『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

第2回新千里北町 車止め街歩きツアーを開催しました

2018年4月7日(土)、「第2回新千里北町 車止め街歩きツアー」を開催しました。「ディスカバー千里」(千里ニュータウン研究・情報センター)主催、千里文化センター・コラボ共催で開催したもので、2回目となる今回は千里ニュータウンにお住いの方、建築の専門家・研究者・学生など10名に参加していただきました。 千里ニュータウンの12住区のうち、豊中市域の新千里北町にだけリス、ゾウ、キリンなどの動物や、○▽□などの幾何学の形をした車止めが50以上あります。「ディスカバー千里」では新千里北町の車止めに注目して、調査を続けてきました。調査を通して、車止めは千里ニュータウンの成り立ちと密接に結びついていることが明らかになってきました。また、子どもたちへの出前授業、車止め冊子の発行など、調査結果を地域に還元する活動も行ってきました。 「ディスカバー千里」の調査・活動により、車止めは新千里北町の方々にとって「自分たちの街にある宝物」と認識されるようになり、2018年3月には新千里地域自治協議会の主催で「北町車止めペイント祭り」が開催。50以上ある車止めのうち、約30の車止めへのペンキ塗り替えが行われました。 今回のツアーは、車止めが綺麗になった後、最初に開催したツアーとなります。


9:30から車止め街歩きツアーがスタート。最初に千里文化センター・コラボの集会室にて千里ニュータウンの成り立ちと、新千里北町の車止めについてのレクチャー。 千里ニュータウンはエベネザー・ハワードによる田園都市の系譜にあり、クラレンス・A・ペリーの近隣住区論、そして、アメリカのラドバーンで採用された歩車分離の考え方が計画手法として採用されるなど、世界のニュータウンの流れの中にあります。ただし、海外の手法をそのまま採用するだけでなく、例えば、谷を車道にし、両側の丘を歩道橋で結ぶことによって歩車分離を実現するなど、千里丘陵の地形に合わせた開発が行われています。そして、車止めも独自の工夫の1つ。 レクチャーの後半では車止めについて、次のような紹介を行いました。

  • 新千里北町には車止めが50以上ある
  • リス、ゾウ、キリンなどの動物型の車止めは、当時、公園などで使われていた既製品の遊具を使ったもの
  • ○▽□などの幾何学型の車止めは、新千里北町の車止めとしてデザインされたものだと考えられる
  • 新千里北町より前に開発された住区に見られるクルドサック(袋小路)は歩車分離のための1手法だが、クルドサックでは車が転回する必要がある。新千里北町では車の転回を避けながら歩車分離を実現するため、ループ状の道路が採用された。ループ状の道路では歩行者専用道路に車が誤進入する可能性があるので、歩行者専用道路の入口に車止めが設置されることになった。ループ状の道路により、戸建て住宅地を高密・効率的に開発することにもつながった
  • 車止めは単に車の誤進入を防ぐだけでなく、歩行者専用道路に高低差(階段・スロープ)があること、近くに公園があることなどのメッセージも伝えている

10:30頃、レクチャーを終え、実際に新千里北町を歩きました。先ほどのレクチャーの内容を確認しながら歩いて行きます。 先日の「北町車止めペイント祭り」に関しては、次のような説明がありました。

  • 塗り替えたペンキの色は、現状と同じ色を選んだ。
  • 今はペンキを塗ったばかりでピカピカしているが、5〜10年と時間が経過すると落ち着いた色になることを想定して色を選んだ。
  • 「ディスカバー千里」からは、年月を経た味わいを残すため、全ての車止めのペンキは塗り替えないことを提案した。
  • 「このキリンには思い出があるから塗り替えないで欲しい」という子どもの声を受けて、このキリンのペンキは塗り替えなかった。

新千里北町は日本で初めて「新住宅市街地開発法」が適用された歴史的な町であり、それを示す看板が今も残されていること、入居当初に建設されたプレハブ住宅が今も残っていることなど、車止めだけでなく新千里北町について広く説明が行われました。 13:00頃、千里文化センター・コラボに到着。最後に質疑応答を行いました。 なお、地域への還元として、「第2回新千里北町 車止め街歩きツアー」の参加費の一部は新千里北町地域自治協議会に寄付させていただく予定です。