『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

東京都江戸川区のとぽす(親と子の談話室・とぽす)

新型コロナウイルス感染症が発生してから東京に行く機会がなくなりましたが、先日、打合せがあり久しぶりに東京に行く機会がありました。東京で行きたかったのが、江戸川区の「とぽす」(正式名称は「親と子の談話室・とぽす」)。1987年4月、Sさん夫妻が地域の人のために開いたカフェで、2000年頃から各地に同時多発的に開かれたと言われているコミュニティ・カフェの先駆的な場所とも言えます。

岩手県大船渡市の「居場所ハウス」は今年、オープンから10年を迎えましたが、「とぽす」を初めて訪れたのが2003年3月31日とちょうど20年前になります。最初は調査として訪問しましたが、その後、東京に住んでいた時は食事に行ったり、単行本で紹介せていただいたり、逆に、Sさんが「居場所ハウス」に来て絵手紙教室を開いてくださったりとその後、様々なかたちで付き合わせていただいています。

この日は、午後は絵手紙を描きにこられた方がいて、夕方には音楽の演奏会を企画されていました。

「とぽす」からは多くのことを教わりましたが、20年間にわたって継続的に関わりをもたせていただくことで、改めて次のことに気づかされます。

1点目は、場所における本の意味。
「とぽす」に入ってまず気づくのが、多くの本が並べられていること。最近も、本を並び替えをされたということでした。Sさんは、やって来た人にゆっくり過ごしてもらうために本を置いたと話されています。

「喫茶店で自分の本開いて読んでる時、『いつまでこの人読んでるの?』なんて思われちゃうと嫌だなって思うじゃない。だけど、ここに本があれば、『ここの本を読んでもいいんだよ』って言えば、自分の本でも読んでいいのかなって思う発想になるじゃない。」

近年、「まちライブラリー」、「みんなの図書館」というように、本に注目して場所を作る試みがされています。それぞれ本の位置付け方は異なりますが、「とぽす」からは場所における本の意味を教えていただきました。

2点目は、個人がパブリックな場所を開くこと。
「とぽす」は、Sさんが自らの土地の一画に建築した建物で開かれています。近年では、「住み開き」、「マイパブリック」というように、個人が開いたパブリックな場所を表現する言葉が使われていますが、「とぽす」は個人が開いたパブリックな場所の先駆的な場所だと考えています。

3点目は、場所の運営体制と場所の継続とは関係ない可能性があること。
「とぽす」、あるいは、「とぽす」をはじめとする地域の場所に関する研究会などでは、個人に依存する場所は継続が難しい、だから、きちんとした運営体制を築く必要があるし、運営体制についての議論をする必要があるという指摘を受けることがありました。素朴に考えれば、個人に依存する場所は継続が難しいということかもしれません。
しかし、例外と言われるかもしれませんが、個人で運営している「とぽす」は約35年も運営が継続されている。逆に、運営体制が整っているコンビニエンスストア、フランチャイズの店舗のうち、35年も運営が継続されているところはどのぐらいあるのだろうか、一般の企業も、組織としての体制が整っても、最終的には個人に依存するからこそ、社員の選抜に力をいれているのではないのか。だとすれば、地域の場所にだけ、個人に依存する場所は継続が難しいという議論を向けることの妥当性について考える余地はあるかもしれません。


様々なかたちの新たな場所が開かれています。
調査として、新たな場所の動きに敏感であること、その時々で注目される研究テーマを追うことは大切ですし、同時に、1つの場所と長期間関われるという縁があることもありがたいことだとも思います。