『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

大船渡市末崎町、中森熊野神社の式年大祭

2016年10月15日(土)、大船渡市末崎町にある中森熊野神社にて、4年に一度の式年大祭が開催されました。前回は東日本大震災翌年の2012年に開催されており、震災後、2回目の開催となります。
中森熊野神社の式年大祭に参加するのは末崎町の17公民館のうち、碁石方面に位置する梅神(梅神組)、山根(山根組)、小河原(小河原組)、三十刈(三十刈組)、西舘(西舘組)、門之浜・中井(門中組)、碁石(碁石組)の8公民館、7組。
*なお、残りの公民館は神坂熊野神社の式年大祭(前回は2015年に開催)に参加します。

先日の式年大祭には、撮影係として門中組に同行させていただきましたので、様子をご紹介させていただきます。式年大祭の様子は他でも紹介されていることに加え、式年大祭がどのような場所で行われているかもご紹介したいと思い、引いた感じの写真でご紹介します。


門中組は6:30に門之浜漁港に集合。一部の方は6:00に虎舞伝承館に集合し、屋台を伝承館から門之浜漁港に移動する作業が行われました。
才坊振り(さいぼうふり)、子ども虎舞に出演する子どもたちを含め、門之浜・中井の方たちが集まってきます。7:00頃、集合写真を撮影。

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7:25頃、出発式を行い、中森熊野神社に向けて出発。60〜70人が行列を組んで歩いていきます。

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7:50頃、中森熊野神社に到着。境内にて到着した組から順番に受付を行い、虎舞、七福神などの芸能を奉納します。門中組は7:05頃から虎舞を奉納。門中組の虎舞は岩手県無形文化財に指定されており、この日は虎舞3体、子ども虎舞2体で参加。
芸能の奉納を終えた組は、本殿から一段さがったところの待機所にて待機。この時間帯、境内、待機所は各組が集合し、多くの人で埋め尽くされていました。

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9:00、神社から泊里浜漁港の御旅所に向けた御神輿渡御行列が出発。門中組は7組のうち6番目、9:20頃神社を出発しました。9:40頃、御旅所に到着。
前回開催した2012年は泊里浜漁港は震災からの復旧が進んでいなかったため、行列は門之浜漁港まで向かったとのこと。

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行列の到着後、泊里浜漁港の御旅所での儀式が開始。御旅所でも虎舞、七福神などの芸能を披露。門中組は6番目、10:40頃から虎舞を披露しました。

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各組の芸能披露が終わり、11:00頃から海上渡航。熊野神社、八幡神社の御神輿をのせた御召船などの曳舟が麻腐島(おくされしま)に向かいました。しかし、残念ながら麻腐島は防潮堤に隠れて、陸からは見ることができませんでした。
この時、御旅所では末崎小学校の5〜6年生による「よさこいソーラン」が披露。

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11:30頃から昼食の時間。
御旅所内には一般車は進入できません。門中組では朝、門之浜漁港に集合した時に、家庭ごとにお弁当を持参。2台の弁当車でお弁当を運搬し、御旅所の入口付近でシートを敷いて昼食をとりました。

12:00頃、曳舟が御旅所に帰着。
午後から、再び各組の虎舞、七福神などの芸能披露。門中組は3番目、12:50頃から虎舞を披露しました。
東日本大震災の前は虎舞、七福神に加えて、各組による手踊りも行われてたと聞きました。その頃は披露されるものが多かったため、2手に分かれて披露されていたとのことです。

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芸能の披露が終わり、御旅所から神社に戻ります。13:45頃、行列が御旅所を出発。門中組は3番目の出発です。
神社境内では到着した順番に芸能を奉納。門中組は14:05頃から虎舞の奉納を行いました。虎舞の奉納を終え、門之浜漁港に向けて出発。

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14:30頃、門之浜漁港に到着。漁港には出迎えに来ていた方もいました。門之浜漁港にて最後にもう一度、虎舞を披露。14:50頃、解散となりました。

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今まで門中組の虎舞を見せていただいたことはありましたが、他の組の虎舞を見たのは初めて。他の組の虎舞を見ていて、同じ末崎町にある虎舞といっても装束が異なっている(門中組の「獅子」の装束もあれば、黄色と黒の「虎」の模様をした装束もある)ことに気づかされました。お囃子も組によって少しずつ違うとのこと。才坊振りの装束も組によって異なっており、三十刈組は赤・緑・黄のピエロのような装束を着た男性が才坊振りをしていました。一見すると日本らしくないピエロのような装束が、虎舞という地域に伝わる芸能とどういう経緯で融合していったのかは興味深いところです。
このように組によって装束、お囃子などは少しずつ異なっていますが、虎舞、七福神などの芸能はどの組も大切にされており、それが地域の誇りになっているのだと感じました。

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もう1つ、海のお祭りを初めて間近に見て考えさせられたのは、陸と海は連続したものであり、海岸線は便宜的なものでしかないということ。
震災後、海岸線に建設される防潮堤を見ると、ついつい、陸=防潮堤の内側、海=防潮堤の外側と捉えて、外(海)からやって来る驚異から内(陸)を守るというふうに見てしまいがち。けれども、陸と海を、内と外というふうに分けて捉える思想自体が、一種の錯覚ではないかと感じました。地域に根ざした復興とは、こういう根本的な部分から捉えていかねばならないのだろうと考えさせられました。