『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

コミュニティカフェ「ひがしまち街角広場」の意義を振り返る(アフターコロナにおいて場所を考える-38)

2022年11月29日(火)、豊中まちづくり研究所主催の豊中まちづくりフォーラム「ひがしまち街角広場」は、豊中市の社会実験として、近隣センターの空き店舗を活用して2001年9月30日にオープン。半年間の社会実験終了後は、住民が運営を引き継ぎ、20年以上にわたる運営を継続してきましたが、2022年5月31日に、近隣センターの再開発で空き店舗がなくなったこととが直接的なきっかけとなり運営を終了しました。

先日の豊中まちづくりフォーラムを聴いて、「ひがしまち街角広場」が地域にもたらした最も重要なことは、地域の人々が居ることを日常的な光景として、言い換えれば、日常的に目に見えるかたちで実現したことだと改めて確認しました。まさに、この場所の名前の通り、地域に「街角」を作り出したということです。

「ひがしまち街角広場」が、地域に「街角」を作り出したのは、「みんなが何となくふらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所」(初代代表の言葉)が目指されたからであり、その背景には次のような運営のあり方をあげることができます。

  • 近隣センターという地域にとって核となる場所に開かれたこと。近隣センターは歩行者専用道路に面しているため*1)、近隣センターで買い物をする人、向かいの小学校から帰る子どもなど、多くの人が前を通りかかるため、「ひがしまち街角広場」に人が居ることは、多くの人によって「見られる」。「ひがしまち街角広場」が近隣センターの空き店舗を活用できた背景には、豊中市が、当初のリノベーション代を負担し、持ち主である商店会との交渉を行うという大きな役割を担っている。
  • 特定のプログラムに参加するために訪れるのではなく、カフェという形態で運営されていたこと。具体的には、コーヒー、紅茶、ジュースなどの飲物が「お気持ち料」100円で提供されていたこと。飲物を注文することは、「ひがしまち街角広場」を訪れ、過ごすことの名分になった。
  • 週に数回、月に数回など特定の時間帯だけでなく、ほぼ毎日(オープン当初は週7日、その後は月曜〜土曜)の11時~16時まで運営されていたことで、気が向いた時にいつでも訪れることができたこと。
  • 必ずしも飲物を注文する必要はなく、例えば、水を飲みに立ち寄ることもできるなど、訪れるための間口が広かったこと。
  • 地域住民がスタッフを担当していたこと。つまり、スタッフも来訪者も同じ地域に住む住民同士であり、いつ行っても顔見知りの人が誰かいるという状況が実現していたこと。

「ひがしまち街角広場」が「街角」を作り出したことで、結果として次のように多様な機能を担うようになりました。

  • いつも来ている人がしばらく姿を見せないと、心配になって電話したり、家の様子を見に行ったりするなどの緩やかな見守り。
  • 「ひがしまち街角広場」内、あるいは、周辺で怪我をした人、具合が悪い人がいた際の、その場での対応。
  • 住民同士が自然に顔見知りになる。同じプログラムに参加するわけでないため、一緒に活動をするわけでなく、それぞれが1人で過ごすこともできる。ただし、テーブル越しの会話に特徴的なように、1人で過ごしている人同士が時に会話をすることもできるという緩やかな関わりが可能。
  • 親が迎えに来るまで子どもを一時預かりしたり、落とし物を預かったりする。
  • 学校帰りの子どもが水を飲みに立ち寄ることを通した世代を越えた関わり。子どもにとっては、親と先生以外の大人と出会う貴重な機会になる。
  • 「ひがしまち街角広場」で出会った人が、新たに地域活動のグループを立ち上げる。「千里竹の会」、「千里グッズの会」(現在のディスカバー千里)も「ひがしまち街角広場」で出会った人が立ち上げたグループ。地域には、既存のグループが会議をする場所だけでなく、新たにグループを立ち上げるきっかけになる場所も必要である。
  • コミュニティ・ルームのカードキーの受け取り、返却を行う。
  • 全戸配布する地域新聞『ひがしおか』の一時保管。配布を担当する人は、「ひがしまち街角広場」で刷り上がった『ひがしおか』を受け取る。
  • 学校通信や地域の行事などを掲示する。
  • 地域住民の絵画、写真、俳句などを展示したり、地域活動のグループが作った竹炭、竹酢液、絵葉書などを販売したりする。

「ひがしまち街角広場」は、これ以外にも多様な機能を担ってきましたが、これらの全てが事前に計画されていたわけではありません。これらの機能は、「ひがしまち街角広場」が地域の人々が居ることを日常的な光景としての「街角」を作り出したからこそ生まれたもの、つまり、「街角」によって結果として生み出された効果だということです。
「ひがしまち街角広場」が20年にわたる運営を継続することができたのは、豊かな暮らしの基本になる「街角」を目指して開かれ、実際に「街角」を実現し続けてきたからだと考えています。

残念ながら、再開発によって生まれた新たな近隣センターは、歩行者専用道路のネットワークから少し離れたところ(分譲マンションの裏側)に移動してしまいました。これによって、地域の人々が居るという日常的な光景を生み出す場所がどのように変わっていくのか。いずれ、検証が行われるべきことだと考えています。


■注

  • 1)新千里東町は、歩行者専用道路が、近隣センター、小学校、中学校、幼稚園、保育所、公園、鉄道駅など住区内の重要な場所を結んでおり、歩行者は車にあうことなく移動することができる。

※「アフターコロナにおいて場所を考える」のバックナンバーはこちらをご覧ください。