日本建築学会に投稿していた論文が掲載されました。
この論文は次のような背景から構想、執筆したものです。
建築計画学では、人間と環境の関係を理解することがテーマとされてきました。人はどのような環境で、どのように居るのかを理解することが、今後どのような環境を作り出していくかを考えるための大きな手掛かりになるからです。そのための手法の1つが、この論文で取り上げている行動観察調査です。ある研究会で、ある人間の行動が「居る」と記述される時と、「寝る」と記述される時とでは何が違うのかという趣旨の意見をいただいたことがあります。これを考えるために、日本語文法論について考えるようになったのが、この論文の1つのきっかけです。
もう1つのきっかけは、人間と環境の関係を記述する枠組みとして、鈴木毅先生が提案されている「居方」(いかた)。建築計画学は人間と環境との関係について多くの知見を蓄積してきたものの、集団で行われる行為や、睡眠や食事などの明確な行為を扱うものが中心だった。居方はこのような問題意識から作り出された「『ただ居る』『団欒』などの、何をしていると明確に言いにくい行為」を扱うための枠組みで、具体的には「たたずむ」、「あなたと私」、「居合わせる」、「思い思い」、「行き交う」などの言葉によって記述されます(鈴木毅, 2004)。
言葉は、単に世界を写しとるだけのものではない。言葉によって世界の見え方が変わること、さらには、世界の作り方にも影響を与えるものであること。このことを身をもって経験できたことは有難いことだと思います。
居方からは多くのことを教わってきましたが、次のような指摘が学生の頃から頭に残っていました。
「自分自身について『たたずんでいる』と言うことは少なく、たたずんでいる人を別の人が描写する時に使うことが多い言葉のように思う」(鈴木毅, 1995a)
「『私は行き交った』とは言い難いことで分かるように、『行き交う』のは他者である。」(鈴木毅, 1995b)
「『誰かに気づかれずに居合わせる』といういい方をしないことからも分かるように、これも他人との関係の中で生まれてくる状況といえます。」(鈴木毅, 2000)
「事実私はある研究者から『こういう情緒的なスライドを使って建築を論じようとするのはよくない』という意味のコメントを頂戴したことがある」(鈴木毅, 1994a)
「佐伯胖氏、上野直樹氏には『そのシーンを撮ろうとした自分、撮ることができたこと自体の意味を考えるべきだ』をはじめとして貴重なアドバイスを戴いた。」(鈴木毅, 1994b)
居方の中には、自分自身の行為として表現しにくいものがあるのはなぜか。居方を議論するために用いられる写真が情緒的だと見なされるのはなぜか。ある環境に人が居るシーンを写真に撮影できたとは何を意味するのか。日本語文法論について考察することで、居方に関してずっと頭に残ってきたこれらのことが、日本語文法論から説明できるのではないかと思うようになりました。
日本語文法論として特に参照したのが、フランス語話者に日本語を教えるという経験に基づいた日本語文法論を提示されている浅利誠氏の議論。浅利誠氏は、日本語では「格助辞だけが空間性(イメージ表象)を喚起させる」、「格助辞の選択は、イメージ類型を考慮した場合には、動詞の選択によって、自動的に決定される」という議論を展開されています(浅利誠, 2008, 2017)*1)。
今回の論文は基礎的考察という位置付けですが、格助辞は空間性(イメージ表象)を考慮すれば、動詞の選択によって自動的に決定されるという議論を逆に考えれば、人間の行為を記述する日本語の格助辞に注目することで、その格助辞が使われた時に描かれてた空間性(イメージ表象)を読み取ることができるのではないか。これは言葉と空間をつなぎあわせるものとして建築計画学に新たな視点をもたらすのではないか。今後の展開としてこのようなことを構想しています。
■注
- 1)浅利誠氏の議論は、こちらの記事を参照。
■参考文献
- 浅利誠(2008)『日本語と日本思想:本居宣長・西田幾多郎・三上章・柄谷行人』藤原書店
- 浅利誠(2017)『非対称の文法:「他者」としての日本語』文化科学高等研究院出版局
- 鈴木毅(1994a)「居方という現象:「行為」「集団」から抜け落ちるもの(人の「居方」からの環境デザイン3)」・『建築技術』pp154-157 1994年2月
- 鈴木毅(1994b)「人の「居方」からみる環境」・『現代思想』pp.188-197 1994年11月
- 鈴木毅(1995a)「たたずむ人々(人の「居方」からの環境デザイン10)」・『建築技術』pp.194-197 1995年4月
- 鈴木毅(1995b)「都市を映し出すパブリック・スペース(人の「居方」からの環境デザイン13)」・『建築技術』pp.126-129 1995年12月
- 鈴木毅(2000)「人の「居方」からの環境デザインの試み」・住環境研究所 JKKハウジング大学校編『JKKハウジング大学校講義録I』小学館スクウェア
- 鈴木毅(2004)「体験される環境の質の豊かさを扱う方法論」・舟橋國男編『建築計画読本』大阪大学出版会