『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

山岸仮設に世界青年の船のメンバーが来訪

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2015年2月11日(水)、大船渡市末崎町の山岸団地(山岸応急仮設住宅)に世界青年の船」のメンバーが研修・交流のためにやって来ました。「世界青年の船」は内閣府のグローバルリーダー育成事業(Ship for World Youth)として実施されているもので、今年は日本のほか、バーレーン、ブラジル、インド、ケニア、ニュージーランド、オマーン、ペルー、スリランカ、トルコ、イギリスの18〜30歳の若者が約200人が参加しているとのことです。
山岸団地にやって来たメンバーは23人。10時過ぎ、山岸団地に到着したメンバーは、集会所で東日本大震災直後の状況、避難所での暮らし、仮設住宅での暮らしについての話を聞きました。この後、空室となった仮設住宅の住戸を見学しました。

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山岸団地からは、山岸団地の住民と支援員に加えて、既に山岸団地から移転した人も参加。お餅をついて「世界青年の船」のメンバーを迎えました。「世界青年の船」のメンバーは、餅つき体験をした後、山岸レディース(山岸団地の婦人部。今住んでいる方と既に移転した方が参加)の方々が手際よくお餅を丸めていくのを眺めていました。できあがったばかりのお餅も昼食に。

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昼食の後、山岸レディースの何人かが「がんばるぞ大船渡」を踊り、そのお礼として「世界青年の船」のメンバーがスリランカ(?)の踊りと、ニュージーランドのマオリ族の踊りを踊ってくださいました。
13時45頃、「世界青年の船」のメンバーが大船渡に向けて出発。みなさんは、この日16時に大船渡を出港し、東京に戻るとのことです。

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東日本大震災の被災地での研修として、聞かせていただいた避難所や仮設住宅の話は、将来生じる大震災への対応のためにも貴重な話ですので、ここでも少しご紹介させていただきます。

・末崎小学校体育館の避難所には200人以上が避難した。仮設住宅が5月22日に完成するまで、避難所での生活を続けた。
・震災の日、学校の先生が調理室などの学校設備を開放してくれた。また、阪神大震災と違って末崎町は地震被害はそれほど受けず、津波で流されていない家から毛布、灯油、米などを集めることができた。そのため、震災の日からおにぎりを食べることができた。
・水洗トイレには、学校のプールの水をペットボトルに入れて置いておき、それを利用して流した。
・地震の時は、電気が使えなくても成り立つ昔の生活スタイルだとあまり困らないと思った。
・学校の空き教室を活用して備蓄をすればいいのではないかと思う。自分たちで3日間過ごせる物資を蓄えておけば、その後は他からの物資が届き始める。
・小学校の校庭の半分をあけて、学校にあるライン引きで○にHと書いていた。そうすると予告なく、アメリカ軍のヘリコプターが降りてきて、物資を置いていってくれた。
・避難所には末崎町の人が避難していたが、同じ末崎町内でも中には互いに知らない人もいる。互いに知らない人が、それぞれが勝手に行動すると避難所を運営できないので、トレイ掃除、炊事、物資担当など避難所のルールを作った。
・末崎小学校の体育館に避難した人が、そのまま小学校校庭に建設された山岸団地に入ったので、避難所から仮設住宅への移転もスムーズにいった。
・仮設住宅も同じ地域の人が集まっていれば運営しやすい。だから、同じ地域の人同士が、小規模で仮設住宅に入ることを考えた方がいいと思う。
・震災の時は他の人を頼りにせず、まず自分たちで動くしかない。自分たちでやれることをまず自分たちでやることが大切だと思う。

今後に伝えておくべき大切なことだと思います。もちろん、大船渡市末崎町と他の地域とでは事情が異なります。例えば、大都市では、同じ地域と言っても知らない人ばかりという状態。そのため、いくら同じ地域の人同士が集まったとしても、末崎町でできたようには避難所や仮設住宅が運営できない恐れもあります(同じ地域に住んでいるという意識自体が末崎と大都市では異なる)。
そうならないようにどうすればいいか? 素朴な考えかもしれませんが、同じ地域に住んでいる人とは日頃から顔見知りになっておこう、ということに尽きるのかもしれません。