『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

外部の存在が地域で担う役割@ネパールのIbashoマタティルタ

2019年6月、Ibashoプロジェクトが行われているネパールのマタティルタ(Matatirtha)村を訪問しました。UCSF(カリフォルニア大学サンフランシスコ校)のフェローのダンサー・コレオグラファー(振付師)のRさん、写真家のAさんの2人も同行した今回の訪問は、1日目に村を案内してもらった後、2~3日目に次のような活動を行いました。

今回の訪問では、外部の存在は地域でどのような役割を担い得るのかについて多くのことを気づかされました。

2019年6月19日(水)

この日は高齢者住宅(Matatirtha Oldage Home)でワークショップを開催。参加者は女性グループ(Mahila Samuha)のメンバー、高齢者住宅にお住いの高齢の女性、中学校の子どもなど約45名です。

ダンサー・コレオグラファーのRさんが、Ibashoの8理念を身体の動きで表現したダンスを紹介。このダンスは、「居場所ハウス」の六周年記念感謝祭でも紹介されたもの。参加者はRさんと共にIbashoの8理念を思い起こしながら、身体を動かします。

参加されていた女性が、ネパールの音楽に合わせた踊りを紹介。9人の中学生が到着し、このうち4人の女の子が踊りを踊ってくれました。

踊りの後、アートプロジェクト。これもダンサー・コレオグラファーのRさんが用意されたもので、白い紙に様々な色のインクを落としていき、ストローで吹いたりしてインクの色を重ねていくというもの。
Rさんは、Ibashoの8理念のそれぞれに相応しい色を参加者に質問。参加者は8色のインクを順番に思い思いに紙に落とし、ストローで吹いたりしてアートを作りあげていきます。
女性グループ(Mahila Samuha)の若い女性や中学生が、高齢者住宅にお住いの高齢の女性にアートの作り方を説明したり、一緒にアートを作ったりと、世代を越えた人々が協力する光景も見られました。

アートが完成した後、Rさんは、Ibashoのどのような側面をアートで表現したのかを質問。最後にみなで記念撮影を行い、この日のワークショップを行いました。


ワークショップの前後に4人のメンバーへのインタビューを行いました。
1人の男性はインタビューへの質問に対して、「Ibashoはシェルターや食事など基本的なニーズを越えたものの実現を目指すもの」と話されていました。1人の女性は「Ibashoは高齢者を尊敬するものだとわかったから、自分は今でもIbashoに関わっている。以前は自分も、高齢になったら働けなくなると思っていたけど、高齢者にもできることがあるとわかった」と話されていました。

2019年6月20日(木)

この日は女性グループ(Mahila Samuha)の建物に集まりました。
最初に女性メンバー10人へのインタビュー。「Ibashoにはどういう意味がありますか?」という質問に、「子どもから高齢者までが一緒に活動できるプラットフォーム」、「集まるための拠点」(Meeting Hub)と話す方も。

女性メンバーへのインタビューの後、写真家のAさんが、「居場所ハウス」、そして、マタティルタ村で撮影した写真をスライドで紹介。自分たちが写っている写真を見て、笑い声があがる場面も。

意見交換、Ibashoの8理念を身体の動きで表現したダンスの後、男性メンバー2人へのインタビュー。2人とも2016年10月に「居場所ハウス」を訪問された方です。「Ibashoは村にどのような影響を与えましたか?」という質問に、「それまで人々は別々の場所で別々の暮らしをしていたけれど、同じ場所で暮らすようになった」、「村が急に変わることはないが、少しずつ影響を与えている」という話。「これから村をどのように変えたいと思いますか?」という質問に対しては、「孫のためにも、日本のようにゴミが落ちていない村にしたい」という話がありました。村では住民が家の近くを掃除しており、以前よりゴミは減ったということですが、もっと綺麗にしたいという話でした。

