『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

コミュニティ・カフェにおける計画と研究者

2011年度の日本建築学会大会で、パネルディスカッション「『利用の時代』の建築とマネジメントを考える」が開催されます。

今までのように新しい建物をどんどん建てるのではなく、既にある建物を改修などによって、どのように上手く利用していくかが大きなテーマとなる「利用の時代」において、建築やマネジメントはどうあるべきか? をテーマとするパネルディスカッションです。

このパネルディスカッションの資料集に、「コミュニティ・カフェにおける計画と研究者」という文章を寄稿させていただきました。新千里東町の「ひがしまち街角広場」をはじめとする地域の場所は、まさに「利用の時代」を象徴する場所だと思いますが、このような場所への関わりを通して考えてきたことを書いた文章です。

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コミュニティ・カフェにおける計画と研究者

1.はじめに

近年、コミュニティ・カフェ、フリースクール、宅老所など筆者らが「まちの居場所」と呼ぶ場所が各地に開かれている*文1)。「まちの居場所」とは、子育て、教育、介護、あるいは地域情報の共有など、地域が抱える課題を、その地域で暮らす人々が自ら当事者となり解決するために開かれた場所である。
「まちの居場所」の特徴として、立ち上げの経緯に建築(建築計画)の専門家が関わっていない場合が多いことがあげられる。また、建築ストックが利活用されていることも多く、小松らは東海三県の131件の地域住民の居場所となる「交流の場」への調査を行うことで、その92%にあたる121件が既存建物の利用であることを明らかにしている*文2)。まさに「まちの居場所」は「利用の時代」を象徴する場所である。
本パネルディスカッション「『利用の時代』の建築とマネジメントを考える」においては「有り余る建築ストックを、利用者の視点から、どのように利活用していくか」が問題意識とされている。一方、筆者がこれまでに関わってきた「まちの居場所」は「このような場所が欲しい」という思いをきっかけとして開かれており、「有り余る建築ストック」を利活用するという問題意識から開かれているのではない。そのような問題意識がみられる場合でも、それはあくまでも付随的なものである。従って、本稿はパネルディスカッションの問題意識に添わない恐れがあるが、今後の建築・マネジメントのあり方を考えるためには、「利用の時代」を象徴する「まちの居場所」に注目することにも意味があると考える*注1)。
そこで以下では、「まちの居場所」の中でも、特に、著者が研究等を通して関わってきたコミュニティ・カフェを取り上げ、その特徴を記した後、そこに研究者はどう関わり得るのかについて若干の考察を行いたい。

2.コミュニティ・カフェとは

コミュニティ・カフェは、小規模であることが多いが、非常に多様な役割を担う場所になっており、その特徴を理解するためには、類似の施設だと捉えられることの多い公民館・集会所と比較するのがわかりやすい。
公民館・集会所は特定の目的を持った人々が訪れ、その目的を行うために、限られた時間帯だけ借りて利用する場所である。普段は鍵が掛かっていて、その時間だけ鍵を開けて利用するところもある。一方、コミュニティ・カフェは人々が気が向いた時にふらっと訪れ、お茶を飲んだり、居合わせた人とちょっとした話をしたりして過ごす場所であり、日常に根差していることが公民館・集会所との最大の違いである。日常に根差した場所であるがゆえに、自然と見守りが行われたり(「この数日、○○さん来てないなぁ。ちょっと様子を見に行ってこようか」というかたちでの見守り)、困った時にすぐ助けを求めることができたり、買物をする少しの間子どもを預けたり、地域情報を共有したりすることができる。
公民館・集会所と同様、コミュニティ・カフェでも特定の目的をもった人々が集まり、活動することがある。しかし、公民館・集会所では活動内容や参加するメンバーが、既存の地域団体の会合や○○教室というかたちで、あらかじめ決まっていることが多いのに対して、コミュニティ・カフェでの活動は、日々の話の中からやりたいこと・できそうなことを見つけ、賛同するメンバーを集め、活動を立ち上げていくというように、活動内容や参加するメンバーを見つける段階から始まるという違いがある。
コミュニティ・カフェの運営主体は、個人(写真1)、NPO、自治会など多様である。市の社会実験や(写真2)、府の事業など(写真3, 4)*注2)、行政の働きかけをきっかけとして開かれている場所もある。このように、運営主体もオープンの経緯も多様であるが、住民ボランティアによって運営されている場所が多く、その場合は飲み物が100円程度と安い値段で提供されている。

