『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

地域で役割を担いながら生活し続けること

「居場所ハウス」は2013年6月のオープンから、もうすぐ2年となります。運営では、ワシントンDCの非営利団体「Ibasho」による8つの理念をベースにしています。ここで改めて、8つの理念をご紹介させていただきます。

  • 高齢者が知恵と経験を活かすこと
  • あくまでも「ふつう」を実現すること
  • 地域の人たちがオーナーになること
  • 地域の文化や伝統の魅力を発見すること
  • 様々な経歴・能力をもつ人たちが力を発揮できること
  • あらゆる世代がつながりながら学び合うこと
  • ずっと続いていくこと
  • 完全を求めないこと

高齢になっても地域に住み続けるとはどういうことなのか? それは、高齢者がサービスを受けるだけの存在としてでなく、何歳になっても地域で何らかの役割を担える存在であり続けること。「居場所ハウス」の役割は少しでもこのような生活ができるようなサポートをしていくことです。

もちろん、「居場所ハウス」で行われるサポートは一方的なものではありません(一方的なサポートは、相手をサービスを受けるだけの存在にしてしまいます)。ある時はサポートし、ある時はサポートする。こうした繰り返しによって、地域はよりよりものになっていくのだと思います。

先日、ある90代の女性が、自分には何もできないからと砂糖を1袋差し入れしてくださいました。これも「居場所ハウス」という場所があるからこそ、この女性が地域で担える1つの役割です。

「より強いとされる者がより弱いとされる者に、かぎりなく弱いとおもわれざるをえない者に、深くケアされるということが、ケアの場面ではつねに起こるのである。」
*鷲田清一『〈弱さ〉のちから』講談社 2001年

「微弱なものの力は、ひりひりするような微弱な感受性にしか共振しない。それにふれる、それを受けとめる感受性、もしくは精神というももの現前を必要とするのだ。いや、現前という言い方は固すぎる。中井久夫さんによるpresenceの訳どおり、「いてくれること」とでも訳したほうがいい。あるいは、ここではケアにおける関係の反転が問題なのだから、co-presence(たがいに傍らに居合わせること)という言い方をしたほうがいいかもしれない。」
*鷲田清一『〈弱さ〉のちから』講談社 2001年

「たがいに傍らに居合わせること」のできる具体的な場所があるからこそ、上で紹介したように地域で担える役割にも様々な可能性が生まれてくるのだと思います。「居場所ハウス」はそうした様々なかたちの役割を取り上げてしまわない場所であり続けたいと思います。

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