『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

ひがしまち街角広場、二〇〇七〜あとがきにかえて〜

2007年に千里グッズの会で編集した『街角広場アーカイブ’07』のあとがきとして、次のような文章を書かせていただきました。

PDFファイルはこちらからダウンロードしていただけます。

ひがしまち街角広場、二〇〇七〜あとがきにかえて〜

『街角広場アーカイブ’05』を発行して早くも2年になる。この2年間には様々なことがあったが、まずあげなければならないのは2006年5月に「街角広場」が移転したことである。移転作業は地域の多くの人々の手によって行われ、初めはシャッターを開けるだけで埃が舞っていた空き店舗が1週間程でみるみるきれいになっていった(写真1)。この移転作業へ関わる中で、地域の力とはこのようなもののことをいうのだと気づかされた。

同じ2006年の4月には吹田市立博物館で「千里ニュータウン展」が、9月には千里中央の千里公民館で「千里ニュータウン展@せんちゅう」が開催された。「千里ニュータウン展@せんちゅう」の際には「街角広場」がサテライト会場となり、それにあわせて移転前の「街角広場」の床に描かれていた千里ニュータウンの地図が、モニュメントとして設置された(写真2)。

2007年には、6月に「NPO法人千里・住まいの学校」と「(株)太田博一建築・都市デザイン」の事務所が「街角広場」の2階に、9月にミニコミ紙「Senri’smap」の事務所が「街角広場」の並びの空き店舗にオープンした。徒歩で買い物などの日常生活が送れるようにと考えられ計画された近隣センターは、地域に根差した仕事の場として、活動の拠点として新たな役割を担いつつある。
この冊子は、『街角広場アーカイブ’05』に以上のような2年間の出来事の記録を追加し、内容を再構成したものである。編集においては、新聞・雑誌の記事や研究論文だけでなく、地域新聞や運営日誌、写真などを幅広く収録するように心がけた。一見すると内容が統一されていないように思われるかもしれないが、それは「街角広場」の歩みが多様であることの現れだと思う。この冊子の巻末に、さらに文章を書き加えることは蛇足になるかもしれないが、建築計画の分野に身を置き「どのような質の場所が実現されているか」に注目しながら「街角広場」に関わってきた者にとって、「街角広場」が今どのように見えているのかを、そして、今どのようなことを考えているのかを以下にまとめてみたい。


地域の人々にとっての「街角広場」の意味


非常に小規模であり、また、いわゆる専門家によって運営されている場所でもないが、「街角広場」は1つの観点からだけでは捉えきれないような豊かな意味をもつ場所になっている。ここでは、地域の人々にとってどのような意味をもつ場所になっているのか、という観点から「街角広場」についてみていきたい。


①思い思いに居られる場所


「街角広場」は人々が気が向いた時にふらっと訪れ、ゆっくりと過ごせる場所になっている。「街角広場」を訪れた人は仲間同士で、あるいは居合わせた人々やボランティアスタッフとおしゃべりすることができる。そうしたおしゃべりには加わらず、他の人々のおしゃべりに耳を傾けたり、1人で本や新聞を読んだりすることもできる(写真3)。

赤井:15、6年前から、・・・・・・、そのまちで、歳をとった人がどういうふうに過ごしていくのがいいかなっていうことを考えるようになった時に、ニュータウンの中には、そういう何となく過ごせる、みんなが何となくぶらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせるっていう場所はございませんでした。そういう場所が欲しいなと思ってたんですけど、なかなかそういう場所、こういう地域で確保することができなかったんです。


ニュータウンとは、生活を「学ぶ」、「費やす」、「遊ぶ」といったいくつかの機能に分解し、それぞれの機能に対応する施設を(例えば、「学ぶ」施設として図書館を、「費やす」施設として商業施設を、「遊ぶ」施設として劇場や体育館を、というように)設置することによって作られた街だといえる。このような近代の計画論においては、地域の人々が「交流する」ことを目的とする集会所や公民館と「街角広場」(写真4)はともに交流施設、あるいは、コミュニティ施設として一括りにされてしまうことになる。けれども「そこにどのように居られるか」に注目すれば、人々が思い思いに居られる「街角広場」は、予定を立ててから(場合によっては鍵を借りてから)何らかの活動に参加するために訪れる集会所や公民館よりも、商業施設であるカフェに近い。このことを考えるだけでも、「街角広場」は「交流する」、「学ぶ」、「遊ぶ」、「費やす」という生活機能によって分類された従来の施設の枠組みには当てはまらないことがわかる。このとき、「街角広場」を従来の枠組みに無理に当てはめようとするよりも、従来の枠組みそのものを再考することの方が大切だろう。上にあげた赤井さんの話は、交流施設、教育施設、商業施設といった機能による施設分類が、地域の人々の暮らしに応じた意味ある分類になっているのか? 立派な施設を設置するだけで人々の暮らしは豊かなものになるのか? ということへの大きな問題提起である。

それにしても、地域の人々が長い間求め続けてきた場所を、(建築計画の)専門家はなぜ作らなかったのか? それとも、作れなかったのか? 建築計画を専攻してきた者として、この赤井さんの言葉は深く受けとめなければならないと思う。


②自分の役割がそこにある場所


「街角広場」では毎年4月に「たけのこ祭り」が(写真5)、毎年10月には周年記念行事が行われている(写真6)。これらの行事の時にはボランティアスタッフと、普段はお客さんとして「街角広場」を訪れる人々が一緒になって準備や後片付けをしている光景が見られる(写真7)。先に述べたように、2006年の移転作業も多くの人々の協力によって行われた(写真1)。



赤井:[周年記念行事の時は]知らない間に色んな人が来て手伝ってくれます。それからあの、バーベキューコンロ6つぐらい出してそこで、・・・・・・、炭火を起こしてものを置いときますと、誰かがそこを全部お世話をしていただける。気がついて終わってみれば、きれいに片付けてる。でも、ふと見たら、誰も、どこで誰がいつ何をしてくれてたか全然わからないような。たぶんその時のスタッフなんて10名や20名じゃないと思います。・・・・・・、「ボランティアスタッフって何だろう」と思った時に、「いや、10名じゃないなぁ、20名じゃないなぁ。その時だけだったら30名、50名もボランティアスタッフがいたかもしれないな」と思うようなかたちで「街角広場」をやっております。


大きな行事の時だけではなく、日常の水汲みやテーブルの後片付けを手伝う人もいる。写真を展示したり、竹細工を展示したりする人もいる。パンを焼いたからとパンを差し入れたり、千里中央まで行ったからとたこ焼きを差し入れたりする人もいる。このように、「街角広場」は商業施設としてのカフェのように訪れた人々がお客さんとして思い思いに居られるというだけの場所ではない。人々が「自分にはこれができる」という自分なりの役割を見出し、その役割を通じて関わることのできる場所でもある。もちろん、ボランティアスタッフには日々の運営を成立させるという大きな役割がある。



赤井:男性で何かことあるごとにすぐ駆けつけてくれる方、「もう、ちょっとここペンキがはげた」言ったらペンキを塗りに来てくれる方、「ここが外れてる」と言ったらトンカチしに来てくれる方、「重たいもん持たなあかんねん、重たいもん動かす」って言ったら重たいもの、あの、便利な場所なんです。・・・・・・、私が「ここをこうしたいんだけどなぁ」と言ったら誰かがしに来てくれる。そういうスタッフがこれ、これはもう特定できません。きっとその辺に、あの、道にいる人声掛けたら皆入って来てくれますので。



地域に関わるとは、自分なりの役割をそこに見出すことであるとするならば、ボランティアスタッフとして運営に携わったり、水汲みを手伝ったり展示したりしている人は既に地域に関わっていることになる。「街角広場」は、人々が地域に関わるための様々な入口、あるいは、隙間を見出すことができる場所になっているといえる。