3.コミュニティ・カフェにおける計画

コミュニティ・カフェは運営主体やオープンの経緯が多様であることに加えて、その地域が抱える課題を解決するために開かれた、地域に根差した場所である。建物、内装や家具といった見た目、メニュー、運営方法も多様である。しかし、従来の建築の作られ方との違いに注目するなら、次のような特徴を見出すことができる。

○規模算定・機能配置から場所のしつらえへ

非常に荒っぽいことを承知で要約するなら、従来の都市・建築の計画とは、ある機能をもったスペースや部屋をどのくらいの面積確保するのかを決めることだったといえる。そして、計画により必要面積が割り当てられたスペースや部屋をどのように配置するのかを決めるのが設計だったといえる*注3)。
こうしたやり方においては、人々の暮らしは個々の機能として一旦バラバラに分解され、分解された機能ごとに面積が割り当てられ、再び組み合わされることになるが、このプロセスを経ることで漏れ落ちるものが生じる。例えば、気が向いた時にふらっと訪れ、お茶を飲んだり、居合わせた人とちょっとした話をしたりして過ごすことや、学校帰りに水を飲みに立ち寄った子どもに対して、居合わせた大人が声をかけることは、日々の暮らしにおいてはそれほど特別なことだとは思わないが、従来のやり方ではこのようにして過ごせる場所は実現できなかった。だからこそ、地域の人々が自ら当事者となってコミュニティ・カフェを生み出しているのである。次の発言はこの事情を端的に指摘するものである。

ニュータウンの中には、みんなが何となくふらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所はありませんでした。そういう場所が欲しいなと思ってたんですけど、なかなかそういう場所を確保することができなかったんです。(ひがしまち街角広場)

ただし、コミュニティ・カフェは決して自然発生的に生まれたものではない。「このような場所が欲しい」という切実な思いをきっかけとして開かれたものであるから、コミュニティ・カフェは場所を作っていくための計画が存在しないわけではない。
ここで、コミュニティ・カフェの運営に携わる方々の発言をいくつか紹介したい。

この喫茶店を始めるまで1人で喫茶店に入るのがすごく、こう好きじゃなかったんですね。・・・(略)・・・。じゃあ本を置けばいいかなって。本を置けば、「どうぞ見てください」っていうことだから、〔お客さんが〕自分の本を持って来て読んでても、安心して読んでられる。それで本を置いて。(とぽす)

「ヘルプ」って言った時にはぱっと飛び出せるっていうか。だけどもいつもいつも「大丈夫、大丈夫、大丈夫?」って聞いてたら、それこそあれよね。お互いにそれぞれが自分のところに座ってて、誰からも見張られ感がなくゆっくりしてられるっていう。だけども、「何か困った時があったよね」って言った時には側にいてくれるっていう、そういう空間って必要だなぁと思ってね。(とぽす)

大きなテーブルで周りにいるのもいいだろうと思うけども、やっぱりそんなん だったら、自分1人だけのテーブルでこうやりたい時もあるかもしれない。そ れは、その時々で自由に使いこなせるようなものがいいみたいに思いますね。(ひがしまち街角広場)

近所に喫茶店あるでしょ、・・・(略)・・・、喫茶店は経営の人が大変だし言うので、表の看板もご存知でしょうけど、「さくら園」としか書いてないんです。あれも私らで、自分らの実費で出したんですけど、「さくら園喫茶」っていうのは書いてないんですわね、なるべく書かない。・・・(略)・・・、値段のあれも、100円っていうの明示した方が入りやすいんじゃないかいうのも、それもやめて。100円喫茶っていうのも書かない。もう何もかも書かないいうことで、自然体でやって。(下新庄さくら園)

