『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

新型コロナウイルス感染症下における居場所:「親と子の談話室・とぽす」から(アフターコロナにおいて場所を考える-32)

先月末(2022年3月末)、東京都江戸川区の「親と子の談話室・とぽす」を訪れました。2020年に新型コロナウイルス感染症が発生してから訪れる機会がなかったため、約3年ぶりの訪問です。
「親と子の談話室・とぽす」1987年4月のオープンから約35年にわたって、Sさんが個人経営のお店として運営してきた居場所(コミュニティカフェ)。オープン当初から、年齢、性別、国籍、肩書き、障害の有無などの壁を取り払り、誰もが対等で居られる場所にすることが目指され、思春期の子ども、不登校の子ども、心の病を抱える人、中高年の女性など様々な人々にとっての居場所になり続けてきた場所です*1)。

「親と子の談話室・とぽす」を初めて訪れたのは、今から19年前の2003年3月31日。最初のきっかけは研究のための調査ですが、その後、東京に住んでいる時はお茶を飲みに行ったり、逆に、Sさんが大船渡の「居場所ハウス」で絵手紙教室を開いてくださったりと様々なかたちでおつきあいをさせていただいてきました。

「親と子の談話室・とぽす」の前の原桜通りの桜もほぼ満開。この桜をゆったりと見ることができるようにと考えられ、「親と子の談話室・とぽす」には通りに面して大きな窓があります。

新型コロナウイルス感染症により、人々が集まる場所は大きな影響を受けました。「親と子の談話室・とぽす」も例外ではなく、東京都に1回目の緊急事態宣言が出された2020年4~5月には運営が休止とされました*2)。
その後、2020年6月から「絵手紙の会」(絵手紙教室)が行われている毎週水曜・木曜を中心に運営が再開。当時、Sさんは、ここが閉まっていると行くところがなくて寂しいという人がいるから水曜と木曜は自由に来て絵手紙を描いてもらうようにしている、自力で建てた場所だから地域の人に有効に使ってもらいたいという話をされていました*3)。

この日も「絵手紙の会」が開かれており、3人の女性が絵手紙を描きに来られていました。Sさんが絵手紙の描き方をアドバイスすることはありますが、教室のように皆が一斉に絵手紙を描くのではなく、時には話をしながら、思い思いに絵手紙を描いている方々。1人の女性が、今日はイマイチ自分が思うような絵手紙を描けなかったと言うと、別の女性が「ここに来るだけでいい」と声をかけておられました。絵手紙の後はお茶の時間。1人の女性はみなで食べて欲しいとお菓子の差し入れをされていました。
Sさんは、「絵手紙の会」の人の中には何十年も来続けている人がいるけれど、何歳になってもお互いに変わらないと話されていました。

「親と子の談話室・とぽす」では毎年5月に、船堀駅前のタワーホール船堀にて「「とぽす」とその仲間展」という展示会が開かれており、「絵手紙の会」のメンバーが描いた作品も出展されていました。しかし、新型コロナウイルス感染症によって、2020年以降、「「とぽす」とその仲間展」は開催されていません。
作品は他の人に見てもらわないとダメ。このようなSさんの考えから、「親と子の談話室・とぽす」の入口を入ったところに、「絵手紙の会」のメンバーが描いた絵手紙を展示することにしたとのこと。ガラス張りになっているため、絵手紙は通りからも見ることができ、ギャラリーのような場所になっていました。

水曜・木曜は14時~17時半まで運営されており、この時間帯は絵手紙を描くことができるように花などがテーブルに用意されています。しかし、この時間帯に訪れる人は、必ずしも絵手紙を描く人だけではありません。
この日も2人の女性がに立ち寄り、お茶を飲んで行かれました。通りの桜が満開だったからここを通りかかり、立ち寄ったとのこと。2人の女性が入ってきた時、Sさんは「久しぶり」と声をかけておられていました。別の1人の女性は、絵手紙を描いている人と同じテーブルに座られました。絵手紙を描いたらとすすめられていましたが、今日はいいと言い、話をしながら、お茶を飲んでおられました。


この日、約3年ぶりに「親と子の談話室・とぽす」を訪れ、次のようなことを感じました。

1つ目は、オープンから約35年が経ても生まれた新たな機能について。
新型コロナウイルス感染症が発生してから「「とぽす」とその仲間展」が数年にわたって中止にされましたが、作品は他の人に見てもらわないとダメというSさんの考えから、「親と子の談話室・とぽす」の入口を入ったところに絵手紙が展示され、通りからも見ることができるギャラーのような場所になっていました。新たな機能は、その時々の要求への対応を通して生まれてくるということです。