③活動を始めたり、参加したりするきっかけになる場所


「街角広場」は「写真サークル・あじさい」、「東丘ダディーズクラブ」、「千里竹の会」・「千里・住まいの学校」、「千里グッズの会」などの団体にとっての活動の場所でもある。こうした活動に参加するために、あらかじめ予定を立ててから「街角広場」を訪れる人々もおり、この場合「街角広場」は集会所や公民館と同じような意味をもつ場所になっている。
ただし、「街角広場」は集会所や公民館のように事前に予約することなく借りることができ、時間を気にせず夜遅くまで利用することができる。禁煙ではあるが、夜になるとアルコールを飲むことができる。このように「街角広場」は非常に自由に利用できる場所である。

赤井:まぁ団地にあります集会所っていうのは、要するに目的がきっちりしていて、申し込んでおかないと使えないんですね。「街角広場」っていうところは便利なところで、「今日の夕方これに使いたいねんけど、貸して欲しい」って飛び込んで来た人にもすぐに貸せるような状況ですので、そういう利用もあります。

赤井:今は、PTAその他の会合は、夜行われることが多いんですね。ところが、・・・・・・、色んな施設は9時になったら、・・・・・・、出て行かなきゃなりません。ところが今の[ダディーズの]お父さん達は、夜8時ぐらいからそこの場所で会合して、まぁどうかしたら、夜中の1時、2時まで、まぁ熱心に、アルコール片手に色んな協議がなされて、また、そのお父さんたちが催す小学校の行事になったりします。

「街角広場」は地域の人々が活動の成果を自由に展示したり、販売したりできる場所でもある(写真8)。「千里グッズの会」は千里ニュータウンの絵葉書を販売しているが、「街角広場」のように自由に絵葉書を販売できる公共施設は少ない。多くの公共施設では、その趣旨によらず一切の売買行為が禁止されているのである。また、「街角広場」で行われている活動の中には、「街角土曜ブランチ」(写真9)や「写真サークル・あじさい」のように、喫茶と並行して行われているものもある。

このように成果を展示・販売している活動や、喫茶と並行して行われている活動があるため、お茶を飲むためだけに「街角広場」を訪れる人々でも、地域でどのような活動が行われているのかに触れることができる。


④地域の人々と顔見知りになれる場所


自身の経験を振り返れば、「街角広場」で顔見知りになった多くの人々を思い浮かべることができる。ただし、「名前は○○で、出身は○○で、趣味は○○で…」と自己紹介をして顔見知りになったわけではない。千里の絵葉書を持って行ったりコーヒーを飲みに行ったりと、何度も「街角広場」に行くうちに自然に顔を覚え、また、覚えてもらったのである(きちんと自己紹介し合ったわけではないので、あるボランティアスタッフの方の名前をしばらく間違って覚えていたこともあった。挨拶もするし、話をしたこともあるが未だに名前を知らない人もいる)。自身の経験を書いたが、他の方々も同じような経験をされているのだと思う。実際に「『街角広場』では自己紹介しなくても色んな人と話せるのがいい」という声を聞いたこともある。

また、学校帰りに水を飲みに立ち寄るなど、子どもたちも日常的に出入りする「街角広場」は、子どもと大人が世代を越えて顔見知りになれる場所でもある(写真10)。

赤井:旧市街と違って私たちの街は、3世代同居っていうのはほとんどないんですよね。・・・・・・。そしたら、世代間交流っていうのはね、・・・・・・地域でやるわけですよ。そしたら、お互いお客さん同士でね、イベントですから。で、こうやってこう座ってるんですけども、だからそれが終わってから、また道で会っても、あの時会ったおじいちゃんおばあちゃんと子どもたちが、気軽に道であっても挨拶して接触するかっていったら、そういうことはないんですよね。イベントの時だけ。「お肩を叩きましょ」って言ったらお肩を叩くんだけど、誰の肩叩いたか、誰に叩いてもらったかも知らないようで、道で会っても「この間ありがとう」の一言もお互いに出ない。そんな世代間交流なんて私は意味がないって言って。「街角」へ来れば子どもも出入りする。そしたら、自然と年寄りとか色んな年代の人が来ますから、そういう人との接触の中で自然に顔見知りになって、道で会っても話をする、挨拶をするっていう場所ができてくるだろうと思ったら、やっぱりそのようになってきたみたいで、・・・・・・

もちろん、「街角広場」で顔見知りになった人と、その後、仲間のように親しくなることもあるだろう。ただし、「街角広場」が地域に開かれていることの意味は、地域の人々が(仲間になるかどうかに関わらず)互いに顔見知りになれるということ自体にある。

地域で仲間を作ることは大切なことである。けれども、地域の人々みなと仲間になる必要はない。そもそも地域の人々みなと仲間になるのはそんなに簡単ではないし、「仲間になろうとしていじめられ、仲間にしようとしていじめる」*1)ということだってある。だから、地域の人々みなと仲間になることを夢見るよりも、道を歩いていて「こんにちは」、「今日はいい天気ですね」と声をかけ合うことができるような、(仲間ではないが)顔見知りの人を増やすことの方がずっと大切である。地域には、仲間でないと居づらい思いをする場所だけでなく、無理に仲間になろうとしなくても「ここに居てもいいんだ」と思える場所も必要である。このような観点から地域を見まわしてみると、仲間同士で過ごせる場所はたくさんあるけれど、地域の人々と顔見知りになれる場所や、顔見知りになった人とその後もずっと顔見知りのままでいることが許される場所というのは意外に少ないのではないだろうか。このような状況にあって、「街角広場」が地域に開かれていることの意味は大きい。

地域は「他の人々を人間として知らねばという強迫的な衝動なしに人々と一緒になることが意味のあるものになるフォーラムでなければならない」*2)と思う。


⑤様々な求めに対応してもらえる場所


「街角広場」は何か困ったことがあれば助けを求めて駆け込むことができる場所である。例えば、仕事を失い電気とガスを止められた人が「街角広場」にお湯をもらいに来たこともあったという。赤井さんはこのエピソードに触れて、「街角広場」には「駆け込み寺的な要素もあるようです」*3)と話している。
人々が「街角広場」に助けを求めるのは、このように緊急の時だけではない。


赤井:人の一時預かりもしてます。「ちょっと家掃除するから、車椅子のこのおじちゃん預かってて」。「子ども、ちょっと買い物行くから、この子どもら2人置いといていいですか」って、「どうぞ」言うと、遊んでます、そこで、お母さん買い物に行ってる間。何でも一応できることは、やれてしまうんですね。

赤井:夕方学校から帰りましたら、「街角広場」の前の広場で、子どもたちが遊びます。そこでは喧嘩もあります。・・・・・・。そんな時は、みんな「街角広場」に子どもたちが入って来ます。・・・・・・、怪我したら、泣きながら「転んだ」と言って、そこを手当てする、救急箱置いてますので、手当てもします。それから、喧嘩したら、「おばちゃん、あいつちょっと悪いねん」、そしたらまた喧嘩の仲裁にも行きます。

人を一時的に預かったり、忘れ物を預かったり、伝言をことづかったり、子どもたちの喧嘩を仲裁したり、怪我を手当したりというように、「街角広場」では(たとえそれが些細なことであっても)人々の様々な求めに対してその都度の対応がなされている。


⑥地域の情報が集まる場所


「街角広場」の掲示板には、「せっかくだから、ここを起点として学校の情報を外に出すことを考えたらどうですか?」という赤井さんの呼びかけによって、近くの小・中学校の学校通信が掲示されている。


