『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

その時々の活動を積み重ねること

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ある方から「居場所ハウス」の運営について、物が先にあったからそれを活用するために活動をしているのか? それとも、ある活動をするために物を入手しているのか? という趣旨の質問がありました。例えば、「居場所ハウス」で行っているひな祭りについて、雛人形があったからひな祭りをすることになったのか? それとも、ひな祭りをするために雛人形を入手したのか? と。
「居場所ハウス」の運営をみていると、このような分類はいずれも当てはまらないと感じます。「居場所ハウス」ではオープン当初に雛人形を寄贈していただきました。雛人形があったから、ひな祭りの時に展示できたというのは事実です。

けれども、最初からこの雛人形をひな祭りのイベントに活用することを考えていたわけでもありません。2014年になってからメンバーの1人の提案がきっかけとなり行うことになったひな祭りでは、紙芝居の読み聞かせをする、雛人形の前で記念写真を撮る、子ども限定のカラオケ大会を開催する、ひな祭りらしい軽食を食べてもらう、昔ながらの土人形を展示するなどを行いました。雛人形を展示することだけを考えてひな祭りが企画されたわけでもありません。
質問してくださった方には、物があることが前提になるが、かといってその物を活用するために活動をしているわけでもない、という返事をしました。

ひな祭りだけでなく、農園での野菜作りでも、屋外にキッチンを増築しての昼食の提供でも、「居場所ハウス」の運営全般に当てはまりますが、ある物を利用するために活動しているのではありません。その時々で可能なものを利用しながら活動を行っていますが、重要だと思うのは、ある活動を行う時に「そう言えば、○○があった、○○が使えそうだ」というように、(それまで意味があるとは認識されていなかった色々な)物の価値が(再)認識されるということ。以前、同じようなことを書きましたが、こうした活動の積み重ねによって、徐々に地域にある物が豊かな意味をもち始めるのだと思います。