『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

男山団地:京都府八幡市の大規模団地

2018年6月28日(木)、ディスカバー千里(千里ニュータウン研究・情報センター)のメンバーと京都府八幡市の男山団地を見学しました。千里ニュータウンの今後のあり方について学ぶために企画した見学会です。

男山団地は、日本住宅公団(UR)が1962年12月に開発を決定、1969年11月から造成工事が始まり、1972年3月に最初の地区の入居が始まりました。千里ニュータウンの10年後に入居が始まったことになります。
『八幡市誌 第三巻』(1984年)によれば、計画面積185.6ha(56万坪)、計画人口32,000人、計画住戸数8120戸。
京阪電車の樟葉駅、あるいは、八幡市駅からバスによりアクセスします(※千里ニュータウンは開発面積1,160ha、計画人口150,000人、計画住戸数37,300戸)。

男山団地関連年表

  • 1960(昭和35)年8月:住宅公団、男山団地の建設を計画
  • 1962(昭和37)年12月:日本住宅公団、男山団地の開発を決定
  • 1965(昭和40)年4月26:「日本住宅公団推進協議会」結成
  • 1969(昭和44)年5月:「男山団地」の名称決まる
  • 1969(昭和44)年11月:男山団地の造成始まる
  • 1972(昭和47)年3月:男山団地の入居始まる
  • 1977(昭和52)年4月:男山団地完成
  • 1977(昭和52)年11月1日:八幡市となる

*八幡市誌編纂委員協議会編『八幡市誌 第三巻』八幡市 1984年


男山団地への入居により、八幡町の人口は急増。男山団地が完成した1977年(昭和52年)には町となっています。
ただし、人口の急増は八幡町の財政を圧迫することにもなりました。『八幡市誌 第三巻』(1984年)には当時の状況が次のように記載されています。

世情が〔※オイルショックによる〕沈滞ムードの中にあって、八幡町は四七年から始まった男山団地の入居によって京都府下最高の人口急増の町となり、町財政を圧迫していった。四九年三月、衆議院地方行政委員会が「地方税制の一部を改正する法案」を審議するにあたり、八幡町町を参考人として国会に喚んだ。町長は席上、人口急増下の市町村が抱える財政の苦しさと、住民の暮らしと地方自治を守るため、税制度の改善を強く国に要望した。(p458)

・・・(略)・・・

⑤地方税と人口急増の関係について問題点を申し述べたい。それは特に大きな税源である住民税と固定資産税の課税基準日が、課税年度の属する年の一月一日現在になっていることである。私の町は四五年の国勢調査から昨年一〇月までの三年間に、二万三〇〇〇人が四万人に七四パーセントもの人口増加をみている全国有数の急増市町村であるが、この増加人口に対して転入者の居住とともに即刻行政経費が必要であり、学校等の施設整備は居住よりも先行して必要である。しかし増加人口がもたらす税収入は、一月一日以降に転入居住した人については翌年度以降になる。住民税においては、本人は八幡町に住んでいるのに税は前住地に納まる。この点合理的な改善方法はないものか。そのためにある地方交付税は、前年度末の人口で計算することになっていて、年度途中に増える人口分は全くみないということにされている。悪いことには、この前年度末人口も全国平均人口増加率相当分を控除され、さらに実数より割落しをさあれる。私の町の場合、四九年度の試算では一四五〇万円が全く根拠なく割落しされ、その上、数千人に及ぶ年度途中の増加人口が、必要な数千万円の財源を持たぬままに、既住の住民の乏しい財源を喰うという理解のできぬ矛盾を、現行の地方税制と交付税制は待っているのである。この問題の解決無くしては、住宅建設に対する市町村の拒否の姿勢は収まらないであろう。前項の人口急増市町村の要望を代表する立場で、この問題の解決を切望するものである。−と訴えた。
高度成長はすでに終わり、物質的豊富さによる都市化は終焉を告げたのである。
次には新しい価値を基礎にした新しい町づくりを考えねばならない時代がきていた。(p460)
*八幡市誌編纂委員協議会編『八幡市誌 第三巻』八幡市 1984年


ディスカバー千里のメンバーと男山団地を訪問した際には、中央センターの「だんだんテラス」を最初に見学させていただきました。「だんだんテラス」は関西大学・八幡市・URによる「男山地域活性化プロジェクト」の一貫として、2013年11月にオープンした場所です。

「だんだんテラス」見学後、中央センターと、中央センター北側にある男山団地C地区へ。中央センターには3棟の高層のスターハウスがあります。

男山団地C地区は「ココロミタウン−樟葉・男山−」として、全住戸がDIY可能な住戸として指定されている団地です。団地内を歩くと、団地内では歩車分離が工夫されていることに気づきます。住棟は、東西に細長い北入り住棟が平行に配置されたものですが、
「車道−(駐車場)−平行配置の住棟−歩行者専用道路−平行配置の住棟−(駐車場)−車道」
と2列の平行配置の住棟が、歩行者専用道路を挟むように配置されています。
住棟自体も完全に平行になっているわけでなく、少し斜めにずらした住棟をいくつか配置する、歩行者専用道路を曲線に通すことで景観に変化がもたらされており、同時に、歩行者専用道路にベンチを置いたり、歩行者専用道路にそって「あそびば」が設けられることで、単に歩くだけでない豊かな空間になっている印象を受けました。

(更新:2018年7月8日)