赤井:小学校はもうマメな校長がいて、学校通信をせっせせっせと作っては、父兄にも渡してるけれど、・・・・・・、[「街角広場」には]カラー刷りのものを持って来て貼ってる。それをみんな、子どもも大人も、地域の人もみんな読んでます。・・・・・・。中学生っていうのはね、家帰って、男の子なんか学校からもらったお手紙出さないんですよ、親には。で、親にとってみたらほとんど学校からの連絡が来ないのが、「街角広場」へ来れば、その学年だけじゃなくて、違う学年、学校全体の色んな情報が得られるって言って、それはもう最近はお母さんたちがよく読みに来ますね。


学校通信の他にも、掲示板には地域新聞『ひがしおか』や地域行事のお知らせなど様々なものが掲示されている(写真11)。けれども、掲示板には様々なものがとにかく貼ってあればいいというわけではない。期日の過ぎたものが掲示されっぱなしの掲示板や、情報の更新が遅い掲示板は、掲示板としての役割を果たさないのである。そのため赤井さんは、掲示板の整理をすることが毎朝の仕事になっていると話している。

ただし、掲示物のように意識的に提供しようとされている情報だけが「街角広場」に集まってくるわけではない。「街角広場」は地域の人々が出入りする場所であるため、その出入りに伴って必然的に地域の様々な情報がもたらされることになる。このような情報はおしゃべりをしたり、あるいは、他の人々のおしゃべりを耳にはさんだりすることによってさらに広まっていく。

赤井:例えば○○さんが奥さん連れて来てね、介護、今度見直してもうたら要介護になったとか、介護1になったとか、3なったとか、そういう話をしてるでしょ。で、どこへヘルパーさん来てもらうとか、どこへどんなふうな行ってるとかいう話をここでしてたら、・・・・・・[そこに居合わせた]人がそういうことを聞いてね、で、[情報が]入ってくることもある、ね。・・・・・・、別に自分が情報収集に来てるわけでなくても、人の話を聞いたら、・・・・・・

赤井:だからここなんか、・・・・・・、もうそれこそ実際顔合わしてるのこれだけでしょ。・・・・・・、誰と誰がどこで独り住まいしてることみんな知ってるわけです。・・・・・・、で、それこそ、何か「夜電気がついてない、今日はおかしい、電気ついてへんから」言って、見に行ったりしてるわけですよ。そういうのが地域コミュニティだと。

「地域の情報の交差点」と赤井さんが話しているように、「街角広場」には地域の様々な情報が集まってくる。加えて重要なのは、「街角広場」には様々な情報が集まっている(と、地域の人々が思っている)がゆえに、「街角広場」の存在自体が、「直接誰に言ってわからないことを、ここで大きな声で叫べば誰かが聞いてくれる」と赤井さんが話しているような、いわばメタレベルの情報をも人々に提供しているということである。




このように「街角広場」は地域の人々にとって非常に豊かな意味をもつ場所になっている。近年、「街角広場」のような喫茶スペースが各地に同時多発的に開かれており*4)、今後もこのような喫茶スペースが各地に開かれていくと思われる。「街角広場」を見学しに来る人も多いと聞く。それ程までに「街角広場」のような場所が求められているのである。それゆえ、「街角広場」のような場所の運営がどのようにして成立しているのかは非常に気になるところである。

そこで以下では、地域環境を物理的・社会的にデザインしていくうえで「街角広場」からどのようなことを学ぶことができるのかを考えてみたい。


「場所の主(あるじ)」と地域における環境デザイン


劇作家・演出家の平田オリザは、空間を「プライベート(私的)な空間」、「セミパブリック(半公的)な空間」、「パブリック(公的)な空間」の3つに分類している(図1)*5)。また、「すでに知り合っている者同士の楽しいお喋り」を「会話」、「他人と交わす新たな情報交換や交流」を「対話」と分類している*6)。家の茶の間のような「プライベートな空間」では、見知らぬ人同士の「対話」が生まれにくい(そもそも、家の茶の間に見知らぬ人が居るという状況は考えにくい)。「道路や広場といったパブリックな空間」でも、「ただ人々はその場所を通り過ぎるだけだから、会話自体が成り立ちにく」い。このように、「プライベートな空間」も「パブリックな空間」も見知らぬ人同士の「対話」が生まれにくい。それに対して、「セミパブリックな空間」でなら見知らぬ人同士の「対話」が生まれやすいと平田は述べている。

それでは、私たちの身の回りにはどのような「セミパブリックな空間」が存在しているのだろうか? そこで、見知らぬ人と自然におしゃべりしたり、世間話したりできる(場合によっては、その人と顔見知りになりやすい)のはどのような場所かを思い浮かべてみたいと思う。まず思い浮かぶのは、カルチャースクールや地域行事、学校行事で見知らぬ人と話をするという状況である。このような状況は大いにあり得るが、カルチャースクールは予定を立ててから訪れる場所であり、地域や学校では行事が毎日行われているわけではない。つまり、カルチャースクールや地域行事、学校行事には自分が行こうと思った時に行けるわけではない。

そこで今度は、習い事や行事ではない場所に限定して、どのような場所があるかを思い浮かべてみたい。気が向いた時にふらっと見知らぬ人の家のドアをノックして世間話をする、ということはまずあり得ない(そんなことをしたら警察に通報されるだろう)。駅や交差点でたまたますれ違った見知らぬ人に声をかける、というのもそう多くは起こらない(もし声をかけた相手が子どもなら、誘拐犯と間違われかねない)。けれども、八百屋の人となら「今日は何が安い?」、「これはどうやって料理したら美味しい?」と、洋服屋の人となら「この服似合ってますか?」とごく自然におしゃべりすることができる。散髪屋や美容院で、散髪してもらっている間に世間話をするのは(たとえ初めて訪れた散髪屋や美容院であっても)自然である。図書館の司書には、本について色々と尋ねることができる。家の前で植木の手入れをしている人がいれば「きれいな花ですね」と、畑で農作業している人がいれば「昨日の雨は助かりましたね」と、通りがかりに声をかけても不自然ではない。

ここに例としてあげた、自然におしゃべりしたり世間話したりできる人にはどのような共通点があるだろうか。それは、これらの人々はある特定の場所に(いつも)居て、その場所を大切に思い、その場所において何らかの役割を担っているという、いわば「場所の主(あるじ)」と呼べるような人物になっていることである*7)。「場所の主」とは、ある場所をその人抜きで想像することができないような人物であるといってもいい。

平田は「セミパブリックな空間」の特徴として「『内部』の人々に対して、『外部』の人々が出入り自由である」ことをあげているが(図1)、「場所の主」はまさに平田のいう「『内部』の人々」になっている。つまり、見知らぬ人ではあっても、その人が「場所の主」ならば自然におしゃべりしたり世間話をしたりすることができるのである。もちろん、このような人となら顔見知りにもなりやすい*8, 9)。

一方、「パブリックな空間」では「会話自体が成り立ちにくくなる」というのも注目すべき指摘である*10)。これは、「パブリックな空間」には「場所の主」が存在しないからだと考えることができる。癒着が起きないようにと運営者がどんどん変わっていく公共施設、人々が自由に運営に関わったり、展示したりすることが禁止されている公共施設は、あえて「場所の主」を存在させないようにしているとはいえないだろうか。もちろん癒着が起きることや、特定の人々が自分勝手に運営に口出ししたり展示したりすることは好ましいことではないが、それを恐れるあまり雁字搦めの規則によって「場所の主」が存在する可能性を事前に摘み取ろうとする考え方は、端的にいって人間を信頼していない。もしも、公共施設ではあえて「場所の主」を存在させないようにしていると考えることが間違いでなければ、地域の場所を公共施設によって置き換えていくほど、地域の人々から他者と顔見知りになる機会を奪ってしまうことになるのではないか? こう考えるのもそれ程的外れではないように思う。

