『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

地域で研究者が担える役割

研究者というと、一般の人には理解できないような難しいことを考えている人、あるいは、日々の暮らしには役に立たないことを考えている人というイメージがあるかもしれません。もちろん、みなに容易に理解できない専門的な知識をもっているのは重要であり、また、目先の利益にとらわれず長い目でより良い社会の実現を実現に貢献することは重要だと思います。ただし、地域に関わりながら調査をしている(させていただいている)と、研究者は地域でどのような役割を担えるのだろうかと考えずにはいられません。
先日、ネパールを訪問した時、分野は別でしたが1人の研究者の方が、最近、地域主導の調査(Community-Driven Research)の重要性が言われ、みなそのような調査をしているけれど、地域に根ざした調査のアウトプットはどうあるべきかについては十分には考えられていない、という趣旨の発言をされていました。
この話を聞いて、研究者は地域とどのような関係をもてるかをきちんと考える必要があると感じました。

以前、「コミュニティ・カフェにおける計画と研究者」という文章において、研究者は地域で①記録者、②媒介者、③伴走者の3つの役割を果たせるのではないかと書いたことがあります。
この点について考えが大きく変わったわけではありませんが、「居場所ハウス」に関わったり、フィリピンやネパールに行ったりしたことを振り返って、改めて研究者は地域でどのような役割を果たせるのかを考え直しました。


①記録すること

研究には様々なスタイルがありますが、地域で生じていることを様々なかたちで記述し、記録するという共通点があると思います。
自身で行う調査に加えて、研究を進める上では様々な資料を集めることになります。例えば統計資料や新聞記事を集めることもあれば、地域の人から話を聞くこともあります。このように様々なかたちで集めた情報は地域にとっても貴重な記録。研究をすることは、地域を記録することにつながるのだと考えています。

②編集・表現すること

研究を通して集めた様々な資料は、地域にとっても貴重な記録であるため、これをどうやって地域に還元するかを考えることは大切なことだと思います。
例えば、東日本大震災後、被災地では(時には同じような)多くの調査が行われたようですが、地域の人から「自分たちが回答した調査の結果はどうなったのだろうか?」という声があがるということは、調査結果が地域には還元されていないことの現れ…
地域から得た資料は、やはり何らかのかたちで地域に還元すべきなのだろうと思います(もちろん論文を書くというのも還元の1つのかたちにはなると思いますが)。そのためには収集した様々な資料をまとまりのある情報にするために編集したり、効果的に還元するための表現方法を考える必要がある。
収集した資料に手を加えず、そのままの状態で地域に還元するという場合もあり得ると思います。しかし、資料に手を加えないとしても、その資料をどこに保管し、どうやって公開するのかということは最低限考える必要がある。こう考えると、研究結果を還元することは(論文を書くことも含めて)情報を編集したり、表現したりすることとセットであり、この点(特に情報の編集)については研究者が得意とする仕事だと思います。
以上はやや一般的な内容でしたが、地域をとりまく以下のような状況もあると考えています。これまでの研究(建築計画の分野の研究)では事例から重要なポイントを抽出し一般化することが行われてきました。一般化することは重要だと思いますが、一般化の過程で大切なものが切り捨てられてきたのではないかという気もします。
特に現在、各地で起きている「まちの居場所」については、多くの事例から一般化できるものを抽出して規準書を作るのではなく、ある場所を様々な角度から記述する辞書のような情報が求められるのではないかと考えています。「まちの居場所」において蓄えられた知恵は、規準、あるいは、マニュアルではなく、辞書の中から気になった部分をピックアップし、地域の状況に応じて組み合わせることによってこそ、生かされるのではないかという気がします。「居場所ハウス」についての記事をSNSサイトに投稿したり、活動のあゆみを編集したりするのも、不十分かもしれませんが様々な角度から「居場所ハウス」が生み出したものを記述することに少しでも役立てばと考えています。

③媒介すること

地域にある程度の期間にわたって関わる研究者は、地域の人間でもなく、かといって全くの外部の存在でもない。だから、地域の人と地域外の人とを媒介できる可能性があります。ただし、地域内外を媒介するだけにはとどまらないと考えています。地域の人々と関わりながらも、完全に地域の人間ではないという曖昧な立場であるからこそ、かえって地域内の人同士を媒介できる可能性がある。このことは「居場所ハウス」に関わっていて実感したことです。
研究において、人々を媒介するというのは副次的なことだと思われるかもしれませんが、自分が地域でどのような関係の中にあるかを意識しておくことは、研究において重要な意味をもつと考えています。
例えば、アンケート調査を分析する際は客観的な操作をしているのに、そのような内容をアンケート調査で質問する意味があるのか? という違和感を感じることがあります。調査の分析は客観的なのに、調査が生まれたプロセスは全く客観的ではないという違和感。
研究において大切なことは、(研究内容を客観的なものにしておくのは当然として)その研究がどのような関係において成立しているのかも客観的に捉えておくこと。だからこそ、全てを客観的なものにすることは不可能だとしても、自分は地域でどのような関係をもっているのかを意識しておくことが大切なのだと思います。


というようなことを考えていましたが、改めて読み直すとここに書いたことは通常、研究者に求められる役割とはズレている気がします。
ですので、ここに書いたのは研究者はこういう役割を果たさなければならないという主張ではありません。研究者は地域でこういう役割を担える可能性があるということで、個人的には不十分でもこういう役割を意識しておきたいと考えています。