『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

大船渡市末崎町・山岸仮設の同窓お茶っこ会の打合せ

今日(2019年8月28日(水))、「居場所ハウス」にて山岸仮設(山岸団地/山岸応急仮設住宅団地)の第7回目の同窓お茶っこ会の打合せが行われました。山岸仮設は末崎小学校の校庭に設置された58戸の仮設住宅で、東日本大震災2ヶ月後の2013年5月22日に入居開始、2016年6月末で閉鎖となりました。

今日の打合せに参加したのは、門之浜、小細浦、小河原それぞれの地区の女性1人ずつと*1)、山岸仮設で支援員をされていた男性1人の合わせて4人です。一時期(2013年9月〜2016年6月)、山岸仮設で生活していたこともあり、今日の打合せに参加させていただきました。

第7回目の同窓お茶っこ会は、10月末の開催を予定しており、今日の打合せでは会費、事前準備、当日の進め方、元住民への声かけ担当の割り振りなどが確認されました。

第7回目の同窓お茶っこ会の打合せが終わった後、来年以降の会の続け方についても話になりました。
ある方からは、同窓お茶っこ会の幹事を務める続けるのは大変になってきたという率直な意見。それに対して、○○月○○日の○○時頃、「居場所ハウス」に集合すると声かけをし、みなで一緒にお茶を飲むだけでもいいのではないか、それなら事前の準備も必要ないし、これからみな歳をとっていくのだから、安否確認・近況報告ができればいいのではないかという意見。
一緒にお茶を飲むだけで人が集まるかが不安と話す方。自主的に来たい人が集まるようにすればいいのではないか。山岸仮設のみんなに会いたいと思う人は集まればいい。もし、山岸仮設のことなんて忘れて人がいたのなら、その人にとって新たな生活が始まったということだから、それもいいことだと思うと話す方。東日本大震災の10周年まではこれまで通りのやり方で継続し、その後はお茶会だけにしてもいいと話す方。

このような話を7回目の同窓お茶っこ会の時にして、みなの意見を聞いてみることとなりました。

山岸仮設での暮らしについて、ある方は、もう津波は来ないで欲しいけれどと前置きした上で、山岸仮設は支援員にも恵まれていたし、楽しかった。他の仮設の人からは、山岸仮設だけ同窓お茶っこ会をして羨ましいと言われたこともある。小学校の校舎の下で生活し、子どもたちの声が聞こえてきたことは忘れられないと話されていました。また、今でも小学校の前を通るたびに、(山岸仮設の玄関として利用していた)階段がまず目に留まると話されていた方もいました。

東日本大震災の被災地には多くの仮設住宅が開かれましたが、仮設住宅が閉鎖された後、元住民が定期的に同窓会を開いている仮設住宅は非常に珍しいと思います。
時間の経過とともに少しずつ過去の出来事になりつつありますが(そして、それは新たな生活が始まったことでもあり、必ずしも否定すべきことではありませんが)、それでも山岸仮設での暮らしを大切にしておられる方がいる。

仮設住宅とは、確かに物理的には期間限定の住まいですが、そこでの暮らしは決して「仮のものではない」ということ。仮設住宅が閉鎖され高台移転が完了したからといって、仮設住宅での経験や築かれた関係が消えてしまうわけではないこと。今日話を伺っていて、改めてこれらのことを感じました。

もしかすると、物理的な側面に焦点をあてた「仮設住宅」ネーミングを変える必要があるのかもしれません。


*1)山岸仮設には、大船渡市末崎町の門之浜、小細浦、小河原地区の被災者が主に入居。山岸仮設の婦人部(山岸レディース)を立ち上げる際、それぞれの地区から1人ずつ幹事(役員)を出したという経緯がある。今日の同窓お茶っこ会に参加したのは、山岸レディースの幹事の方、及び、その代理の方の3人の女性。