画された「ニュー」タウンであっても、50年も経てば歴史になるということだと思います。

決して立派な施設である必要はなく、ささやかでも、子どもたちを含めた地域の人たちが気軽に立ち寄れるような場所。千里ニュータウンにこのような場所があれば。
千里ニュータウンはもうすぐまち開き50周年。千里ニュータウンの歴史を考えるよいタイミングだと思います。

(更新:2020年6月24日)