『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

高齢者が暮らしやすい地域とは

小さな子どもの頃、よく祖母に近所の神社に連れて行ってもらっていました。持参した食パンの耳を、鳩にあげていた光景も覚えています。当時、祖母は70歳前後。子どもにとって祖母という存在は、親のそのまた親ということで、ものすごく歳上の存在だと感じていましたが、今、「ひがしまち街角広場」や「居場所ハウス」で接している方々の顔を思い浮かべると、70歳でもまだまだ元気な方もいるし、そうでない方もいる。優しい言葉遣いの方もいるし、厳しい口調の方もいるし。何歳になっても人は様々だというように、70歳という年齢が身近に感じるようになりました。
自分自身が歳をとったせいもあると思いますが、このように思えるのは、固有の顔と名前をもった方々を具体的に思い浮かべることができるからこそ。

現在社会では、高齢者は弱い存在だと見なされるし、歳をとりたくない、高齢者施設に入りたくないと思う方も多い。こうした社会に対して、歳を重ねた人には長年生きてきた知恵があるし、歳をとっても担える役割はある。それぞれができることを持ち寄れば、地域で堂々と豊かに暮らせる。こうした理念を大切にして「居場所ハウス」は運営しています。この理念は、弱者ではなく、豊かな知恵をもった存在へというように、歳をとることが持つ意味を反転させるものだと言えます。

しかし、単なる理念ではなく、具体的な実践をしている「居場所ハウス」では、もう一歩先へいけるのではないかと考えています。

歳を重ねた人が豊かな知恵や技術をもっているとしても、若い世代が無知で、無力なわけではありません。若いからできることも多い。上の世代から下の世代へと伝えることができることもありますし、逆に、下の世代から上の世代へと伝えることができることもあります。

高齢者を弱い存在だと見なすことも、それを反転させて、高齢者を豊かな知恵をもった存在だと見なすことも、年齢を基準にして人を見ているという点では変わりありません。でも、固有の顔を名前をもった相手との関係を築いていくと、ある時から(歳上である、歳下であるという意識が消えるわけではないが)その人と接する上で年齢が一番重要な要件でなくなってくることがあります。歳上だから、歳下だからというのではなく、固有の顔と名前をもった○○さん、○○さんとして接している、というように…

高齢者が暮らしやすい地域とは、高齢者が弱者だと見なされる地域でも、高齢者でも頑張れると背中を押される地域でもなく、高齢であることを意識せずとも暮らせる地域、誰もが年齢によって評価されない地域ではないか。

歳をとることの意味を反転させるだけでなく、歳をとることが人間関係において最重要でなくなる地点へ。具体的な場所として運営している「居場所ハウス」にはそのような意味があると思います(そのためにも、まずは高齢者が力を発揮できる場所という理念によって、まず具体的な場所の運営をスタートさせるしかない)。地域の人々が○○さん、○○さんというように固有の顔と名前をもった存在として出会い、関係を築いていくことで、誰もが年齢によって評価されることのない、本当の意味で暮らしやすい地域につながればと考えています。

*もちろん、具体的な場所として運営していればよいわけではありません。「居場所ハウス」では人々が先生と患者、店員とお客さんなどの役割として出会うわけでなく、互いに地域に住む人として出会えるということが大切だと思います。ただし(但し書きが長くなりますが)先生と患者、店員とお客さんという役割から始まった関係でも、関係を重ねていくと、ある時点から役割が関係において最重要でなくなることがあるかもしれません。そういう意味では、やはり具体的な場所として運営することが大切なのだと思います。

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