従来の規模算定・機能配置という意味での計画ではないが、運営の下敷きになる考えという意味での計画であることに違いはない。
ここで注目したいのは、これらの発言においては人間関係だけを抽出した「コミュニケーション」「地域交流」という抽象的な言葉が使われていないということである。どのような場所にしたいのか、そこで人々はどのように過ごすのか、居合わせた人とどのような関わりをもつのか、そして、内装や家具などの物理的なものをどうするのかが非分離のものとして言及されている。これを表現する概念・言葉として、山本のいう「しつらえ」*注4)が最も近いように思う。物理的な物をどうするかはもちろん重要であるが、それはあくまでも場所のしつらえの1つの側面に過ぎない。

○計画・利用の区別の消滅

コミュニティ・カフェにおいては計画がもつ意味が、規模算定・機能配置から場所のしつらえへと移っていることを見てきた。加えて、計画と利用の時間的な前後関係も従来の建築とは大きく異なっている。
コミュニティ・カフェでは、人手、運営資金、家具や備品などの準備が万全に揃ってから運営が始められることは皆無だと言っていい。その時点で使えるものを上手く組み合わせることで、自分たちで場所をしつらえ、とりあえず運営を始めるというやり方がとられている。自分たちでしつらえたものであるから、やってみて上手くいかなければやり方を変えることができる。つまり、完成した建築を利用する場合のように、計画のフェーズの後に利用のフェーズがあるというのではなく、その都度のしつらえの積み重ねとして場所が成立しているのである*文5)。

このようなやり方に対して、余った建築を使っているから(ゼロから建築を作るわけではないから)、そもそも規模算定・機能配置の余地がないだけであって、本来は規模算定・機能配置をするのが望ましいのではないか、という意見があるかもしれない。
だが、ここでコミュニティ・カフェが開かれるようになった背景をもう一度振り返りたい。
繰り返しになるが、人々の暮らしを機能に分解し、それぞれに必要な面積を割り当て、それを組み立てるというプロセスからは、暮らしにおいては当たり前のようにあってしかるべきだが、「はっきりと名付けようもない何か」が漏れ落ちてしまう。このような従来の計画手法に対する疑義から、コミュニティ・カフェは生まれていた。この、「はっきりと名付けようもない何か」は、漠然と思い描くことはできても、実際に場所を開いた後でしか捉えることができない、具体的な場所とセットでしか捉えることができないという性質を持つ(最初から捉えることができるなら、あらかじめ機能として抽出できるはずである)。筆者は「下新庄さくら園」を対象とする調査を通して、そこで目的とされている「ふれあい」の意味するものが、運営を通して活動への参加から多様な接触の許容へと変化していること、運営者はこのような歩みを振り返って「今、何でもに『ふれあい』付けますでしょ。だけど、ほんとの『ふれあい』ってここだと思う」と捉えていること、即ち、目的としたものの中身が運営を通して徐々に豊かになっていくという「目的(の中身)の事後的な形成」という現象を明らかにした*文6)。
次に紹介する言葉からは、それぞれ表現の仕方は異なっているが、運営を通して担う意味が変化し、豊かになっている様子が伺える。

ここは喫茶店なので人との出会いがその流れをつくっていっているんですよ。 人との出会いがつくっていってるので、「ちょっと待って」とは絶対私は言え ない。「そういう要求ならそれもやりましょうね」っていうかたちで、だんだ ん渦巻きが広くなっちゃうって言うかな。(とぽす)

あんまり場所づくりしたところで、こちらの押し付けがあったらだめなんです よね。だから、はっきり言えば来る人がつくっていく、来る人のニーズに合っ たものをつくっていく。こちらの押し付けはね、やっぱり無理なところがある と思いますね。(ひがしまち街角広場)

それもひとつの「ふれあい」をやりながらしていってる、幅がどんどん広がっ てる感じで、それはいいことだなぁと思って。こっちから何かしなくて もね、受けながら受けながらやっていったらねぇ、なんぼでもあると 思うよ。(下新庄さくら園)

従来の建築においては計画条件が最初に設定されるのに対して、コミュニティ・カフェにおいては利用を通して「これが私たちがやりたかったことなんだ」という気づきが事後的にもたらされる、言い換えるなら、「当初、計画したかったもの」が事後的に実現されるのである。
なお、従来の建築にもあらかじめ機能を割り当てないフリースペースや多目的に使える部屋が設置されることがあるが、こうした空間は何にも使えない・使われないということになりがちである。そうなってしまう大きな要因は「何にでも使えるように」と計画する人と、その利用者だと想定される人とが分離していることだと考える。以上でみてきたように、コミュニティ・カフェにおいては計画と利用との区分がない。従って、コミュニティ・カフェは、人々が単なる利用者という存在に貶められているところには成立しない。人々がその場所をしつらえる責任をもてる当事者、場所の主(あるじ)*文7)であることとセットでしか成立し得ないのである。
以上をまとめると、

