『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

「不完全であること」という理念がもつ意味の違い

ワシントンDCの非営利法人「Ibasho」が掲げる理念の1つで、大船渡「居場所ハウス」の運営理念にもなっているものの1つに「Embracing Imperfection(完全を求めないこと)」があります。
地域での暮らしというのは完全なものではない。無理に完全な場所を目指そうとすれば、暮らしから大切なものが漏れ落ちてしまう。だから、一度に完全な状態を目指そうとせず、その時の状況に応じて、試行錯誤によって少しずつ地域での暮らしを実現していけばいい。この理念にはこうした意味がこめられています。

今回ネパールを訪問して感じたことは、もしかしたらDeveloped Country(先進国)とDeveloping Country(発展途上国)とではこの理念にある不完全であることが違う意味合いをもってしまうのではないかということです。

先日書いた内容にも関連しますが、日本を含めたDeveloped Country(先進国)は既に社会の枠組みが作りあげられた国。そして、日本で今、課題になっているのは、一度は作りあげたはずの枠組みから漏れ落ちているものが多いということ。例えば、2000年頃から各地にコミュニティ・カフェなどの居場所が開かれているのは学校、公民館、病院、福祉施設など既存の施設(Institution=制度)の枠組みから漏れ落ちてしまった暮らしの豊かさを実現しようとする動きだと考えることができます。
Developed Country(先進国)における「Embracing Imperfection(完全を求めないこと)」は、まさにこの理念が否定形で表現されているように、既存の状態を一度否定するという意味合いをもつ。

一方、Developing Country(発展途上国)は、今まさに社会の枠組みが作りあげられつつある国。こうした国では完全な枠組みがまだ確立されていないために、社会の枠組みを作ろうとして様々な試行錯誤が行われている。Developing Country(発展途上国)における「Embracing Imperfection(完全を求めないこと)」とは、こうした試行錯誤の背中を押すという意味合いをもつ。

既存のものを一旦は否定するという迂回路をとるのか、現状の試行錯誤をそのまま肯定できるかの違い。
水道、電気、ネットなど基本的なインフラが十分に整備されておらず、不便なことが多いにも関わらずネパールを訪れた時に感じた自由な雰囲気というのは、このあたりに関係があるのかもしれません。
ただし、こうした意味の違いが生じる可能性があるにせよ、大切なことは、地域での暮らしを作り上げるという行為を自分たちの手元においておくことだと考えています。