『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

まちの居場所と社会的弱者という概念

日本では1980年頃からフリースクール、コミュニティ・カフェ、地域の茶の間、宅老所など様々な「まちの居場所」が開かれてきました。近年では子ども食堂が各地に開かれています。
こうした動きを振り返ると、「まちの居場所」とは、既存の制度(=Institution=施設)の隙間にあって、きちんとしたケアがなされていない人々、例えば、不登校の子ども、高齢者、障がい者、母子家庭の人などの居場所を実現しようとする先駆的な運動だと捉えることができます。

既存の制度(施設)の隙間にある人々にとっての「まちの居場所」が最終的に目指しているのは、そのような人々を制度の中にひろいあげようとすることなのか? この点については議論の余地がありそうですが、「まちの居場所」は常に制度化(施設化)していこうとする流れの中にあったと言うことはできます。
例えば、学校の外部であったフリースクールに行った日数が学校の登校日としてカウントされたり、宅老所をモデルとして2005年の介護保険法改正により小規模多機能ホームが生まれたり、コミュニティ・カフェや地域の茶の間をモデルとして2015年に施行された「介護予防・日常生活支援総合事業」(新しい総合事業)に「通いの場」のサービスが盛り込まれたりしてきました。

当初、既存の制度(施設)の隙間であったが故に、試行錯誤によって、自由な発想によって、魅力的な場所であった「まちの居場所」は、制度化・施設化により形式的なものになってしまう。
例えば、当初は学校に行けない子どもたちにとっての居場所であったフリースクールだが、フリースクールに通えない子どもたちが出てきたという話を聞いたことがあります。あるいは、宅老所とはそもそもが地域密着だったはずなのに、それがモデルとされた小規模多機能ホームでは地域密着になっていないところがあるという話を聞いたことがあります。
「まちの居場所」が制度化・施設化されることで、それまで制度(施設)の隙間にあった人々が制度(施設)の中にすくいあげられると同時に、さらにその新たな制度(施設)から漏れ落ちてしまう人々が出てくる。これを終わりのない堂々巡りと捉えればよいか、制度(施設)が徐々に改善されていると捉えればよいか。


もしかしたら、根本的に考え方を改める必要があるのかもしれません。

「まちの居場所」が(善し悪しは別として)制度化・施設化されるのは、不登校の子ども、高齢者、障がい者、母子家庭の人などを社会的弱者と見なそうとする視線にあるのではないか。制度化・施設化をめぐる困難は、社会的弱者を救おうという正義感や優しさから生み出されてくるのかもしれません。
ワシントンDCの非営利組織・Ibashoの8理念をベースとして運営する大船渡の「居場所ハウス」で大切にしているのは、高齢者が面倒をみられる存在ではなく、自分にできる役割を担いながら地域の担い手として居られること。つまり、高齢者が社会的弱者としては見なされないようにすることである。
しかし、このことは高齢者を社会的強者と見なして、突き放すという意味ではありません。社会的に弱者とか強者とかというような強弱の軸にとらわれるのではなく、高齢者というネガティブなイメージが染みついた言葉にこだわるのでもない。

今年の夏、ある場所を訪問させていただき(改めて)確信したのは、一人ひとりが、高齢者とひとくくりにされるのではなく、固有の顔、固有の身体、固有の名前をもった個人で居られることが大切にされている、ということです。
「居場所ハウス」のことを振り返ると、自分自身も「居場所ハウス」で日々接している方々とは、「○○さん、○○さん」という個人としておつきあいをさせていただいています。「高齢者の○○さん、○○さん」ではなく、「○○さん、○さん」として。顔の見える関係を築くということは、その人を属性では見なさなくなるということなのかもしれません。
恐らく、他の「まちの居場所」の現場でも同様だと思います。そして、人を属性ではなく、個人として見なすこと。ここに、「まちの居場所」の制度化・施設化の困難を乗り越えるためのヒントがあるように思います。


「まちの居場所」の現場において、一人ひとりは個人として居られる。しかし、外部の人に説明したり、「まちの居場所」を広めたり、継承したりするヒントを得るために視察・調査が行われる場合には、「社会的弱者をサポートするために・・・」という話になってしまう。

繰り返しになりますが「まちの居場所」の現場において1人ひとりは個人として居られる。そうした「まちの居場所」を広めたり継承したりしようとする思いは否定できない。その時、「社会的弱者をサポートするために・・・」という話は便利な名分になりますが、この部分こそ、発想を変える必要があるのではないかと思います。つまり、「社会的弱者をサポートするために・・・」という話を持ち出さずに、「まちの居場所」を広めたり、継承したりすることを考える必要がありそうです。これが、何十年も繰り返されてきた「まちの居場所」の制度化・施設化をめぐる困難を乗り越える道ではないか。

これを考えるためには、「まちの居場所」の現場に立ち戻る必要がありそうです。例えば、「居場所ハウス」へはIbashoフィリピン、Ibashoネパールの方が訪問されました。
Ibashoフィリピンの方は「居場所ハウス」や農園の様子を見て、フィリピンに帰国後、自分たちでも農園をスタートさせました。先月末に訪問されたIbashoネパールの方は、帰国後、早速「居場所ハウス」で教わった新聞のブローチ作りを始められたと聞きます。
こうした現象を、「まちの居場所」である「居場所ハウス」の活動が、制度化・施設化されることなく伝わったと考えることができるのではないか? もしそうだとすれば、何がどのように伝わったのかを押さえておくことは重要な作業かもしれません。

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