2017年2月12日(日)、「居場所ハウス」にて山岸団地(山岸仮設)の同窓お茶っこ会が開かれました。
山岸団地は末崎小学校の校庭にあった58戸の仮設住宅で、東日本大震災から2ヶ月が経過した2011年5月22日に入居開始。2016年6月30日に閉鎖され、2016年11月21日からは小学校の校庭としての利用が再開されています。
2016年7月10日に次ぐ2回目の同窓お茶っこ会。山岸団地での暮らした築かれた関係を大切に継承したいという思いを抱く人が多いことの現れだと思います。この日の同窓お茶っこ会は、山岸団地レディースクラブ(婦人会)の役員ら4人を中心にして準備が進められました。
この日の同窓お茶っこ会には31人が出席。男性は10人、女性は21人。31人のうち2人は支援員の方、4人は山岸団地の集会所で約5年にわたって月2度のヨガ・セラピーを開いてくださった先生方。夫婦で参加されたのは2組でした。
11:00過ぎから同窓お茶っこ会がスタート。挨拶のあと、レディースクラブの役員の方から、この日に同窓お茶っこ会を開催することになった経緯の説明がありました。
・ヨガ・セラピーを続けてくださった先生方にきちんとお礼を言っていなかったため、レディースクラブ主催で2016年7月10日にお礼をかねた懇親会を開くことになったこと
・懇親会への参加を呼びかけたところ、19名もの参加があり、同窓会のようになったこと
・当日の参加者から、このような集まりを継続的に開きたいという声があがったこと
・1回目の同窓会はレディースクラブ主催だったため女性のみの参加だったが、今日の同窓会には男性にも声をかけたところ、30人を越える方の参加があったこと
経緯がされた後、参加者で協議をしたところ、
・今後も年に2回(海の仕事に影響のない2月・9月)、同窓会を継続的に開催すること
・同窓会は男性、女性の両方が参加できるように山岸団地の自治会が主催すること
・会場は、末崎町で「居場所ハウス」を盛り立てるという意味もこめて、今日と同様、「居場所ハウス」で行うこと
が確認されました。
レディースクラブの役員の方からは、既に山岸団地はなくなったけれど、「「復興」という一つの言葉では言い切れない思いをもった方が、今日、集まってくださったと思います」という話がありました。
続いてヨガの先生、支援員の方からの挨拶。ヨガの先生からは、末崎に親戚ができたようで、末崎中学生がワカメの早どり体験をしたなどニュースで末崎の話題が流れると目にとまるという話、支援員の方からはこのように多くの人が集まって驚いたこと、みなの元気な顔をみて安心したこと、そして、同窓会のきっかけを作ってくれたヨガの先生からは、ヨガだけでなく暖かい心をいただいたのだと思うという話がありました。
乾杯の後は昼食です。
山岸団地の集会所の壁には、活動の記録写真が貼られていました。写真を少しずつ貼っていったところ、集会所内の壁面が足りなくなり、何周かしたという話でした。その写真は7冊のアルバムに綴じて、支援員の方が保管してくださっていました。7冊のアルバムをお借りして、同窓お茶っこ会の会場で回覧。アルバムのページを1枚ずつめくって、じっと写真を見ておられる方もいました。
この後、歌や踊りによる余興。門之浜の2人による「祝酒」、小細浦の5人による「花笠音頭」、そして、有志による「どや節」の踊りなどが披露されました。小細浦の方は、この日のために公民館に集まって何度か練習されたとのこと。
みなで「さくら音頭」を踊り、「ふるさと」を合唱して13:30過ぎ、同窓お茶っこ会が終わりました。最後に、表に出て記念撮影し解散となりました。
仮設住宅の同窓会を、住民だった人々が主体とり開く例はないという話も聞きます。なぜ、山岸団地でそれが可能だったのかを考えると、いくつかポイントがあるように思います。
①きっかけとしての地域外からの支援者
同窓会はヨガ・セラピーの先生方へのお礼の会として企画したのがきっかけ。同じ地域に住んでいると、いつでも会えるようで、なかなか会うきっかけがないというのが現状。支援に来てくださった方へのお礼の会は、みなが集まる目的になったのだと思います。
支援員の方が、ヨガをしただけでなく暖かい心をいただいたと話されていた通り、5年間にわたる山岸団地集会所でのヨガ・セラピーは単に被災地支援ではなく、「被災地後」にも継承されるものを生み出したのだと思います。
②レディースクラブの役員という核となる存在
幹事をつとめたレディースクラブの4人の存在がなければ、同窓会を開催することはできませんでした。
山岸団地には門之浜、小細浦、そして、大田団地のある小河原の3地域の方が主に入居されましたが、レディースクラブを立ち上げるにあたっては、門之浜、小細浦、小河原それぞれの地域から1名ずつ役員を出すことが行われています。今回、同窓会の幹事をつとめた4人のうち3人は、このような経緯で役員に就任された方です。4人の方は、山岸団地に入居している頃から中心になって活動されてきた方です。
③元住民に連絡がとれること
仮設住宅からの退去後に、連絡がとれなくては声をかけることができません。今回は、幹事となった4人の方が自分の地域の方への連絡をするという分担が行われたため、門之浜、小細浦、小河原の全ての地域に連絡が行き届きました。
また、この背景には山岸団地は58戸と大船渡市に建設された仮設住宅の中では平均的なサイズであること、門之浜、小細浦、小河原というように以前から同じ地域で生活していた人が入居したこと、そして、高台移転先も、震災前に生活していた地域、あるいは、末崎町内を選んだ方が多かったことなども理由になっていると言えます。
④同窓会を開ける会場があること
集会所・談話室をもつ集会所はありますが、仮設住宅から退去して、それぞれが別々の地域で暮らし始めるようになると、住民だった人々が集まれる適当な場所はなかなかありません。
末崎町には「居場所ハウス」という集まりにも利用でき、食事もできる場所があったこともポイントだと思います。同窓会の裏方として調理をしたり、配膳したりする「居場所ハウス」のメンバーの姿も見られました。同窓会に参加した方が「居場所ハウス」のメンバーや、他の来訪者と久し振りに再開している光景も見られるなど、仮設住宅の同窓会が、結果として仮設住宅を越えた地域の人々が顔を合わせるきっかけになったことも重要だと感じます。