『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

居場所ハウスのお茶会がもつ3つの意味

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2016年9月10日(土)、「居場所ハウス」にてお茶会を開催しました。
地域でお茶をされている方が主催したこの日のお茶会には、小学校の男の子を含め12人が参加。お茶をいただきながら、ゆったりした時間を過ごしました。

この日のお茶会には、次の3つの意味があったと思います。
1つは季節や文化に触れる機会になったこと。

重陽の節句の翌日ということで、この日のお茶会は「菊のお茶会」と名付けられました。野菊がいけられ、秋にちなんだしつらえがなされた「居場所ハウス」の和室は茶室の雰囲気に。プレハブだとこういうわけにはいきません。こういう時は古民家を活用した「居場所ハウス」の空間がいきてくると感じます(写真を見ると、もう少しゴチャゴチャした物を整理していればよかったと思いますが…)。
この日のお茶会はひな祭り、七夕に次いで3回目ですが、それぞれ季節に応じたお茶会をしていただきました。その時々の季節を感じながら、日本の文化に触れることのできる機会となりました。

次は地域の人が特技をいかせる機会になったということ。
地域には様々な特技、趣味をもった人がいます。「居場所ハウス」はこのような人々が、特技や趣味をいかしながら地域に関わる場所になっていると言えます。それと同時に、他の人にとっては、地域にどのような特技や趣味をもつ人がいるのかを認識する機会にもなっています。

最後は、もしかしたらこれが最も重要かもしれませんが、緩やかにつながっている人々が集まれる場所になったということ。
お茶会を主催された方は、参加された方に、「居場所ハウスでは流派関係なく、お茶会を開くのはどうかと思って。こういう機会がないと、せっかくお茶を覚えても」、「流派が違っても、基本は同じなんだから」と話されていました。この部分は、「居場所ハウス」が担える大きな役割だと感じました。
地域にはお茶をされている方々がいます。そういう方々はお茶という共通点をお持ちですが、流派が違ったり、あるいは、活動拠点がなかったりするために、まとまって1つの団体を作っているわけではありません。「居場所ハウス」のお茶会は、このように緩やかにつながっている人々が顔を合わせたり、一時的にではあれ集まったりする機会になったと言えます。

既存の団体に所属する人たちが活動できる場所は地域に必要。けれども、何らかの団体に所属していないと活動しにくい、集まりにくいという地域は窮屈です。団体に所属していないけれど、何らかの共通点があるというように、緩やかにつながっている人々が、顔を合わせたり、一時的にでは集まったりできるような場所も大切です。人々を「組織化」するのではなく、緩やかな関係にある人々が、緩やかに集まれることができるということ。
このような観点から振り返ってみれば、「居場所ハウス」では仮設住宅の婦人会のメンバーが、仮設住宅が閉鎖したあとに同窓会を開いたり、ある会社で働いていた人々がOG会を開いたりすることが行われました。また、「居場所ハウス」で毎月行われている生け花教室、歌声喫茶も、あらかじめ地域に存在していた団体の活動ではなく、メンバーの1人が生花を習っていた、メンバーの1人が提案したというきっかけとなり「居場所ハウス」で立上げられた緩やかな集まり。いずれも、既存の団体の活動ではない、緩やかな集まりの場所であり、「居場所ハウス」がこうした緩やかな集まりを作るきっかけになっていると言えます。

話は逸れるかもしれませんが、地域の集会所や公民館などの公共施設を計画する際には、既存の団体(の代表)に、新しい施設をどのようにしたいのかという意見を聞くことがあります。
しかし、地域での活動とは、既存の団体に所属する人々だけが行うものではありません。ある場所があることによって、立ち上がってくるような緩やかな集まりもあります。「その場所があるからこそ、生まれてくる緩やかな集まり」のことを、その場所を計画する段階で想定するというのは矛盾かもしれません。しかし、「居場所ハウス」を見ていると、地域での活動とは、既存の団体に所属する人々だけが行うものでないということは、忘れてはならない点だと思います。

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