『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

コミュニティ・カフェを通して、個人が地域や社会と関わる

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地域の人々が気軽に訪れ、お茶を飲みながら話をしたり、様々な活動ができる場所としてコミュニティ・カフェ(まちの居場所)が各地に開かれています。これらの場所でキーワードとなるが「居場所」という言葉。①ゆっくりできる、安心できるという意味と、②活動に参加できる、自分の役割があるという意味。「居場所」にはには大きく分けると、この2つの意味があると言われます。

コミュニティ・カフェにもこれに対応した2つの役割があると言えそうです。①地域の人が気軽に立ち寄れて、思い思いに過ごせる場所、見守ってもらえたり、助けを求めることができる場所。そして、②地域の人それぞれが様々な活動をしたり、役割を担いながら、自分たちで作っていける場所。①を実現するために、毎日運営したり、飲み物を安い値段で提供したりすることが考えられていますし、②を実現するために様々な活動の機会を提供したり、主客の関係が固定的にならないようにしたり、最初から全てを決めないで徐々に作り上げていくというスタイルで運営したりということが考えられています。

ただし、①だけが前面に出てしまうと、安い値段でコーヒーが飲めるだけの場所になってしまう。②だけが前面に出てしまうと、何らかの活動に参加しない人は行きづらくなってしまったり、与えられたプログラムに参加する人だけが集まる場所になってしまう。コミュニティ・カフェは(安い値段でコーヒーが飲める)カフェではないし、集会所や公民館、カルチャーセンターでもありません。その意味で、コミュニティ・カフェでは、①と②のバランスをとる必要があるのだと思います。

先日、高齢社会をテーマとするラウンドテーブル形式のミーティングで、「単に(高齢者)個人が生き生きと暮らすのではなく、個人がどう社会と関わるかという視点が大切だ」という発言をされた方がいました。これはコミュニティ・カフェにも通じる発言だと思います。コミュニティ・カフェは、人々が与えられたサービスやプログラムを受けることで楽しんだり、生き生きできるだけでなく、人々が地域や社会と関わり、少しでも地域や社会をより良いものにしていくための媒介となること。個人を地域や社会に媒介するためにこそ、①と②のバランスをとることが大切なのだと言えます。

「居場所」とは、個人の中で完結するものではなく、他者とのつながりにおいてこそ実現されるものだと言われることがあります。まさにこの意味で、コミュニティ・カフェはまちの居場所になり得るのだと思います。

(更新:2015年8月15日)