『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

香港の元朗ニュータウンの光景

香港では、1960年代後半から1970年代にかけて「ニュータウン」(new town)という言葉が正式に採用され、これまでに9つのニュータウンが開発されてきました。
ヨーロッパ文化センター・イタリア「Time Space Existence」における香港中文大学(CUHK)のグループによる展示「「ニュー」ニュー・タウン」を見た後、いくつかの香港のニュータウンを歩く機会がありました。少し歩いただけのため表面的な印象に過ぎませんが、香港のニュータウンで見た光景をご紹介したいと思います。

香港の元朗ニュータウン

元朗(Yuen Long)ニュータウンは、1977年から第2期のニュータウンとして開発されました。面積561ha、計画人口19万6千人と香港の中では規模が小さいニュータウンとなっています*1)。千里ニュータウンは、面積1,160ha、初期の計画人口15万人。元朗ニュータウンは、千里ニュータウンに比べると面積が約半分であるにも関わらず、計画人口は約1.3倍と、密度の高いニュータウンとして計画されていることがわかります。

元朗(Yuen Long)駅はMTR屯馬線(Tuen Ma Line)の駅で、九龍半島の南端にある尖東(East Tsim Sha Tsui)駅から約30分の位置にあります。元朗ニュータウンの西には、第3期のニュータウンの天水囲(Tin Shui Wai)ニュータウンがあります。

元朗駅に直結してモールがありますが、新たなモールが建設されているようで、元朗駅の南側で大規模な工事が行われていました。モールの上層部には、建設中の高層の住棟も見かけました。

(元朗駅周辺)

元朗駅の北側は、南側と雰囲気が違い、2~3階の低層の住宅が建ち並んでいます。低層の住棟の奥には、高層の住棟と山が見えました。

駅に直結するモールを通り抜けて、青山公路・元朗段の南側へ。元朗駅の南側は20階くらいの細長い住棟が建ち並んでおり、足元は店舗になっています。

(元朗駅の南側を走る青山公路・元朗段)

(元朗駅の南側)

西に歩いて青山公路・元朗段へ。この付近は大きな通りが交差していますが、その上を歩行者専用のブリッジが架けられています。まだ工事中でしたが、歩行者専用のブリッジは駅に直結するモールに接続されるように思われます。
青山公路・元朗段は真っ直ぐ西に通っており、MTRの元朗駅を起点とするライトレール(軽鉄)が走っています。
ライトレールの路線は、元朗ニュータウンと、西にある天水囲ニュータウン、そして、南西にある屯門(Tuen Mun)ニュータウンの3つのニュータウンを結んでいます。

(歩行者専用のブリッジ)

(ライトレールが走る青山公路・元朗段)

青山公路・元朗段の両側には整然と建物が建ち並んでいます。建物の1階はずらっと店舗が並んでおり、多くの人を見かけました。特に、ウェットマーケット(同益街市)とその周辺では多くの人を見かけました。
千里ニュータウンではこのように多くの人を見かけたことはありません。同じニュータウンという言葉で表現されていますが、千里ニュータウンは店舗が近隣センターや地区センターなど決められたエリアに集中しており、住宅の割合が多いことに気づかされます。

(青山公路・元朗段周辺)

青山公路・元朗段を西に歩くと、ライトレールの豊年路(Fung Nin Road)駅の北側にある元朗廣場(Yuen Long Plaza)というモールが見えてきます。元朗廣場からMTRの朗屏(Long Ping)駅にかけて、高架の歩行者専用のブリッジがつながっています。

(元朗廣場から朗屏駅につながる歩行者専用のブリッジ)

街の光景はMTRの線路の南北で一変。線路の北側には、朗屏邸(Long Ping Estate)という高層の住宅が建ち並ぶエリア。中には「Y字型」の平面をもつ高層のスターハウスもあります。

駅から続く高架の歩行者専用のブリッジは、朗屏邸にもつながっています。高層の住棟の間は広場になっており、ベンチに座って話をしている人、テーブルを囲んで将棋のようなゲームをしている人などを見かけました。ただし、MTRの線路の南側のように店舗が並んでいないため静かで、千里ニュータウンに近い印象を受けました。

(朗屏邸)

(朗屏邸を通り抜ける歩行者専用のブリッジ)


■注

  • 1)面積と人口は、ヨーロッパ文化センター・イタリア「Time Space Existence」における香港中文大学(CUHK)のグループによる展示「“New” New Town」を参照している。