『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

地域の居場所について:90代の女性から教わったこと

「居場所ハウス」に毎日のように来られていた90代の女性が亡くなられたと伺いました。オープン当初から足を悪くされるまでの2年半ほど、ほぼ毎日のように来られていた方です。

細浦港から船に乗って嫁入りをしたことなど、色々な話を聞かせてくださいました。同時に、地域にはどのような居場所が必要かについても多くのことを気づかせてくださいました。
特に印象に残っているエピソードがあります。

この女性は時々、自分には何もできないからと「居場所ハウス」に砂糖や小麦粉を差し入れてくださっていました。毎日来ることのできる大切な場所だから、何らかのかたちで貢献したいと考えておられたのだろうと思います。
人は何歳であろうと一方的にお世話をされるだけでは嫌で、自分にできる何らかの役割を担えることが喜びになること、そして、役割を担えているという実感により、そこが自分の居場所になっていくことを気づかされました。

この女性の家は「居場所ハウス」が見える位置にあります。「居場所ハウス」に来れない時も、煙突から薪ストーブの煙があがっているのを見ると、みんないるんだなぁと思うと話されていました。
たとえ場所を訪れなくとも、具体的に目に見える形として場所が存在していること(存在しているのを認識できること)それ自体が、人に安心与えるのだということも、この女性から気づかされたことです。