話が大きくなってしまったので、「街角広場」へと話を戻したい。先に述べたように「街角広場」は地域の人々が顔見知りになれる場所であった。この「街角広場」を「場所の主」という観点から改めて見直せば、月曜日といえば○○さん、火曜日といえば○○さん、・・・・・・、土曜日といえば○○さん、写真といえば○○さん、ペンキ塗りといえば○○さん、パンといえば○○さん、○○といえば・・・・・・、ちょっと振り返るだけで、「街角広場」を大切に思い、それぞれの役割を担うたくさんの「場所の主」を思い浮かべることができる*11)。地域の人々が顔見知りになれるという意味において、「街角広場」に多くの「場所の主」が存在していることは決定的に重要である。

「場所の主」が重要であることは、赤井さんも認識されているのではないかと思う。次のように、赤井さんは「街角広場」のモデルとして「お寺の庫裡のお部屋」をあげているが、この話の中に出てくる「お寺の奥さん」はまさに「場所の主」である。

赤井:私がモデルに思ったのは、・・・・・・、お寺の奥さんっていうのは、もう四六時中そんな人が来て、一日しゃべってますよ、ね。で、お寺の奥さんは聞き置きだけで、それを口外するやなし、ここへ来てみんなが色んなことしゃべって、まぁ色んな人が来て、ここをサロンみたいなもんですよ、お寺の庫裡のお部屋っていうのはね、・・・・・・。だから私は、そういうお寺のね、奥さん的な人が誰かおって、そういう人の話をね、聞き置きだけしてあげる。・・・・・・。そういうふうなね、場所がいるんじゃないって、ここ[千里ニュータウン]にも。

「街角広場」から学ぶべき最大のことは、地域に「場所の主」が存在することの重要性とその可能性だといってもよいだろう。

以下では、「街角広場」は極めて意識的な考えに基づいて運営されていることをみていくが、「街角広場」の運営を支える考えは、「場所の主」を存在させ得るようなデザインとはどのようなものか? 人々が「場所の主」と自然に触れることのできるようなデザインとはどのようなものか? という問いに対する大きなヒントを与えてくれるように思う。


①いつでも開いているお店であること


地域の人々がふらっと訪れることのできる場所を実現するうえで、いつでも開いていることは重要である。赤井さんが次のように話しているように、「いつでも行ったら開いてる」ことが地域の人々に大きな安心感を与えるのである。

赤井:始めた時の趣旨としましては、何はともあれ、毎日する。・・・・・・、週に1回とか、月に何回というのは、誰でもいつでも行ってみようかなと思った時に行けない、自由に出入りしてもらえない。・・・・・・、いつでも行ったら開いてるという安心感が一つの目的で毎日やっておりました。

また、「街角広場」でコーヒー・紅茶が飲めることも重要である。

コーヒー・紅茶を飲むことは些細なことかもしれない。けれども、些細なことであるがゆえにふらっとコーヒー・紅茶を飲みに行けるし、逆に、行かないことにも理由をつけなくてもいいのである。コーヒー・紅茶さえ注文すれば何をしていても、何かをしなくても怪しまれることなくそこに居ることができるし、もしも苦手な人が居ればコーヒー・紅茶を飲み終えてすぐに帰ることもできる。コーヒー・紅茶を飲むためだけにやって来た「ふり」をすれば、すぐに席を立つことは少しも不自然ではない。一方、何らかの活動に参加するために訪れたのであればそうはいかない。そもそも、何らかの活動に参加しなければならないような場所にはふらっと訪れることはできないし、休みたくなった時には「ちょっと身体の具合が悪い」などと仮病を使わなければならない。また、活動が終わる前に帰るのは不自然であるから、その場合には「急用ができたから」などと言い訳をする必要がある。

コーヒー・紅茶の「お気持ち料」が100円というのも重要である*12)。コーヒー・紅茶が1杯500円なら気軽に飲みには行けない。ただし、コーヒー・紅茶が無料であっても気軽には飲みに行けないように思う。もしも無料ならば、「あの人は無料だからって毎日来てる、せこい人だなぁ」、「無料のコーヒーしか飲めない程貧しいのだろうか?」などと噂されてやしないかと余計な気を使うことになるだろう。

このようなことが運営当初からどれ程意識されていたのかはわからないが、「街角広場」がコーヒー・紅茶が安く飲めるお店として運営されていることは重要である。

②あらかじめ運営内容を固定してしまわないこと


「街角広場」は当初の計画通りに運営されているわけではないし、そもそも、オープンまでに多くのことが計画されていたわけではない。赤井さんが次のように話しているように、「街角広場」は「来る人のニーズに合ったものをつくっていく」という考えに基づいて運営されている。

赤井:「街角」オープンする時にね、すごい心配したんですよね、行政は。何にも決まらない。[私は行政に]まず、場所をオープンしましょう。オープンしてやっていく中で、色んなことのニーズが出てくるから、そのニーズに合わせて動きましょう。でないと、人の意見を聞くなんてね、リサーチしても、それはごく一部分しか出てこないわけでしょ。だから、やってみた中で色んなことがね、その場に合うものが生まれてくるはずだから、そうしましょうと言ったんだけど。

赤井:あんまり場所づくりしたところで、こちらの押し付けがあったらだめなんですよね。だから、はっきり言えば来る人がつくっていく、来る人のニーズに合ったものをつくっていく。こちらの押し付けはね、やっぱり無理なところがあると思いますね。

もちろん、コーヒー・紅茶が飲めるようにするという最低限のことはオープンまでに計画されていた。けれども、どのようにコーヒーをいれるのかまでは決められておらず、コーヒーのいれ方は運営が始まってから実際にドリップを使ったり、コーヒーメーカを使ったりするという試行錯誤によって決められている。また、赤井さんはコーヒー・紅茶の「お気持ち料」が100円というのも、深く考えて決めたわけではないと話している。


赤井:「何をしよう」って言って、「まず地域交流、コミュニケーションの場所が欲しいんだから、まぁお茶ぐらい飲めるようにしましょうよ」。で、お茶を飲むのはどうしたらいいか、「じゃあ、素人ができることだから、紅茶かコーヒーぐらいしかないねぇ、日本茶も出しましょう」、それぐらい、誰がどんなふうに容れるかかも何も決まっていません。もう、ほんとうに、あの、今から考えたら恐ろしいようなかたちでオープンしました。

赤井:一番初めに、「どれぐらいにしよ」言って決めて、でもね、150円ってカウントも面倒臭いしね、出す方も大変、「100円ぐらいが一番出しやすいかな」って言って、そんな程度で決めてるんです。だから、ほんとに、深く考えてない。いや、そら、初めの時に、「やり出しましょうや」って、色んなこと考えながらやって、その時不都合であればそれ直していけばいいんだから。


結果として「お気持ち料」が100円というのは変更されずに今に至っているが、不都合が生じた場合には当初の計画にこだわるのではなく、それを変更しようと意識されていることがわかる。

また、「街角広場」では地域の人々の様々な求めに対する手助けがなされていることをみたが、決して対応可能な要望一覧などというメニューリストが作られているわけではない。地域の人々の様々な求めに対しては、「門前払い」することなくその都度できる範囲での対応がなされているのである。


赤井:だから、まぁ、私たちの考えとしては、色んなことがあっても、どんなことにでも、一応は1回は受け止める対応をしようって。知らん顔はね、もう門前払いは一切してないんですよね。で、門前払いを何か1回でもしてしまうとね、人がもう立ち寄らなくなるでしょ。門前払いはもうしないで、受け止めてます。受けられるものかどうかは、またね、別として。

これより、「街角広場」の運営はあらかじめ計画された通りのものではなく、何らかの出来事へのその都度の対応の集積であると見なすことができる。

「誰にでも同じことがなされることを、その至上課題にしている」サービスに対して、「ひとによって個々ちがってくる」ものがホスピタリティと呼ばれることがある*13)。ホスピタリティという言葉はしばしば歓待と訳されるが*14)、人々の様々な求めに対してその都度の対応がなされている「街角広場」の運営は、「やってくる客をめぐって規定される」ものとしての*15)、あるいは、「顧客を受け入れるパッシブな場においてとられる行動」*16)としてのホスピタリティだといえる。


