『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

拠点の建物を建てないという選択@ネパールのIbashoプロジェクトにて

2018年1月、ネパールのマタティルタ(Matatirtha)村を訪問しました。ワシントンDCの非営利法人・Ibashoによるプロジェクトが行われている村です。今回の訪問の目的の1つは、Ibashoプロジェクトの拠点となる建物を建設するか否かの意志を確認すること。

2016年12月から拠点となる場所をどのような空間にしたいかどのような機能が必要か村の中の他の場所とどのようなつながりを持つかなどについて村の方々とのワークショップを行い、「Ibasho as a Village」(Ibasho Eco-System)、つまり、Ibashoの8理念を村全体で実現するというコンセプトを作り、建物はその拠点とするという話をしてきました。

2018年1月16日(火)、1月20日(土)、村の高齢者住宅(Matatirtha Oldage Home)で開いたミーティングでは、Ibashoから村の方々に次の2つの提案を行いました。

1点目は、プロジェクトの拠点となる建物は、「Ibasho as a Village」(Ibasho Eco-System)を実現する拠点として位置づけること。建物を独立したものと考えるのでも、建物が完成したらこれまで取り組んできた農園、コンポストなど他の場所での活動をやめるのではなく、村全体でIbashoの8理念を実現できるようにするための拠点にすること。

2点目は、拠点となる建物は敷地いっぱいに建設するのではなく、オープンスペースを生み出すこと。これはプロジェクトに協力してくださっているネパールの建築家の方が最初に提案してくださったもの。
拠点となる建物を建設する敷地は村の中央に位置し、敷地前は広場になっています。敷地の隣は池があり、かつて池は大切な場所だったとのこと。この敷地に建っている建物は、2015年ネパール大震災の被害を受け、1階の壁のレンガが崩れ落ちています。この建物を建て替えることで、Ibashoプロジェクトの拠点となる建物を建設する話になっていますが、その際、建物をセットバックさせて建設することで敷地前の広場と池のつながりを取り戻すという提案です。

2018年1月20日(土)のミーティングでは、Ibasho代表のKさんが、これまで村で取り組んできた活動を振り返りながら、「Ibasho as a Village」(Ibasho Eco-System)の考え方を改めて説明。

次にネパールの建築家Aさんが、2004年と2017年の村の航空写真を比較して見せながら、この10年の間に村の周辺部が宅地開発されていること、宅地開発によりオープンスペースが減少している状況において、村の中心部にオープンスペースを蘇らせることが重要であることを説明しました。Aさんからは、建設する建物は、Pati(パティ)と呼ばれるネパールの伝統的な建物がよいのではないかという提案もありました。

建物はワシントンDCのIbashoからの資金的な援助によって行われること、そのためには、建物の運営・管理のためにIbashoプロジェクトのCoop(協同組合)を村で設立すること、建設・運営のプロセスに高齢者を始めとする住民が参加すること、特定の属性や関心を持つ人だけで建物を専用しないことなど、いくつかの条件の確認が行われました。

村の方々による議論の結果、拠点となる建物は建設しないという意志決定が行われました。
拠点となる建物を建設しないという意志決定が行われた理由としては、村の方の次のような考えがあったと思います。

  • 村の周辺部が宅地開発されオープンスペースが失われつつある現状は理解している。しかし、敷地となっている村の中心部では、オープンスペースを作るより大きな建物を建設したい。
  • 大きな建物を建設するためには、Ibashoからの資金は不足している。そのため、自分たちで資金を獲得して、大きな建物を建てる。

こうした経緯で、村ではIbashoプロジェクトの建物は建設しないこととなりました。Ibashoプロジェクトは、高齢者住宅(Matatirtha Oldage Home)、女性グループ(Mahila Samuha)の建物、農園など既存の場所で続けることとなりました。その際、高齢者住宅や女性グループの建物の家具を作る、農園に農具を収納する小屋を建てる、チャウタリ(Chautari)と呼ばれる菩提樹の木の周りの場所を座りやすいように改修するなど、既存の場所の環境をより良いものにしていくことも組み合わせて、活動していくこととなりました。

Ibashoの拠点となる建物を建設しないという意志決定がなされた背景には、意志疎通が十分にできていなかったこと(言語の問題)、資金的なことなどの課題がありましたが、結果としてみれば、「Ibasho as a Village」(Ibasho Eco-System)のコンセプトの実現に向けて一歩前に進んだ意志決定になったのではないかと考えています。