インタビューが終わった後、3人の男性が楽器で、ネパールの伝統的な音楽を演奏してくださいました。この後、女性メンバーが調理してくださった伝統的な食事をみなでいただきました。


Ibashoマタティルタは、マタティルタの人々が中心となって進められています。アメリカ、日本から定期的に訪問する外部の存在は、プロジェクトを中心的に担うことはできません。それでは、定期的にしか訪問しない外部の者に担える役割は何か。それはプロジェクトの価値を共有する機会を作ることではないかと感じました。

今回の訪問では、何人かのメンバーにインタビューを行いましたが、インタビューから浮かびあがってきたのは、メンバー、特に中心となるメンバーは、Ibashoの8理念に共感しているからこそプロジェクトに関わっているということ。

ただし、拠点を建設せず、「Ibasho as a Village」(Ibashoの8理念が実現される村)というコンセプトを掲げて活動するIbashoマタティルタは、「居場所ハウス」やIbashoフィリピンのように拠点のあるプロジェクトに比べると、プロジェクトの全体像が見えにくいかもしれません。だからこそ、プロジェクトの全体像を共有したり、それにどのような価値があるかを共有したりすることが大切になります。しかし、プロジェクトに内部から関わっている人々だけでは、このような改まった機会を作るのは難しい。
それに対して、外部の存在は定期的にしか訪問しないからこそ、その訪問は非日常の出来事となり、このような改まった機会を作れるのだと思います。

今回の訪問では、村を案内してもらったり、Ibashoの8理念を身体の動きで表現したダンスをしたり、Ibashoの8理念を表現するアートを作ったり、インタビューしたり、写真家が撮影した写真を共に見たりしましたが、これらはいずれも、Ibashoマタティルタの全体像や価値を共有したりする機会になり得るものだったと言えます。

この中で、Ibashoの8理念を身体の動きで表現したダンスをしたり、Ibashoの8理念を表現するアートを作ったり、写真を共に見たりすることができたのは、今回の訪問にダンサー・コレオグラファーのRさん、写真家のAさんという2人のアーティストが同行したから。アーティストは、内部の人々にとって当たり前ではないかたちで物事を見たり、考えたりするきっかけを作ることができる*1)。
こう考えると、定期的に訪問する存在とアーティストには、地域において外部性を帯びた存在という共通点があると言えそうです*2)。

ただし、いくら外部から訪問しても、内部の人々と出会える場所がなければ両者の関わりは生まれません。今回の訪問では高齢者住宅(Matatirtha Oldage Home)、女性グループの建物が両者が関わりのための場所になりました*3)。
特に高齢者住宅で開いたワークショップには、Ibashoマタティルタに中心的に関わるメンバーに加えて、高齢者住宅にお住いの高齢の女性、そして、高齢者住宅を訪れていた夫婦や中学校の子どもたちと様々な人々の参加がありました。このことには、この高齢者住宅が多くの人に開かれた場所になっていることが現れています。


  • 哲学者の鷲田清一氏はアートに関する文章の中で次のように述べている。「人びとが固まりはじめたら、人びとをつなぐシステムが凝固しはじめたら、すぐに溶剤をかける。固まるものからたえずすり抜ける。糾合しようという動きにたえず 抗う。そのようにいつもシステムの外部に片足を掛けていようとする人は、システムから外されてきた人たちの輪にもたやすく入ってゆける。」(鷲田清一『素手のふるまい アートがさぐる〈未知の社会性〉』朝日新聞出版 2016年)。
  • 研究者とは資料やデータに基づく考察により、内部の人々にとっての当たり前を疑ったり、当たり前ではないかたちで物事を見たり、考えたりするきっかけを作る存在である。こう考えれば、手法は違えど研究者もまた外部性を帯びた存在だと言うことができる。
  • 3)高齢者住宅、女性グループの建物は、劇作家の平田オリザ氏のいう「セミパブリックな空間」になっていると捉えることができる。