③組織立たないこと


近年、各地に開かれている「街角広場」のような喫茶スペースの中には、NPOによって運営されている場所も多い。けれども「街角広場」では、NPOになるとこれまでのように柔軟に運営することが難しくなるからと、あえて制度にのることが避けられている。

また、「街角広場」では既存の組織に基づかないで運営することが意識されている。当初「街角広場」ではボランティアスタッフの人数を確保するために自治会連絡協議会、公民分館、校区福祉委員会、地域防犯協会といった地域の既存の組織が曜日ごとに運営を担当していた。けれども、半月もたたないうちに組織に所属していない人が手伝いにくいといった不都合が出てきたという。

赤井:初めはボランティアの確保が心配だったんです。ですから、・・・・・・、地域の団体で当番制にしましょう。福祉の当番日、防犯の当番日、公民分館の当番日、それから自治会の連合会の当番日。そういうふうに一日当番日を決めて、その人たちが当番で入るようにしました。ところが半月も経たないうちに、都合が悪いから今日は出られないからって。そうすると、何か今日は○○の日ですよとか、○○関係以外の人が何か入りづらい。それから、あの、○○担当の日は、○○関係者以外は何となく、覗いて見て、「あぁ今日は○○の日や」って人が帰るようなことがありました。それで、それも一切なしにしましょう、ここに入るボランティアは、みな裃脱いで、肩書き脱いで、個人として入りましょうということにしました。それで、全くそういう何の団体にも関係の無い方々のボランティアで今もずっときております。・・・・・・。そういうことがあるので、個人でやれたボランティアっていうのが、ここではまた一つ大きな成功の、大きな原因だったかなと思ってます。


現在「街角広場」では、ボランティアスタッフがカレンダーに自分の名前を書き込んで、空白になっている日を埋めていくという方法によって担当日が決められている(写真13)。


④既存の組織を横断すること

「街角広場」では既存の組織に基づかずに運営しようとされていると述べたが、このことは「街角広場」が地域と何の関わりも持たずに運営されているということを意味するわけではない。

赤井さんが次のように話しているように、「街角広場」は周囲の近隣センターの商店へ配慮して運営することが意識されている。

赤井:「街角広場」で必要なものは、この商店街ですべて調達しております。この商店街で調達できるものは全て。調達できないものは仕方がない、この商店街にないものは他所で買いますけど、たぶん全部買ってます。

また、掲示板に小・中学校の学校通信を掲示したり、地域の様々な団体が実施する行事のお知らせを掲示したりというように、「街角広場」では地域の人々と組織とを積極的に媒介しようとされている。つまり、「街角広場」の運営は既存の組織の枠組みを横断しようとするものであるといえる。このことは、ボランティアスタッフにも当てはまる。既存の組織が曜日ごとにボランティアスタッフを担当していれば、既存の組織の枠組みが消えることはない。けれども、既存の組織に基づかないで運営すれば、(少なくとも「街角広場」においては)既存の組織の枠組を横断した関係が築かれるのである。

なお、代表の赤井さんは「街角広場」を開く以前からPTAや公民分館などを通じて地域と関わり続けてきた人物である。赤井さんは、これまで地域と関わり続けてきたことが、今の「街角広場」の運営にもつながっていると話している*17)。

赤井:学校との関わりを持つことも、校長、教頭ともずっと、小学校も中学校も、ずっと私がそういうのしてるから、学校もそういうふうなかたちで気を許してくれたり、色んなかたちでオープンにしてくれたっていうのは、私がここへ来て30年って言うか40年近く、ずっとあの地域活動、色んなかたちでしてますよね、それが全部生きてきてると私は思います。

赤井:長い間[地域で]色んなことしてるから、どこに何が、どんなものが、財産が眠ってるのがあるっていうのが、ある程度わかるので、みんなひっぱり出してきて、使えることにしてます。・・・・・・、地域活動色々やってるから、色んなとこの関連がわかりますので、・・・・・・、この関連とこの関連と結びつけてこういうことができるとか、こんなふうにしたらいいとか、そういうことも割にやりやすいので、そういう意味では、あの、幅広い活用とか活動、使い方ができてるかなとは思いますね。


⑤主客の関係を固定してしまわないこと


赤井さんは、「街角広場」のボランティアスタッフに対して次のようなことを話しているという。

赤井:スタッフにも、肩肘はらないでゆったりとして、もう何の規制もしておりません。ただ、言ってることは、「コーヒー、紅茶をいれる時は、気持ちをいれて、お紅茶、コーヒをいれること、雑く扱わないでください」っていうことだけは言ってはございますけど、それよりあとのことは、何の決まりもなくやっております。

赤井:いい加減なことはしないでおこうっていうこと、やっぱりお気持ちだから、お気持ちはちゃんときちんとしたことでこちらの気持ちは伝えるけれども、あの「ねばならない」とかね、そういう縛りはしてない。

「街角広場」にはボランティアスタッフに対する運営のマニュアルは存在しない。もちろん、このようにすれば「お気持ち」を伝えることができるというマニュアルも存在しない。「街角広場」においては、他律的なマニュアルではなく、それぞれのボランティアスタッフの「お気持ち」に基づいて運営することが意識されているのである。

また、赤井さんが次のように話しているように、「街角広場」では主客の関係を固定してしまわないようにすることが意識されている(写真14)*18)。

赤井:だから別に、特別に勉強してやってるわけでもない、ほんとに普段着の生活、・・・・・・、来る人も普段着で来る、その普段着同士の付き合い、フラットな、それこそバリアフリーのつきあい、それがあそこではいいんだと思うんですね。

赤井:その代わり、ほんとのボランティアですから、スタッフと、それから来訪者、まぁあの言い方を変えればお客さんになるんでしょうね、・・・・・・、その方との垣根は全くありません。ですから時間があれば来訪者もスタッフと一緒のテーブルでお話をします。それと来訪者の方もご理解いただいてるのは、素人がやっておりますから、お茶の出番が、お茶の出てくるのが遅くてもどなたも文句はおっしゃいません。・・・・・・、[私は]「やってるスタッフとしてエプロンかけてる者もボランティアでしょうけれども、来ていただく方もボランティアなんですよ」って言ってるんです。一生懸命エプロンかけて、待機してても、誰も来てくれなかったら「街角広場」の意味がないんです。

「街角広場」は、そこを訪れる人々が単なるお客さんとして思い思いに居られる場所というだけではなく、自分なりの役割を見出せる場所になっていた。主客の関係が固定されたものではないからこそ、このような場所が実現しているといえる。従って、そこを訪れる人々が自分なりの役割を担うことができること、即ち、人々が「場所の主」になることを可能にするうえで、主客の関係が固定されていないことは非常に重要であるといえる。

なお、まちづくりにおいてボランティアがしばしば奨励されることがある。各地の喫茶スペースの中にも、「街角広場」のようにボランティアスタッフによって運営されている場所は多い。ただし、まちづくりによってお金を稼いでいる専門家や行政の人々が、地域の人々に対してはボランティアすることを呼びかけるという構図はどこかおかしくはないだろうか。また、地域のためにボランティアを奨励する、動員するという構図が(かつてのように)悪用される可能性はないだろうか。
このようなことを考えると、ボランティアスタッフによって運営されている「街角広場」に対して、「地域に貢献しているのだから、ボランティアスタッフはお金をもらってもいいのではないか?」、「経済的に自立できるような仕組みを考える必要があるのではないか?」、「女性にばかりボランティアを押しつけているから、女性はいつまでたっても経済的に自立できないのだ」という意見が出てくるのももっともなことである。恐らく「街角広場」においても、今後配食サービスという新たな展開を迎えるような場合には*19)、経済的に自立できる仕組みが検討される時がやってくるだろう。