2つ目は、インフォーマルな集まりの場所について。
新型コロナウイルス感染症が収束したわけではありませんが*4)、飲食時以外はマスクを付けるという違いはあるものの、「親と子の談話室・とぽす」がインフォーマルな集まりの場所であることは変わりませんでした。この日、Sさんから伺った「人って居ること自体が大切なんだよね。隣に居るっていうかな」という言葉が印象に残っています。
ここでインフォーマルな集まりと書いたのは、過ごし方が決められていない場所であるという意味。この日開かれていた「絵手紙の会」では絵手紙を描くことが大切にされていますが、教室ではなく、話をしながら思い思いに絵手紙を描く時間になっています。そして、絵手紙を描き終えた後はお茶の時間。この様子を見ていて、絵手紙を描くことは同じ場所に居ること、話をすること、季節を感じること、日常から少し距離をとることなどのきっかけ(手がかり)になっていると感じました。さらに、絵手紙を描いている人の周りでは、他の人も過ごしている。「親と子の談話室・とぽす」という場所において、絵手紙を描くことの周りに、緩やかな関係が広がっている。
インフォーマルな集まりには、決められた日時に訪れなくてもいいという意味もあります。毎日訪れることのできる、あるいは、所属できる居場所があることは大切。しかし、「親と子の談話室・とぽす」からは、久しぶりに立ち寄れる居場所があることも大切であることに気づかされました。久しぶりに訪れた時に、「久しぶり」と以前と同じように迎えてもらえることは、ありがたいことだと感じます*5)。
新型コロナウイルス感染症の広がりにより、不要不急の外出を控えることが呼びかけられるようになりました。過ごし方が決めておらず、毎日訪れるわけでも、所属するわけでもないインフォーマルな集まりの場所を立ち寄ることは不要不急だと見なされる雰囲気もありました(現在もそのような見方が完全には払拭されているわけではないと思います)。不要不急とは人間を「マス」として捉える視点で、この視点からはインフォーマルな集まりの場所を訪れることは不要不急と見なされますが、一人ひとりにとってはそうではないということです。

3つ目は、「親と子の談話室・とぽす」で築かれた関係について。
「親と子の談話室・とぽす」はSさんによって個人経営のお店として運営されてきた場所。しかし、絵手紙を描きに来た人がお菓子を差し入れ、他の人に振舞っていたように、あるいは、今日はイマイチ自分が思うような絵手紙を描けなかったという人に対して、周りの人が「ここに来るだけでいい」と声をかけておられたように、「親と子の談話室・とぽす」は訪れたそれぞれの人々の気遣いによって成立しています。Sさんと訪れた人々との関係は、決して一方的にサービスを提供する人/提供される人という固定されたものでない。
Sさんは、このような関係を「家族」に喩えて表現しています*6)。

「ここ家族っていう感じかな。そうなっちゃうんだよね、みんなね。近くに勤めている方でも、昼を食べに来てくださる方はお花をもって来てくれたりね。私が絵描いてるからって、自分の家の花を届けてくれたりね。」

「たとえば家族なんてそうでしょ。何かあった時に、『ヘルプ』って言った時にはぱっと飛び出せるっていうか。だけどもいつもいつも『大丈夫、大丈夫、大丈夫?』って聞いてたら、それこそあれよね。お互いにそれぞれが自分のところに座ってて、誰からも見張られ感がなく、ゆっくりしてられるっていう。だけども、『何か困った時があったよね』って言った時には傍にいてくれるっていう、そういう空間って必要だなぁと思ってね。」

Sさんのいう「家族」とは「いつもいつも『大丈夫、大丈夫、大丈夫?』って」聞くような過干渉で、閉鎖的なものではない緩やかなもの。けれども、「『何か困った時があったよね』って言った時には傍にいてくれる」ような関係。差し入れをしたり、相手に声かけをしたりというように、この日「親と子の談話室・とぽす」で目にしたのは、まさにこのような関係でした。

哲学者の東浩紀(2021)は、「ぼくたち人間は、しょせんは家族をモデルにした人間関係しかつくれないのではないか」、だとすれば、先に進むためには家族の概念を再定義する必要があると指摘し、家族を次のように定義していることが思い浮かびます*7)。

「家族という言葉を、『親密』で『閉鎖的』で『私的』な領域を名指すものとして使うのをやめて、むしろ、親密なものと親密ではないもの、閉ざされたものと開かれたもの、私的なものと公的なものを統一して規定するような、より上位の関係概念として捉えなおしたいと思う。」(東浩紀, 2021)

「親と子の談話室・とぽす」のように、現在、各地に開かれている居場所は個人によって開かれ、運営されている場所が多数あります。これに対して、個人に依存するのでは運営を継続するのは難しいため、運営を継続するための制度や組織を考える必要があるという指摘がされることもあります。
こうした議論に対して、「親と子の談話室・とぽす」が教えてくれるのは、Sさんという個人によって運営されているとしても、何十年にもわたる運営を通してSさんの周りには「家族」と表現されるような関係が築かれていること。これは確かに既存の制度や組織とは相容れないかもしれないけれども、「家族」と表現されている関係を背景として「親と子の談話室・とぽす」というパブリックな場所が成立していること。「親と子の談話室・とぽす」は「親密なものと親密ではないもの、閉ざされたものと開かれたもの、私的なものと公的なもの」についての再考を促しています。


■注

  • 1)「親と子の談話室・とぽす」の詳細は、田中康裕(2021)を参照。
  • 2)東京都に1回目の緊急事態宣言が出されたのは 2020年4月7日~5月25日である。東京都には何度か緊急事態宣言が出されたが、2回目以降の時期は「親と子の談話室・とぽす」の運営は休止されていない。
  • 3)「親と子の談話室・とぽす」はこれまで補助金を一切受けずに運営されてきた。
  • 4)2022年3月末の東京都では、1日の感染者数が7,000~9,000人という日が続いている。
  • 5)「親と子の談話室・とぽす」は、筆者にとっても久しぶりにでも立ち寄れる大切な居場所である。
  • 6)「親と子の談話室・とぽす」に対しては、Sさんの血縁関係としての家族による見守りもなされている。
  • 7)東浩紀(2021)が定義する家族と、「閉ざされてもいれば開かれてもいる場所」としての居場所については、こちらの記事も参照。

■参考文献

※「アフターコロナにおいて場所を考える」のバックナンバーはこちらをご覧ください。