千里ニュータウン(大阪府)新千里東町のコミュニティ・カフェ「ひがしまち街角広場」は2001年のオープンから15年を迎えました。
建設省(現・国土交通省)による「歩いて暮らせる街づくり事業」のモデル地区指定がきっかけとなり、最初の半年間は豊中市による、近隣センターの空き店舗を活用するための社会実験として運営。社会実験終了後は自主運営として、住民ボランティアの手により、補助金を受けることなく、100円の飲物の売上げで水道光熱費、家賃など全てをまかない、14年半の運営が継続されてきました。
2016年10月9日(日)、新千里東町近隣センター広場にて15周年記念パーティーが開催されました。周年記念パーティは3年ぶりの開催となります。
「ひがしまち街角広場」からは、おでんを出店。スタッフは前日から調理をはじめ、当日も朝から準備を行っておられました。千里ニュータウン研究・情報センター(ディスカバー千里)からは、この日のために作成した「ひがしまち街角広場」の「大きな本」の展示、絵はがき、ウォークガイドの販売などを行いました。
11時から周年記念パーティーがスタート。この日の記念パーティには、近隣センターで「豊寿荘あいあい食堂」を運営する社会福祉法人スタッフもたこ焼きを出店してくださいました。また、「豊寿荘あいあい食堂」を休憩スペースとして開放してくださいました。
13時から、ディスカバー千里による15年を振り返るビデオ、写真のスライドショーの上映。ビデオ、写真を見ている方は「○○さんや」、「○○さん若い」などと言いながら、懐かしのビデオ、写真を見ておられました。15年の間にお亡くなりになられた方、他の地域へ引っ越された方もいるようで、亡くなった方が何人も写真に写ってるという話も聞きました。
13時半からはマジックショー、そして、14時10分から太鼓と踊り。太鼓と踊りには「ひがしまち街角広場」のスタッフらが出演。「ひがしまち街角広場」では今まで13回の周年記念パーティーを開催してきましたが、スタッフが中心となる企画は初めて。スタッフは太鼓を叩いたり、太鼓の周りを踊ったり。以前、スタッフをされていた方も何人か踊っておられたのが印象に残っています。
14時半過ぎから、周年記念パーティーでは恒例となったビンゴゲーム。14時50分頃、15周年記念パーティーのプログラムを終えました。
最後のビンゴゲームまで残っていた人は、スタッフも合わせて70人ほど。府営住宅にお住まいの多かったと思いますが、普段、「ひがしまち街角広場」に出入りされている来訪者やスタッフが、15周年という節目のお祝いをできたことはよかったです。
この日はスタッフも太鼓と踊りに出演。15年間の運営が継続できたのは、まずは日々の運営を担うスタッフの方々の力があってこそ。そのスタッフの方々が、準備・後片付けなど裏方の仕事だけでなく、太鼓と踊りに主演する場面ががあったのもよかったと感じました。
地域で大切に15年間の運営が継続されてきた「ひがしまち街角広場」は地域の財産であり、そこから教わることは多いですが、これからの「ひがしまち街角広場」や千里ニュータウンのあり方を考える上で、今回の周年記念パーティではいくつかの課題も見えてきたと感じます。
まず、「ひがしまち街角広場」を次の世代にどうやって継承するかという課題。
15周年記念パーティの参加者は、子どもや、小さな子どもを連れた方も何人か見かけましたが、府営住宅にお住まいの高齢の方が中心でした。
新千里東町では、近年、集合住宅の建替えが行われていますが、15周年記念パーティにはマンションに新たに入居してきた世代の参加はほとんどありませんでした。以前から住んでいる人と、新たに転居してきた人とが分かれてしまっていることは、新千里東町の大きな課題です。
そうした状況であるとすれば、「ひがしまち街角広場」は近隣センターでの運営が基本ですが、「ひがしまち街角広場」のことを知ってもらうために地域に出向いていくことも大切になってくるかもしれません。既に地域の盆踊りでは「ひがしまち街角広場」もブースを出店されていますが、加えて、10月29日(土)にUR新千里東町団地で開催される「団地パンまつり&まち歩き」でもブースを出店し、陶器の物々交換会が行われる予定です。
次に、現在における近隣センターの位置づけにまつわる課題。
「ひがしまち街角広場」は近隣センターの空き店舗を活用して運営されていますが、マンションに新たに入居された方が「ひがしまち街角広場」のことをよく知らないことの背景には、そのような方にとって近隣センターはもはや必須の場所ではないということの現れだとも言えます。
