『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

山岸仮設(大船渡市末崎町)の元住民による同窓会

2020年2月17日(月)、「居場所ハウス」にて山岸仮設(山岸団地)の元住民による同窓会が開かれました。被災地に開かれた仮設住宅の中で、元住民の主体により、同窓会を開き続けている仮設住宅はほとんどないと思われます。
一時期、山岸仮設に住んでいたことがあったため、同窓会に参加させていただきました。

山岸仮設は末崎小学校に開かれていた58戸の仮設住宅。震災から2ヶ月後の2011年5月22日から入居が始まり、2016年6月末で閉鎖となりました。入居者の多くは、末崎町の門之浜、船河原、小細浦地区の方。高台移転で元の地区に戻られた方が多いですが、他の地区に移ったり、末崎町外に移転したりした方もいます。

山岸仮設の閉鎖後、元住民が再会する機会として、また、支援でお世話になった方にお礼をしたり再会したりする機会として、半年に1度、同窓会を開き続けてこられました。この日で8回目となります。
これまでは歌やゲームの時間をもうけたり、陶芸教室と組み合わせて開いたりされていましたが、今日は昼食会というかたちで開催。「居場所ハウス」で食事を注文することになっていましたが、焼売、お菓子、ようかん、ゆべし、果物など様々な差し入れがありました。

山岸仮設にはレディースクラブ(婦人会)があり、門之浜、船河原、小細浦地区からそれぞれ1人が代表を出すかたちとされていました。同窓会の幹事は、それぞれの地区の代表と支援員の4人が担当し続けておられます。

この日の同窓会には、避難所の時から支援を続けてこられた東京の方、集会所で開かれていたヨーガ・セラピーの講師の方、カリタス・ジャパン大船渡ベースの方を含め、16人が参加。

他の仮設住宅と同じく、山岸仮設へも多くの支援があり、集会所では支援者により様々な活動が行われていました。その様子を収めたスライドショーを、元支援員の方が作成してくださっており、今日もスライドショーを見ながら、こんなこともあった、あんなこともあったと振り返ったり、スライドショーに写っている方の近況を伝えたり。1枚1枚の写真それぞれの思い出が詰まっており、話は尽きないようでした。スライドショーを見て、「集会所に行くと、実家に戻ったみたいだった」と振り返る方もいました。

震災から2年目に山岸仮設に咲いた桜、ツツジ、藤の花が綺麗だったことは今でも印象に残っているという話も伺いました。震災の年は桜を見る余裕なんてなかった、2年ぶりの桜だったから印象に残っているのではないか、桜をしみじみと見に行ったのを覚えているという話も伺いました。
食品や物資を届けてもらったのもありがたかったけど、支援として行われたちょっとした小物作りのように、一緒に過ごした方のことも思い出になっているという話も伺いました。

間もなく東日本大震災から9年、山岸仮設が閉鎖されて4年になります。時間は確実に経過していますが、久しぶりに山岸仮設の元住民の方々とお会いし、また、山岸仮設の思い出を振り返っている姿を見て、改めて仮設住宅について考えていました。

構造という点でも、あらかじめ閉鎖されることが決まっているという点でも、建物としての仮設住宅は、あくまでも「仮」のもの。けれども、仮設住宅のことを振り返るために集まり続けておられる方々がいるということ。

実際に被災していない者にとっては想像するしかありませんし、いくら想像しても想像し切れないこともあると思いますが、仮設住宅での暮らしは、建物の閉鎖とともに消えてなくなる「仮」のものでなく、その後の暮らしにも継承されていくものだということ、それは今でも元住民の人々を結びつけていると同時に、支援を通して知り合った地域外の人々との関係を継続することにもなっている。このことは伝えていくべきことだと考えています。


山岸仮設にお住まいの方ではありませんが、仮設住宅の時は集会所があってみんなで集まることができたけど、高台移転したらバラバラになって集まる場所がなくなったという話も聞いたことがあります。仮設住宅での暮らしを、その後にどう継承していくかも、復興を考える上では非常に大切なことです。