  • やってみて上手くいかなければやり方を変えるというように、その都度のしつらえの積み重ねとして場所が成立しているという意味において、
  • 利用することそれ自体が、「当初、計画したかったもの」を事後的に生み出すという意味において、
  • 計画者と利用者とが別の存在ではなく、地域に暮らす人々がその場所をしつらえる責任をもてる当事者、主(あるじ)になっているという意味において、

コミュニティ・カフェでは従来の建築のような利用と計画との区別が見られない。立ち上げの際に余裕がないから規模算定・機能配置ができないのではなく、規模算定・機能配置という従来のやり方によってはコミュニティ・カフェは成立し得ないのである*注5)。

4.「利用の時代」における研究者

「利用の時代」を象徴するコミュニティ・カフェにおいては、計画が従来とは異なる意味をもっており、それはもやは専門家の専売特許ではない。
このような場所に対して、専門家が何かをなし得る余地は残されているのか。この点について何らかの道筋を示すことが求められているのかもしれないが、ここでそれを示す力は筆者にはない。そこで以下では、筆者のコミュニティ・カフェとの関わりを振り返ることで、これを考えていくための話題提供としたい。

○記録者として

コミュニティ・カフェにおいては利用を通して「当初、計画したかったもの」が事後的に実現されるとすれば、そこがどのように運営され、変化していったのかを記録することは、これまでにもまして重要となる。場所の歩みの歴史は、折りに触れて参照されることで、人々がそこで生み出されたものの価値を確認するための手がかりとなる。運営の引き継ぎ等の際にも、その価値を確認・共有するための手がかりとなる。
もちろん、コミュニティ・カフェに関わる地域の人々自身が第一の記録者であるが、多様な側面から記録するという意味では、外部の存在である研究者の出番はありそうである。外部の視点からの記録により、地域の人々が気づいていなかった価値を示すことができるかもしれない。
筆者が関わるグループ「千里グッズの会」では、2005年と2007年に「ひがしまち街角広場」のアーカイブを編集した(図1)。「ひがしまち街角広場」に関する論文、雑誌記事、新聞記事、運営日誌、写真などを冊子として編集したものである。内容や冊子という媒体の是非については検討の余地があるが、「ひがしまち街角広場」が生み出してきたものを確認し、その価値を共有するための1つの手がかりになっていると考える。
どのような研究にも、何らかのかたちで現象を記録するという側面がある。そう考えると場所を記録することは、研究者が得意とする分野のはずである。ここで留意すべきことは次の点である。建築の研究では物理的な側面のみを抽出して(他の側面を捨象して)、その影響を過大視して捉える傾向がみられるが、物理的な物は場所を捉えるための1つの側面に過ぎない。物理的な側面だけに注目するのではなく、多様な側面から場所の価値を浮かび上がらせることのできるような調査方法、記述方法を研鑽し続ける必要である。

○媒介者として

2005年に「まちの居場所」の運営に携わる方々を招いて座談会を行った(写真5)*文9)。例えば、コーヒーをメリタ式でいれるか、カリタ式でいれるかという話で盛り上がるなど、座談会は長時間に及んだが、この座談会でのやりとりを聞いていて、運営に携わる人同士はいくらでも情報交換することがあるのだという思いを抱いたのを覚えている。
「狙いは明確で、今まさに「居場所」作りに取り組んでいる人、あるいはこれから取り組もうとしている人に向けられている。介護施設や喫茶店などを紹介するケーススタディでは、間取りをはじめとした立地情報や実際の利用風景などが多数の図版とともに紹介されており、具体的なマニュアルとして大いに役立つはずである」*文10)。これは冒頭で触れた書籍『まちの居場所』*文1)についての書評である。この書籍は複数の研究者が、自身がフィールドとする「まちの居場所」の魅力を記述するというスタイルをとっているが、ある場所についての記録は、他の場所の人々にとって参照することのできるマニュアルとなり得るのである。マニュアルというと画一的なものを押し付けるというニュアンスがあるため、一部をつまみ喰いしたり、自分たちでアレンジする余地のある道具箱・素材集のようなものだと表現する方がよいかもしれない。
この時、結果として研究者は場所と場所とを媒介する役割を担っている。それぞれの地域に根差した「まちの居場所」が同時多発的に生まれている「利用の時代」においては、佐々木の表現を借りるなら、情報は「人から人へと、人のつながりを介してしか流れない」*注6)。そうであるなら、研究者はこの媒介者としての役割を積極的に引き受けたい。既に何者かによってオーソライズされたものを紹介するのではなく、研究者個々人が目利き、あるいは、「キュレーター」*文11)となれるよう、場所のしつらえについての感覚を磨く必要がある。

