『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

まちの居場所における思い・ビジョンと制度化について

「まちの居場所」(コミュニティ・カフェ)に初めて出会ったのが2000年頃。それから10年、15年が経過しました。
最近では地域包括ケアシステムにおける居場所、介護予防・日常生活支援総合事業(新しい総合事業)における「通いの場」と、「まちの居場所」が特に福祉の分野において制度の中に位置づけられる動きが進みつつあるように感じます。

多くの地域で「まちの居場所」が求められているからこそ、制度(Institution=施設)化の流れが生じていることを思えば、こうした制度化の動きは地域をより良いものにしていける可能性がある。けれども、制度化によって「まちの居場所」の先駆者たちが大切にしてきたものが失われてしまうのではないかという危惧があるのも事実。もちろん、これは制度化がいいとか悪いとかの話ではなく、1つひとつの場所について丁寧に見ていくしかないのだと思いますが。

「まちの居場所」をめぐるこの10年、15年の動きを見ていると、(やや一般的かもしれませんが)次のような過程を経てきたこと、今もこの過程は進んでいることを感じます。

  • 従来にはないタイプの場所が開かれ始める。そこでは「居場所」がキーワードとされる。結果としてみれば、これらの場所は「まちの居場所」の先駆けになっていたと言える
  • この動きは散発的でなく、各地に同時多発的に開かれるなど1つの時代の流れとなり、注目を受ける
  • 新たなタイプの場所への見学、視察、調査が行われ、場所を成立させている条件を拾いあげていく。これを整理し、他でも使える知見として一般化
  • 条件を満たすものを補助金などの形で優遇し、普及させていく

素敵だなと思う場所と出会った時、どうしてこの場所が成立しているのか? 他の地域にもいかせることはないか? と思うことは自然なこと。しかし制度化されつつある中で失われるものがないかということは、きちんと見ておきたいことです。
話は逸れますが、少し前に次のような話を聞きました。
福祉サービスの1類型である小規模多機能型居住介護では、登録定員が25名以下という条件が定められています。25名以下という規模であれば、周囲に人が住んでいる場所(まちの中)でも運営しやすいため、周囲の人々も気軽に出入りできる開かれた施設になる。こうした思いをもとに制度が作られたにも関わらず、制度化されたことによって25名という規模だけが一人歩きし、開かれた施設にするための運営のあり方や立地がなおざりにされている場合があるという話でした。

この話を例に持ち出すまでもなく、制度化の問題は形式だけが優先され、先駆者、あるいは、制度作りに携わった人々の思い、ビジョンがいつしか忘れさられてしまうこと。
制度を作りあげていく上で見学、視察、調査という行為と、それに携わる専門家、研究者の役割を過大評価してはいけませんが、専門家、研究者は見学、視察、調査で得られた情報を整理し、一般化することには長けていても、思いやビジョンといった量的に把握しにくいもの、主観的に思えてしまうことの取り扱いは苦手なように思います。

見学、視察、調査のもう1つの困難は、成功している(と見なされる)事例、名前の通った事例は対象にしやすくても、失敗した事例、既になくなってしまった事例は対象にしにくいということ。だから、ついつい「今、成功しているのは、過去に○○があったから」というように、今から過去に遡る視線を持ってしまいがち。
「居場所ハウス」の運営にオープンから関わらせていただいて実感するのは、今の状態は、過去からの必然によって生み出されるわけではないということ。例えば、今、「居場所ハウス」で行われている食堂の運営、毎月の朝市も、オープン当初には実施することになろうとは思ってもいなかった。多くの話し合いを行い、問題を解決し、様々な条件が重なって選びとられたもの。偶然実現したわけではないが、実現するのが必然だったわけでもない。過去から今を辿るならば、今の姿というのは様々な可能性の中から選び取られたものの1つということになります。

「居場所ハウス」に限らず、長く運営されている方に話を伺っても、同じことを感じます。最初に、地域に解決したい課題があり、「まちの居場所」はそれを解決するためのもの。様々な偶然が重なって今のような運営をしているけれども、違うかたちになっていた可能性もある。
そうした揺れがあったとしても、思いやビジョンがしっかりしているから、場所自体のあり方がぶれているようには見えない。思いやビジョンというものは、他であったかもしれない可能性を含むものかもしれません。
だから、どんなことがあったのかという時々の出来事を、歩みとして蓄積することに意味があるのだと考えています。

見学、視察、調査において思い、ビジョンといったものを直接的には扱うのが難しいとしても、場所の歩みをないがしろにせず、「条件が違えば他であったかもしれない可能性」について意識しておくこと。それが結果として思いやビジョンを大切にする振る舞いではないか。
ただし、もし制度化というものが「条件が違っても同じものを実現すること」を目指すとすれば、この振る舞いは制度化とは相性が良くないかもしれません。

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