千里ニュータウンはクラレンス・A・ペリーの「近隣住区論」に基づき、12の住区が開発されました(新千里東町も12の住区の1つ)。それぞれの住区の核として計画されたのが近隣センターです。近隣センターには日用品を扱う店舗、銭湯、地区会館などがもうけられていましたが、自家用車の普及、郊外型の大型店の登場、府営住宅の住戸内への風呂場の設置などのライフスタイルの変化より、近隣センターには次第に空き店舗が目立つようになってきました。
近年建替えられたマンションの広告には、もはや近隣センターという名称すら掲載されていないことがあります。また、これはある方から聞いた話ですが、タクシーに乗り「近隣センターに行ってください」と依頼すると、運転手から「近隣センターというのは、昭和の言い方ですね」と言われたという話。それぐらい、近隣センターの位置づけが軽くなっているということです。
けれども、特に子どもや高齢の方にとって、歩いて行ける距離にある近隣センターは日々の暮らしを送る上では不可欠な場所。その可能性を探るために「歩いて暮らせる街づくり事業」のモデル地区に指定され、それがきっかけとなり開かれたのが「ひがしまち街角広場」という経緯があります。今から15年前のことです。こうした経緯が再び忘れられているということは、近隣センターに関して重ねられてきた議論が、住民の中でも、行政の中でもきちんと継承されていないということかもしれません。
現在、新千里東町の近隣センターは移転・建替の計画が進められています。移転・建替えにより空き店舗が失われるということは、手頃な価格で地域活動に利用できる場所がなくなるということ。「ひがしまち街角広場」は今と同じような運営を継続することは難しくなります。また、土地の有効利用という名の下に近隣センターからオープンスペース(広場)が失われるという噂もあります。これらを考えると、「ひがしまち街角広場」の20周年記念パーティーを開くことは難しいかもしれません。
最後に、千里ニュータウン全体に目を配る場が存在しないという課題。
上に書いたことの繰り返しになりますが、近隣センターは千里ニュータウンの住区における要として計画された場所。その場所が移転・建替えによって変化しようとしつつある時に、21世紀に相応しい近隣センターのあり方を議論する場はありません。
千里ニュータウンは地域活動が盛んな地域だと言われてきました。しかし、「千里ニュータウンでどんな活動がなされているか、各住区はどんな課題を抱えているか」などについて情報を交換したり、改善のためのアイディアを交換したりできるような場、言わば、千里ニュータウン全体に目を配れる場がいつの間にか失われてしまったのではないかと思います。
例えば、新千里東町には豊中市で最初に立ち上げられた地域自治協議会があります。千里中央の豊中市文化センター・コラボには、住民参加のコラボ市民実行委員会があります。また、吹田市と豊中市にまたがる千里ニュータウンにおいて、市を越えた横のつながりを築くための千里市民フォーラムという活動もあります。これらのネットワーク型の組織の設立に携わったのは、住区で活動を続けてこられた方々でした。そのため、当初は各住区の動きとネットワーク型の組織とは(設立者たちの個人的なつながりが大きかったとしても)密接に関わっていた。しかし、活動を担う人々の代替わりによって、ネットワーク型の組織は、各住区の動きとは切り離されてしまっている。そして、ネットワーク型の組織自体が連携しているわけでもない。
*例えば、現在、住区が単位となる地域自治協議会、千里中央を中心とするコラボ市民実行委員会、そして、千里ニュータウン全体を対象としている千里市民フォーラムの全てに顔を出している人はどのぐらいいるだろうかと思います。
ネットワーク型の組織が、それぞれ独自の活動を行うようになったのと反比例するかのように、千里ニュータウン全体に目を配るという雰囲気と、千里ニュータウン内での横のつながりが失われてきた気がします。
もちろん、千里ニュータウンで行われているの全ての活動が、1つの傘の下に収まる必要はありません。しかし繰り返しになりますが、各住区で現在、どのような活動が行われており、どのような課題があるのかについて、その価値を共有したり、情報交換したり、改善のためのアイディアを交換しあったりできる場が存在しないことは、現在の千里ニュータウンが抱える課題だと思います。
「ひがしまち街角広場」の15周年記念パーティからはやや話が飛躍してしまいましたが、現在の千里ニュータウンについてこのようなことを感じました。