○伴走者として

コミュニティ・カフェと継続して関わっていると、相談を受けたり、意見を求められる機会があるかもしれない。その際は、今ある資源を上手く組み合わせて、場所を成立させるためのやり方を提案できればよいと考える。ただし、研究者の役割は運営を成立させるための必要条件を提示することではない。また、研究者の提案も1つの視点であって、その意見が他の人の意見よりも優越するわけではないことは当然のことである。
その場所の一員のように受けとめてもらえることに喜びを感じつつ、同時に、外部の視点も持ち続ける存在であり続けることができるなら、研究者はその場所に対する伴走者になっていると言えるかもしれない。ただし、舟橋が指摘する通り、研究者が自らを「伴走者」と名乗ることはおこがましい*文12)。研究者が伴走者であるとは、他の人から「あの人は、伴走者になってくれている」と思われているという状態を言うのかもしれない。

5.まとめ

「『任せる社会』から『引き受ける社会』」への転換*文13)、「『任せる政治から、引き受ける政治へ』あるいは『(市場や国家など)システムへの過剰依存から、共同体自治へ』」*文14)。311東日本大震災はこうした流れを押し進めることはあっても、押し戻すことはない。地域で暮らす人々自らが主(あるじ)となって、地域が抱える課題を解決するために開かれた「まちの居場所」も、こうした流れの1つの具体的な現れである。
311東日本大震災の後、新潟大学岩佐研究室による「仮設のトリセツ」という取り組みが行われている。これは、2004年2007年の7.13水害、中越地震、中越沖地震により仮設住宅で暮らすことを余儀なくされた人々との関わりを通して、「当時の仮設住宅にお住まいになっている方々からお教え頂いた『仮設の知恵』」を、今度は311東日本大震災の被災者に対して提供するというものである。ウェブサイト上では、「マグネットは仮設の友達」「ロープで即席ランドリー」「プチプチで結露カット」というように、仮設住宅を住みこなすための知恵が紹介されている*注7)。この提案が説得的で信頼されるのは、単なる専門家の思いつきではなく、中越地震に遭われた人々の暮らしに関わり、寄り添うことを通して得られた記録に基づくものであるからだと考える。記録者であること、媒介者であること、伴走者であること。本稿を執筆するにあたり「仮設のトリセツ」を大いに参考にさせていただいた
記録者であること、媒介者であること、伴走者であることに対しては、「それは、建築(建築計画)の研究者の役割なのか?」という意見もあるだろう。しかし、従来の計画論とは異なるやり方で「まちの居場所」が各地に開かれている現在、これらの場所と関わること、これらの場所から学ぶことを優先するべきであり、建築(建築計画)の研究者の役割が何かを定義することは後回しにしてもよいと考える。
最後に、調査方法や記述方法を研鑽すること、場所のしつらえについての感覚を磨くこと、それぞれの場所の一人ひとりと誠実に向き合うこと。これらはそれほど特別なことではなく、研究の基本となるものである。「利用の時代」を迎えたからといって、研究者がこれらの基本を手放す必要はないし、研究者の役割が大きく変わるとも思わない。

