『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

香港の沙田ニュータウンの光景

香港では、1960年代後半から1970年代にかけて「ニュータウン」(new town)という言葉が正式に採用され、これまでに9つのニュータウンが開発されてきました。
ヨーロッパ文化センター・イタリア「Time Space Existence」における香港中文大学(CUHK)のグループによる展示「「ニュー」ニュー・タウン」を見た後、いくつかの香港のニュータウンを歩く機会がありました。少し歩いただけのため表面的な印象に過ぎませんが、香港のニュータウンで見た光景をご紹介したいと思います。

沙田ニュータウン

沙田(Sha Tin)ニュータウンは、1973年から第1期のニュータウンとして開発されました。面積は3,590ha、計画人口は77万1千人*1)。千里ニュータウンは、面積が1,160ha、初期の計画人口が15万人であるのに比べると、非常に規模が大きいことがわかります。

沙田ニュータウンは城門河に沿って開発。城門河は、南西から北東に流れており、両側には山が迫っています。このような地形から、沙田ニュータウンは細長いかたちとなっています。

城門河の左岸(北)にはMTRの東鉄線(East Rail Line)、右岸(南)にはMTRの屯馬線(Tuen Ma Line)が走っています。
東鉄線(East Rail Line)の沿線には、南から沙田ニュータウン、大埔(Tai Po)ニュータウン(第2期のニュータウン)、粉嶺・上水(Fanling-Sheung Shui)ニュータウン(第2期のニュータウン)があります。
もう1つの屯馬線(Tuen Ma Line)の沿線には、西から屯門(Tuen Mun)ニュータウン(第1期のニュータウン)、天水囲(Tin Shui Wai)ニュータウン(第3期のニュータウン)、元朗(Yuen Long)ニュータウン(第2期のニュータウン)、荃湾(Tsuen Wan)ニュータウン(第1期のニュータウン)、沙田(Sha Tin)ニュータウン(第1期のニュータウン)、そして、沙田ニュータウンの延長である馬鞍山(Ma On Shan)と多くのニュータウンがあります*2)。
香港ではこれまで9つのニュータウンが開発されていますが、第3期の将軍澳(Tseung Kwan O)ニュータウンと北ランタオ(North Lantau)ニュータウンを除いた9つのニュータウンが、沙田ニュータウンを通るMTRの東鉄線(East Rail Line)と屯馬線(Tuen Ma Line)の沿線に位置することになります*3)。

沙田(Sha Tin)駅は東鉄線の駅で、香港中心部の金鐘(Admiralty)駅から30分ほどの位置にあります。

沙田駅に直結してニュータウン・プラザ(新城市廣場)という巨大なモール、その東側には、タウンホール、図書館、婚姻登記所などの公共施設が集まるエリアがあります。一方、沙田駅の西側はすぐ山が迫り、山裾には寺院も見えました。

(沙田駅の東側)

(沙田駅の西側)

沙田駅の東側の公共施設が集まるエリアのさらに東は、城門河に沿って沙田公園があります。芝生の広場、中国風の庭園、屋根の付いたステージ、噴水のある池などのある非常に大きな公園。

(沙田公園)

城門河沿いに出ると、高層の住棟などの建物が建ち並んでいる光景が目に飛び込んでいます。城門河の両岸は、自転車専用レーンのある遊歩道として整備されています。

(城門河)

(城門河沿いの遊歩道)

沙田公園からは、歩行者専用のLek Yuen Bridgeが架かっています。

(Lek Yuen Bridge)

沙田公園を少し北に歩いて、沙燕橋で城門河を右岸へ渡ります。付近は、20階を越える階数の高層の住棟が建ち並んでいます。
高層の住棟の足元が、高架のデッキで連結されているのが目にとまりました。これによって、歩車分離が実現されています。歩車分離の仕組みは、1つの敷地だけで完結せず、敷地と敷地との関係をどう考えるかなど広い視点が求められます。広い視点をもって、ある広がりを持ったエリアを計画できること。高架のデッキを歩きながら街を計画するとはこういうことなのだと考えていました。

(城門河の右岸)

(高架の歩行者専用のデッキ)

高架の歩行者専用のデッキを歩いて、沙田井路を南へ。高架の歩行者専用のデッキはここで終了。この後、高層の住棟の敷地の中を歩いて、MTRの沙田井駅に向かいました。
沙田井駅の北側は広場として整備。南側には、「Y字型」の平面をもつ高層のスターハウスが何棟か建っているのが見えます。

(沙田井駅の北側)


■注

  • 1)面積と人口は、ヨーロッパ文化センター・イタリア「Time Space Existence」における香港中文大学(CUHK)のグループによる展示「“New” New Town」を参照している。
  • 2)1980年代に開発が提案された馬鞍山(Ma On Shan)は、公式には沙田ニュータウンの延長として位置づけられているが、この記事では馬鞍山(Ma On Shan)は紹介していない。
  • 3)香港のニュータウンについては、こちらの記事を参照。