ただし、赤井さんはボランティアスタッフによって運営することを次のように話している。

赤井:ボランティアの人は一銭ももらわない。色んな周りの人が気をつかってくれてね、「せめてお昼ご飯でも」とかって。・・・・・・時間給いくらってきちっとしたことができればいいですよ。でもそういうことができない中途半端なことしたら、・・・・・・、あの人たちはいくらかでもお金をもらってるとなったら、・・・・・・、今度はお金を出した方と、もらってる方に、まぁ人間ってすぐそうなりますよね。それよりも、みんなどっちもボランティア。だから来る方もボランティア、お手伝いしてる方もボランティアっていう感じで、いつでもお互いは何の上下の差もなく、フラットな関係でいられるっていうのがあそこは一番いい。


ボランティアスタッフで運営されていることが主客の関係を柔軟なものにし、そのような主客の関係が多様な「場所の主」を生むことにつながっているとすれば、ボランティアスタッフにお金を支払えば済むという程話は単純ではない。また、ボランティアスタッフにお金を支払うとなれば「お気持ち料」100円を維持することも難しいだろう。それではどうすればいいのかという名案があるわけではないが、今後実施されるであろう配食サービスにおいては経済的に自立する仕組みが検討される必要があるとしても、(上に書いたことと矛盾するかもしれないが、ボランティアを滅私奉公や地域にとって有用な活動として矮小化しない限り、という留保をつけたうえでなら)せめて日常的な喫茶スペースは今のようにボランティアとして運営されているというのも悪くはないし、地域にはそのような場所もあっていいと思う。


⑥無理に関わらなくてもいいこと

「地域の交流スポット」となることを目的として開かれた「街角広場」は、いつもおしゃべりや笑い声が絶えない楽しい場所である。けれども、「街角広場」ではおしゃべりすることが無理に求められているわけではない。


赤井:それはあの自然体で。かける時もあるし、1人でじっとして、だって、話しかけられたくない人もいるかもしれない。ここへ来て1時間ぐらいじっと座ってる人もいるし。何か様子見ててね。

赤井:大きなテーブルで周りにいるのもいいだろうと思うけども、やっぱりそんなんだったら、自分1人だけのテーブルでこうやりたい時もあるかもしれない。それは、その時々で、自由に使いこなせるようなものがいいみたいに思いますね。

ここで、おしゃべりしないでもそこに居られるということを、本来はおしゃべりするのが好ましいが、嫌なら無理にはしゃべらなくてもいいという順序で消極的なものとして捉えるべきではない。「別に直接会話をするわけではないが、場所と時間を共有し、お互いどの様な人が居るかを認識しあっている状況」である「居合わせる」という居方*20)が実現されているということも、その場所が有する積極的な価値なのである。

「街角広場」が、顔見知りになった人と無理に仲間になろうとせずとも、その後もずっと顔見知りのままでいることが許容される場所になっている背景には、人々の関わりに対するこのような細やかな配慮があるといえる。理想的な地域として「架空の下町などをモデルにした擬似的コミュニティ」*21)しか想像できないような窮屈さからは、もうそろそろ卒業してもいい。


⑦ありあわせのものによってしつらえていくこと


赤井さんが話しているように、「街角広場」では自分たちの家や地域にあって使っていないもの、使われなくなったものが利用されている。


赤井:「街角広場」の場合は、ほんとにただそこにあったから、ありあわせのもの、もう一から十までありあわせを集めてこしらえたような場所ですから、もうそれこそ、スプーン1本、箸1本、全部持ち寄りのありあわせです。あそこにあるもので買ったものっていったら、今度できましたあのカウンターだけです。

赤井:[子どもたちに水をあげているコップは]自治会の、あの、盆踊りする時に、みんなにお茶出すの紙コップやったらもったいないからいって、あれを何百って、まだすごいあるんですよ。数を買ったけど、買って1年間使ったけど、洗うのが大変だからいって、そのままお蔵入りになってるのが、まだいっぱい、こんなあります。それをここへ持って来て使ってる。だから、ここ用に買ったっていうわけではない。


オープンする時および移転する時には近隣センターの空き店舗が利用されたこと自体も、地域で使われなくなったものが利用されているという観点から捉えることができる。

加えて、「初めこの机もこんだけなかったんですよ」と赤井さんが話しているように、「街角広場」ではあらかじめ全てが揃えられてから運営が始められたのではなく、運営が始められてから必要なものが徐々に揃えられている。

このように「街角広場」には、あらかじめ計画された運営内容に従って建物が新築されたり必要なものが揃えられるというだけでなく、運営を通して徐々に必要なものが揃えられているという側面がある。つまり、「街角広場」においては、その時に必要になったもの、利用できるものに応じてその都度運営内容が決められているのである。「街角広場」は「『もちあわせ』、すなわちそのときそのとき限られた道具と材料の集合で何とかする」*22)というブリコラージュによってしつらえられている場所であるといえる。




赤井さんが「本当にまとまりのないところ」、「毎日雑然とした生活をしてる」と話しているように、「街角広場」は非常に大らかな場所である。このことは、一度「街角広場」に足を運んでみればすぐにわかる。けれども、以上でみてきたように「街角広場」は(当初から)極めて意識的な「場所の主」の考えに基づいて運営されていることを見過ごしてはならない。いつでも開いているお店として日常性を大切にすること、無理な関わりを求めず、顔見知りになった人とその後もずっと顔見知りのままでいることを許容すること、運営内容や運営体制、主客の関係を固定してしまわないこと、地域の様々な組織と連携しそれを横断すること、ありあわせのものによって自分たちで徐々にしつらえていくこと、「街角広場」の運営を支えるこれらの考えからは、「場所の主」を存在させ得るようなデザインとはどのようなものか? 人々が「場所の主」と自然に触れることのできるようなデザインとはどのようなものか? を学ぶことができるだろう。

また、地域の場所を「交流する」、「学ぶ」、「遊ぶ」、「費やす」といった枠組みで捉えるのではなく、「人々がその場所にどのように居られるか」という観点から捉えることが必要性なこと*23)、そして、そのように居られることを実現するためには場所をどのようにデザインすればいいのか? ということを学ぶこともできるだろう。

ここで再度、劇作家・演出家の平田オリザの言葉を参考にしたい*24)。平田は、「伝えたい主義主張、テーマなど何もなくても[現代]演劇は成立するのだ」、「書きたいこと[テーマ]があるのは当たり前で、ただ、それは戯曲を書くという技術の問題とは切り離すべきだということだ」とも述べている。「私たちは、テーマがあって書き始めるわけではない。むしろ、テーマを見つけるために書き始めるのだ。それは、私たちの人生が、あらかじめ定められたテーマ、目標があって生きているわけではないのと似ているだろう。・・・・・・。私たちは、生きるテーマを見つけるために生き、そして書くのだ」とも述べている。これを「街角広場」に当てはめて、「街角広場」の運営を成立させるうえで重要なのは「交流する」場所を実現したいと熱く思うことではなく(害のない範囲であれば、熱く思っても構わないが)、「人々がその場所にどのように居られるか」を考えることだといってよいのではないだろうか。人々がどのように居られることを「交流する」というのかを見つけるためにこそ「街角広場」が運営されているといってもよいのではないだろうか。つまり、「交流する」という状態はあくまでも運営を通して事後的に見出されるものに過ぎないのである。「街角広場」を訪れる人々みなが、意識的にまちづくり活動を行おうとしているわけではない。そのような人々も訪れているにも関わらず、「街角広場」を運営するという過程を通して「交流する」という状態が見出されていく。「街角広場」の魅力とその可能性はここにあると思う。

