『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

プロジェクトにおけるワークショップ:ネパールでの取り組みより

160712-122329

2016年7月12日(水)、前日に引き続きネパールのマタティルタ(Matatirtha)村で2日目のワークショップを開催しました。この日のワークショップの目的は、先日あげられた①鉢植え植物の栽培(Potted Plant)、②農園(Vegetable Farming)、③堆肥作り(Compost)、④ハンドクラフト(Handi Craft)の4つの活動について、具体的にどのような順序で進めていくのかを話し合うこと。

ワークショップには女性グループ(Mahila Samuha)のメンバー、地域の高齢者、高齢者住宅で暮らす高齢者らの大人が約20人と、前期中等教育の学校(Lower Secondary Schoolで11〜13歳の子どもが通学する)の子ども14人が参加。

ワークショップの初めにIbasho/Ibasho JapanのKさんは、先日描いた4枚の画用紙を参加者に見せながら、鉢植え植物の栽培、農園、堆肥作りの3つは関連する活動なので、1連の活動として行うこととし、初めから堆肥作りから始めるのはどうかと提案しました。堆肥作りなら明日からでもスタートできるとKさん。
この提案を受けて、参加された地域の方々の話し合いが始まりました。現地の言葉であったため話の詳細な内容はわかりませんでしたが、後で聞いたところ、この土地で行ってはどうか? 誰が責任をもって活動するのか? 活動のためには資金が必要ではないのか? などについて話し合いがなされていたようです。

議論はなかなか尽きそうにありませんでしたが、Kさんから、これから取り組む活動は収入を得たり、友人を作ったりと自分たちのためになる。けれどそれだけでなく他者のため、特に子どもたちのためでもあるという話。子どもたちは、地域の大人がグループで活動する姿を見ているし、これらの活動は子どもたちに生活の技術を伝えることにもつながる、とKさん。

Kさんは堆肥作りについて描かれた画用紙をみなに見せながら、堆肥に作りに対して自分にできることを1つずつあげて欲しいと伝えました。それぞれの参加者は自分にできることを1つずつあげていきましたが、大人だけではなく、子どもたちからも、ゴミの分別をするなどの意見がありました。

160712-133008 160712-134300 160712-134948 160712-141321

ワークショップの最後に、2つお願いがあるとKさん。1つは、女性グループ(Mahila Samuha)、高齢者、子どもたち、それぞれのグループごとに1〜2人ずつ活動のリーダーを決めて欲しいということ。もう1つは、次のミーティングには、それぞれが1人ずつ新しい人(高齢者)を連れて来て欲しいということ。1時間ほどでワークショップが終了。昨日と同様、この日も高齢の男性が楽器を演奏してくださいました。

160712-144117 160712-144601

ネパールから帰国後、コーディネートを担当してくださっている現地のソーシャル・ベンチャーBihaniの方が村を訪問した時に開かれたミーティングでは、地域の方はそれぞれ知り合いを誘ってきてくださったとのことです。そして、これから堆肥作り、農園、鉢植え植物の栽培をするための土地を決めるとのこと。
2日目のワークショップの目的は、具体的にどのようにプロジェクトを進めていくかを話し合うことでした。ワークショップの1時間半の間に、具体的な結論が出たわけではありません。けれども、次のミーティングには知り合いを誘ったという話からは、地域の方はプロジェクトに対しては前向きであることが伺えます。

この出来事からはワークショップについて色々と考えさせられます。プロジェクトにおけるワークショップの目的は、ワークショップが終わった後に、参加した人々の意識や行動が何らかの形で変化することだと言えます。
ワークショップの時間内に結論が出ることは、必ずしも良いワークショップであることの条件にはなりません。ワークショップの時間内に、綺麗にまとまった結論が出されたとしても、ワークショップ後に参加した人々の意識や行動が何も変わらなければ意味がない。この場合、ワークショップを開いたことが、プロジェクトを進めるためのアリバイとして用いられる恐れもあります。

繰り返しになりますが、ワークショップの時間内には明確な結論は出なかったけれども、ワークショップ後に参加した人の意識が変わり、実際に何らかの動きが生まれることが、意味あるワークショップ。だとすれば、ワークショップとは、その時間内だけで成否が評価されるべきものではなく、その後どのような動きが生まれたかによって事後的に評価されるべきものだと言えます。
だから、場合によっては過剰にワークショップを仕切ったり、無理に答えを出そうとしたりしないことも必要となります。もちろん、このことはワークショップで何もしないこととは異なります。あえて仕切らない、あえて結論をオープンにしておくという「あえて」という振る舞い。

あえて手を出さないことにより、地域の人々の自発性が発揮される(こう書くと魔法のようですが…)。ワークショップを通して、地域の人々とそのような関係を築いていくための方法(Ibasho Japanのメンバーの表現を借りれば「作法」と言ってもよいかもしれません)を蓄積することが求められているのではないか。ワークショップを上手くまとめるための方法論ではなく、ワークショップ後に地域の人々の自発性が醸成されるような関わり方、作法。Ibasho Japanではこうしたことを蓄積していきたいと考えています。

(更新:2017年1月5日)