  • 注1)「有り余る建築ストックを、利用者の視点から、どのように利活用していくか」という問題意識は、まだ「従来の供給者主導」の理論の範囲内にあるのではないだろうか。
  • 注2)現在、大阪府の府営住宅では「ふれあいリビング」の整備事業が行われている。最初の「下新庄さくら園」が開かれたのは2000年であり、2010年時点で18カ所の府営住宅に「ふれあいリビング」が開かれている。
  • 注3)もちろん、このような計画・設計概念を乗り越える試みはこれまでにも多数行われてきた。例えば、青木はこのような計画・設計によって生み出される建築を「遊園地」と呼び、そうではない「原っぱ」を生み出すための計画・設計のあり方を提示している(文献3)。
  • 注4)山本は文献4において次のように述べている。「ホスピタリティは「もてなし」ではない、むしろ《しつらえ》である。人と人との関係が成立しうるために、場を〈しつらえる〉のだ。モノによって雰囲気によって、言葉にならぬものによって《しつらえ》がなされる。つまり、人とモノと場所とが非分離になる環境がしつらえられることである。したがって、ホスピタリティは「コミュニケーション」ではない。ある場の《気》をつくりだすことだ。「気に入る」「気がおちつく」「気がやすまる」場をつくりだす」。
  • 注5)垣野はフリースクールの建築は「予定調和的な空間」計画が不可能であることと、スタッフから「「空間の使い方に正解はない。常時仮設の状態こそ、フリースクール的教育理念の現れだ」という、制度化されない姿勢が読み取れる」ことを述べている(文献8)。
  • 注6)佐々木は文献11において次のように述べている。「マス消費が消滅し、新たなビオトープが無数に生まれてきている情報圏域においては、情報の流れかたは決定的に変わります。それは人から人へと、人のつながりを介してしか流れない」。
  • 注7)http://kasetsukaizou.jimdo.com/

参考文献

  • 文1)日本建築学会編『まちの居場所』東洋書店, 2010
  • 文2)小松尚, 辻真菜美, 洪有美「地域住民の居場所となる交流の場の空間・運営・支援体制の状況地域住民が主体的に設立・運営する交流の場に関する研究 その1」・『日本建築学会計画系論文集』No.611, pp.67-74, 2007.01
  • 文3)青木淳『原っぱと遊園地』王国社, 2004
  • 文4)山本哲士『ホスピタリティ原論』新曜社, 2006
  • 文5)田中康裕, 鈴木毅, 松原茂樹, 奥俊信, 木多道宏「日々の実践としての場所のしつらえに関する考察「ひがしまち街角広場」を対象として」・『日本建築学会計画系論文集』No.620, pp.103-110, 2007.10
  • 文6)田中康裕, 鈴木毅, 松原茂樹, 奥俊信, 木多道宏「「下新庄さくら園」における目的の形成に関する考察コミュニティ・カフェにおける社会的接触」・『日本建築学会計画系論文集』No.613, pp.135-142, 2007.03
  • 文7)田中康裕, 鈴木毅, 松原茂樹, 奥俊信, 木多道宏「コミュニティ・カフェにおける「開かれ」に関する考察主(あるじ)の発言の分析を通して」・『日本建築学会計画系論文集』No.614, pp.113-120, 2007.04
  • 文8)垣野義典「建築・教育の制度境界におかれる子どもの居場所」・『建築雑誌』Vol.126, No.1619, 2011.06
  • 文9)白根良子, 滋野淳治, 赤井直, 小松尚, 司会:鈴木毅「公共の場の構築:住民の手による場所づくりの試みから見えてくるもの」・『建築雑誌』Vol.120, No.1533, pp.22-27, 2005.05
  • 文10)下沼英由「「居場所」の確保は、「余地」を面白いと思うか、無駄と思うかにかかっている」・『図書新聞』3018号, 2011.06.18
  • 文11)佐々木俊尚『キュレーションの時代』ちくま新書, 2011
  • 文12)舟橋國男「「サードプレイス」考」・『建築と社会』Vol.92, No.1069, 2011.04
  • 文13)神保哲生「震災と原発事故が私たちに突きつけたもの」・神保哲生, 宮台真司ほか『地震と原発 今からの危機』扶桑社, 2011
  • 文14)宮台真司「「どう生きるのか」という本当の問いに向き合うとき」・神保哲生, 宮台真司ほか『地震と原発 今からの危機』扶桑社, 2011

(更新:2015年月12日30日)