「単純な主義主張を伝えることは、もはや芸術の仕事ではない」と平田はいう。これをもじって次のようにいうのは言い過ぎになるだろうか? 地域には「交流する」場所が必要であると人々を啓蒙することは、もはや建築計画の仕事ではない。

なお、ここではデザインという言葉を何度か用いてきたが、デザインというものをゼロから何かを作りあげるという意味で捉えている限り、「街角広場」からの学びは実りあるものとはならないように思う*25)。私たちは別の意味でのデザインの可能性に目を向ける必要がある。それは、再構築(リストラクチュアリング)*26)、即ち、今あるものを組み替えるという意味でのデザインである。デザイナーの原研哉がいうように「新奇なものをつくり出すだけが創造性ではない。見慣れたものを未知なるものとして再発見できる感性も同じく創造性」なのであり、「デザインは単につくる技術ではない。・・・・・・。むしろ耳を澄まし目を凝らして、生活の中から新しい問いを発見していく営みがデザイン」なのである*27)。
近隣センターの空き店舗を利用したり、地域の人々や既存の組織を媒介したりするというように、「街角広場」の運営は地域を物理的・社会的に再構築しようとするものであるといえる。この意味で「街角広場」の運営は環境デザインと呼ぶにふさわしい。

加えて、地域を再構築するためにはその地域をじっくりと眺め、その現状を知ることから始めなければならない。このささやかな冊子が地域を知るための一助となるのなら、アーカイブを編集すること(や、このように長々と文章を書くこと)もまた環境デザイン(の第一歩)である、と言っていいように思う。



アーカイブを編集するにあたっては多くの方々にお世話になりました。
「街角広場」のボランティアスタッフのみなさま、新千里東町のみなさま、そして、(自分勝手な編集作業を温かく見守ってくださった)千里グッズの会のみなさまに、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。
この編集作業を通して、「街角広場」の素晴らしさに改めて気づかされたような気がします。このような素晴らしい場所と出会い、関わることができたことをうれしく思います。

新しくやって来る人もいれば、去っていく人もいる。ただ通り過ぎていく人もいれば、長い間留まる人もいる。絶えず人の出入りがあること、それによって絶えず変わりゆくこと、「場所が生きている」とはこういうことだと思います。このささやかな冊子が、変わりゆく「街角広場」の歩みを少しでも記録できていたら幸いです。

2007年11月30日
編集を代表して、田中康裕

*1)森毅『社交主義でいこか』青土社,2000年

*2)リチャード・セネット(北山克彦,高階悟訳)『公共性の喪失』晶文社,1991年

*3)赤井直,歳脇儀一,辻本明子,福岡正輝, 吉村英祐「新千里東町における社会実験「ひがしまち街角広場」」・『TOYONAKAビジョン22』Vol.5,2002年
「街角広場」以外の喫茶スペースにおいても、これと同じ意味で「駆け込み寺」という言葉が用いられているのをしばしば耳にする。厳密に言えば、困ったことがあれば助けを求めることができる場所を「駆け込み寺」と呼ぶことは誤りであろう。網野が「近世、女性からの離婚請求を実現しうる場として知られた縁切寺、近世から戦国期に遡ると一層その数を増す、科人あるいは下人・所従等の走入を公認された駆け込み寺である。・・・・・・。まさしくこれは、縁を積極的に切る、「有縁」であることを拒否しうる場にほかならない」と述べているように、「駆け込み寺」は「無縁所」であったとされる。
「無縁所」について網野は、「『無縁』『公界』『楽』という言葉でその性格を規定された、場、あるいは人(集団)の根本的な性質は、・・・・・・、主従関係、親族関係等々の世俗の縁と切れている点にある」と述べている。ここで、「ここに入るボランティアは、みな裃脱いで、肩書き脱いで、個人として入りましょうということにしました」、「高齢者というんじゃなくて、地域の人どなたでものコミュニティっていってつくったんです」という赤井さんの話に注目すれば、運営に既存の組織を持ち込まないようにしたり、属性に関わらずどのような人でも受け入れるようにしたりすることが意識されている「街角広場」には、「世俗の縁と切れている」ことを根本的な性質するような「無縁・公界・楽」の側面があると考えてもいいように思う。
この点に関してこれ以上議論する力はないが、「有主・有縁−私的所有が、無主・無縁の原理−無所有に支えられ、それを媒介としてはじめて可能になるという事実は、きわめて本質的な問題を提示している」という網野の指摘は、地域におけるパブリックな場所のあり方を今後考えていくうえで極めて示唆に富んでいるように思われる。網野は「無縁・公界・楽」について次のようにも述べている。「無縁・公界・楽の場、及び人の特徴をまとめてみたが、このすべての点がそのままに実現されたとすれば、これは驚くべき理想的な世界といわなくてはならない。俗権力も介入できず、諸役は免許、自由な通行が保証され、私的隷属や貸借関係から自由、世俗の争い・戦争に関わりなく平和で、相互に平等な場、あるいは集団。まさしくこれは『理想郷』であ」る(網野善彦『増補 無縁・公界・楽』平凡社ライブラリー,1996年(平凡社,1978年)。網野善彦『日本中世都市の世界』ちくま学芸文庫,2001年(筑摩書房,1996年))。

*4)このような喫茶スペースは「コミュニティ・カフェ」や「まちの縁側」と呼ばれることもある(久田邦明「各地に広がるコミュニティ・カフェ」・『月刊公民館』NO.556,2003年9月号。久田邦明「コミュニティ・カフェの可能性」・『月刊社会教育』No.584,2004年6月号。延藤安弘「ヒト・コト・モノの共生の場としての〈まちの縁側〉」・『季刊まちづくり』第6号,2005年3月)。

*5)平田オリザ『演劇入門』講談社現代新書,1998年

*6)平田は「対話」の相手となる「他人」について、「他人といっても、必ずしも初対面である必要はない。お互いに相手のことをよく知らない、未知の人物という程度の意味である」と述べている。

*7)田中康裕,鈴木毅,奥俊信,松原茂樹,木多道宏「場所の主(あるじ)の観点からみた異世代の顔見知りの人との接触についての考察−子ども・若者にとっての地域環境−」(『日本建築学会大会学術講演梗概集(九州)』E-1分冊,pp.1131-1132,2007年8月
なお、この論文では仲間でも、かといって全くの他人でもないような顔見知りという関係を「中間的な関係」と呼んでいる。

*8)ただし、八百屋の人に「あなたの趣味は何ですか?」と突然声をかけたり、家の前で植木の手入れをしている人に「この洋服は似合うと思いますか?」と突然声をかけるのは不自然である。図書館の司書に「今日の晩ご飯は何?」と突然声をかけるのも不自然である。このことからも、見知らぬ人とのちょっとしたおしゃべりや世間話は場所とセットになっていることがわかる。
なお、ここではどのような人であれば自然におしゃべりしたり世間話をしたりすることができるのかを考えてきたが、逆に、どのような人であれば声をかけられた時に不信感を抱かずにすむのかを考えてみたい。例えば、道端で見知らぬ人に突然声をかけられ、その人が世間話を始めたら「何かの勧誘ではないか?」と不信感を抱いてしまうかもしれない。見知らぬ人が家のインターホンを鳴らして、話を始めたら「もしかすると悪徳商法か?」と警戒してしまうだろう。けれども、お店の人に声をかけられ、世間話を始めるというのは大いにあり得る。このように逆の場合を考えても、「場所の主」の存在が浮かびあがってくる。

*9)ここでは「プライベートな空間」と「パブリックな空間」とが両極にあり、その中間に「セミパブリックな空間」があるという枠組みで議論をすすめているが、「公共的なもの」と「公的(パブリック)なもの」との間にこそ対立があるのだと指摘されることもある。山本は「公共的なもの」と「公的(パブリック)なもの」とを区別し、プライベートなものを消し去ろうとする「公共的なもの」に対して、「プライベートなものを生かす状態がパブリックである」と述べている(山本哲士『ホスピタリティ原論』新曜社,2006年)。この枠組みに従えば、「場所の主」が居るような場所こそが「公的(パブリック)」な場所であるといえる。

*10)「パブリックな空間」であっても、見知らぬ人とのおしゃべりや世間話が全く起こらないわけではない。ゴッフマンがあげている警官や牧師といった「単なる職業的関係以上のかかわりをもたなければならない社会的立場の人」、老人や子どもといった「広い範囲の人びとから接近を受ける立場の人」に対してであれば、あるいは、酔っぱらいや奇抜な衣裳を身に着けている人といった「個人が役割を離れている場合」、つまずいたり滑ったりして「ある人の身体的位置が一時的に変わる時」、「道で何かを落してそれに気がつかない時」であれば、「パブリックな空間」における見知らぬ人とのおしゃべりや世間話は起こり得る(E.ゴッフマン(丸木恵祐,本名信行訳)『集まりの構造:新しい日常行動論を求めて』誠信書房,1980年)。
平田も「プライベートな空間」や「パブリックな空間」であっても、「舞台の『背景』あるいは『状況』」を工夫すれば見知らぬ人同士の「対話」が生まれると述べている(平田オリザ『演劇入門』講談社現代新書,1998年)。
余談になるが、今春留学生の方に中国・内モンゴルのフフホト(呼和浩特)を案内してもらった(写真12)。フフホトの公園は非常に魅力的な場所であり、早朝から多くの人々が体操したり、釣りをしたり、社交ダンスをしたり、バトミントンをしたり、歌を歌ったりしていた。その中で一番驚いたのは、水を含ませた筆で地面に字を書いている人がいたことである。(日本にこのような人はいないが)地面に字を書いている人になら「何を書いているんですか?」、「これは○○の詩ですね」と自然に声をかけることができそうである(写真の中央には、地面に書かれた文字をじっと読んでいる人が写っている)。もちろん、地面に字を書いている人は、法的には公園の管理をする役割を担っているわけではないだろう。けれども、公園に(いつも)居て、そこを大切に思っている人であるとはいえる。従って法的に管理しているか否かではなく、ある特定の場所に(いつも)居て、そこを大切に思っていることが「場所の主」の基本になると思われる。

*11)地域にどのような人々が暮らしているのかを認識することは重要である。ここで述べたように多くの「場所の主」の存在を思い浮かべることができるということから、人々は「場所の主」になることでその存在が認識されやすくなると考えることができる。これは、人々は「場所の主」としてその存在が可視化されている、ということでもある。

*12)「街角広場」でコーヒー・紅茶を注文した人はテーブルの上に置かれた貯金箱に「お気持ち料」100円を入れることになっている。ただし、「お気持ち料」100円というのはあくまでも目安であり、中には100円以上を貯金箱に入れる人もいると聞いたことがある。
なお、「街角広場」では飲物しか提供されていないが、食べ物は自由に持ち込むことができる。

*13)山本哲士『ホスピタリティ原論』新曜社,2006年

*14)山本は「『ホスピタリティ』に日本語でぴったりはまるものがない。もてなし、歓待、歓迎、しつらえ、あつらえ、あえ、等等いろいろ部分をしめすものはあるのだが、標準語の世界からは消されていったようだ」と述べている。ただし山本は、筑後地方の「方言である『ほとめき』がホスピタリティにぴったりあてはま」り、このことは「資本・ホスピタリティの経済において『場所』がおおきな意味をもつその証である」と述べている(山本哲士『ホスピタリティ原論』新曜社,2006年)。

*15)ルネ・シェレール(安川慶治訳)『歓待のユートピア』現代企画室,1996年

*16)山本哲士『ホスピタリティ原論』新曜社,2006年

*17)赤井さん以外のボランティアスタッフや「街角広場」を訪れる人の中にも、PTAや自治会活動などを通じて地域に関わってきた人がいる。また、PTAや自治会活動のような積極的なかたちではないにしても、それぞれの人々は日々の暮らしを通じて、地域で何らかの関係を築いてきたはずである。このように、それぞれの人々が地域で築いてきた関係も、「街角広場」の運営につながっていると考えることができる。
*18)「街角広場」の運営はホスピタリティであると述べたが、次のように、ホスピタリティにおける主客の関係は固定されたものではないと指摘されている。「とどのつまり、『歓待』とは、客を迎え入れる者をたえずその同一性から逸脱させるものなのである。・・・・・・。『歓待』はそのような自己の崩れのなかにしか訪れえない」(鷲田清一『「待つ」ということ』角川書店,2006年)。「客(hôte)すなわち招かれた人質(guest)は招待者の招待者となり主人(host)の主となるのです。hôteはhôteのhôteとなる。つまり客(guest)が主人(host)の主人(host)となるのです」(ジャック・デリダ「歓待の歩み=歓待はない」・ジャック・デリダ,アンヌ・デュフールマンテル(廣瀬浩司訳)『歓待について:パリのゼミナールの記録』産業図書,1999年)。

*19)配食サービスについて赤井さんは、「『街角広場』では、夢だけど絶対実現してみたい夢が配食サービスです。・・・・・・、『この場所でやろうか、あの場所でやろうか』と毎回、あの、まぁ数名のスタッフたちとそういう構想は練ってます。でも、絶対に実現してみたい夢です。これはたぶんできるのではないかなと思いながら、日々それを目標にがんばってます」と話している。

*20)鈴木毅「体験される環境の質の豊かさを扱う方法論」・舟橋國男編『建築計画読本』大阪大学出版会,2004年

*21)鈴木は「これまで計画論などで都市におけるコミュニティや社会関係を考える際に、架空の下町などをモデルにした擬似的コミュニティを想定することが多いように思う」と述べている。また、「ある集団を想定してそれに相応しい空間をつくるというよりも、自立した個人がたまたま居合わせて思い思いに何かやっていたり、あるいは一人で居られるような空間の質が大切なのではないだろうか」とも述べている(鈴木毅「体験される環境の質の豊かさを扱う方法論」・舟橋國男編『建築計画読本』大阪大学出版会,2004年)。

*22)クロード・レヴィ=ストロース(大橋保夫訳)『野生の思考』みすず書房,1976年

*23)鈴木は「人間がある場所に居る様子や人の居る風景を扱う枠組み」を「居方」と呼んでいる(鈴木毅「体験される環境の質の豊かさを扱う方法論」・舟橋國男編『建築計画読本』大阪大学出版会,2004年)。

*24)平田オリザ『演劇入門』講談社現代新書,1998年

*25)同様に「建築」を芸術的な建物や、建物(という物理的なもの)という意味で捉えていても「街角広場」から実りあることを学ぶことはできないだろう。舟橋のいうように、「建築」とは「“原理を弁えてものごとを生み出す術“を意味する抽象名詞」なのである(舟橋國男「トランザクショナリズムと建築計画学」・舟橋國男編『建築計画読本』大阪大学出版会,2004年)。

*26)鈴木は「再生には、元通りにする、衰退してしまったからかつての繁栄を取り戻そう、夢よもう一度的なニュアンスがどこかつきまとっている。例えばニュータウン再生が叫ばれているが、このときの課題は、元通りにしたり単に古くなった住棟を高層に建て替えることではない。時代の変化、すなわち少子高齢化や人々の価値観や社会の目標の変化に対応して、ニュータウンの環境や社会を再編成・再構築すること、新しいものを取り入れつつ、少しずつふさわしい形に組み替えていくことが本当の課題なのである」というように、再生ではなく再構築(リストラクチュアリング)という言葉を用いるべきではないかと指摘している(鈴木毅「再構築に向けて」・『建築雑誌』Vol.120,No.1533,2005年5月号)。

*27)原研哉『デザインのデザイン』岩波書店,2003年

(更新:2017年4月25日)