写真の名前は「ザ・タイムズ・スクエア」(The Times Square)という建物。タイムズスクエアと言えばニューヨーク、マンハッタンの繁華街の名前ですが、この建物は名前の通りニューヨークのタイムズスクエア、43rd Streetと8th Avenueの交差点の北東角に位置しています。
外観からは想像できないと驚かれるかもしれませんが、「ザ・タイムズ・スクエア」は低所得の単身者、アーティスト、精神的な病を抱える人、身体障害者、HIV/AIDS感染者のための住まいとして、非営利組織の「コモン・グラウンド」(Common Ground)が運営するサポーティヴ住宅です。
2008年9月、「ザ・タイムズ・スクエア」を訪問する機会がありましたのでご紹介したいと思います。
コモン・グラウンド(Common Ground)
「ザ・タイムズ・スクエア」は、ロザンヌ・ハガティ(Rosanne Haggerty)という若い女性の、荒れ果てたホテルをホームレスや低所得の人々たちのための住まいに転用したいという思いをきっかけとして生まれたという、非常に興味深い経緯で生まれています。
さらに興味深いのは、ハガティ氏の思いは当時の専門家の考えとは真っ向から対立するものだったということ。当時の専門家は、大規模な助成金付きの住宅はスラムを生み出すと信じていたということです。
ロザンヌ・ハガティは、1982年マサチューセッツ州の名門アマースト大学を主席で卒業した後、ニューヨーク有数の繁華街であるタイムズ・スクエア近くにある教会でボランティアとして働いた。そこに1年間住みながら、家庭内暴力などの理由で住む家を失った、13歳から24歳の若者のカウンセリングを担当したという。
ロザンヌは、「お恵み」の食事で日々をしのぐホームレスの人々と生活をともにしながら、この状況をどうにか変えられないものかと、考え始めた。
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90年のある日、ロザンヌは当時4歳の息子の手を引いて、43丁目と8番街の角にあるタイムズ・スクエア・ホテルの前を通りかかった。20世紀初めに建てられた652室のこの瀟酒な建物も、かつては芸能人やジャーナリストが好んで泊まる中流ホテルだったが、地域の悪化とともに閉鎖された後、ホームレスのシェルターとなっていた。
その日、ロザンヌはこのうす汚く物騒な建物の中に息子の手を握りしめながらおそるおそる足を踏み入れた。思わず、体臭と腐ったゴミの混じり合ったような悪臭にむせんだ。薄暗いロビーの床には、こわれたソファやゴミが散在し、虚ろな目をした老人が数人、壁にもたれかかっていた。小さな子供たちがそこら中を走りまわり、戸口には警備員がひとり、無表情に立っていた。
「当時、ニューヨークの治安は最悪で町中が不穏な空気に覆われていたわね。市内だけでホームレス人口は約7万人。ますます増えているという状況だった。この差し迫った状況でタイムズ・スクエア・ホテルを見たとき、ここを利用してホームレスの住居ができないかってひらめいたの」
*渡邊奈々『チェンジメーカー』日経BP社 2005年
1990年、ハガティ氏は非営利組織「コモン・グラウンド」を結成。この時、28歳。専門家の考えとは対立する彼女の計画は、当初は受け入れられませんでしたが、様々な人々からの支援を受けニューヨーク市長を説得することに成功し、1994年に652戸のサポーティヴ住宅、「ザ・タイムズ・スクエア」がオープン。
その後、1996年に178戸の「ザ・オーロラ」(The Aurora)、1999年に416戸の「ザ・プリンス・ジョージ」(The Prince George)というサーティヴ住宅も続けてオープン。「ザ・プリンス・ジョージ」は、1904年に建設された建物で、建物内にあるボールルーム(宴会場)は入居者のイベントに使われたり、一般の人々に貸し出されたりしているということです。
現在、「コモン・グラウンド」は2000戸のサポーティヴ住宅を所有しており、2015年までにさらに4000戸増やす予定であるということです。
*2015年にコモン・グラウンド(Common Ground)は設立25周年を迎え、名称をブレイキング・グラウンド(Breaking Ground)に変更しています。
サポーティブ住宅:ザ・タイムズ・スクエア(The Times Square)
かつてマンハッタンには、SRO住宅という単身者のための住まいが多数存在していました。SROというのはSingle Roome Occupancy、つまり、「一室占有」という意味です。
マンハッタンは20世紀の前半までに単身者を対象とした住宅の幅広いリストを取り揃え、多彩な人びとの住宅需要を吸収した。SRO住宅という用語はSROホテルだけではなく、ルーミング・ハウス、ロッジング・ハウス、アパートメント・ホテルなどを含む「一室占有」の住む場所の全体を指していた。この用語の生成は単身者向けの住宅という概念が成立したことを示唆している。 SRO住宅はニューヨークの空間を開け放ち、そこに流入する単身者を引き受ける役割を担った。
*平山洋介『不完全都市:神戸・ニューヨーク・ベルリン』学芸出版社 2003年
「ニューヨークの空間を開け放ち、そこに流入する単身者を引き受ける役割を担っ」ていたSRO住宅は、その後、ジェントリフィケーションや再開発によって失われていくことになりますが、近年では失われつつあるSRO住宅を非営利の組織が買い取り、ホームレスや低所得の単身者たちのための住まいとして転用する動きが起きつつあるとのこと。その1つが、ここで紹介している「ザ・タイムズ・スクエア」です。
「ザ・タイムズ・スクエア」は1923年に、アパートメント・ホテルとして建設された15階建てのアールデコの建物で、一時は荒れ果てた状態になっており、ニューヨーク・タイムズ紙によって「悪魔の大使館」(Hells Embassy)と呼ばれたこともあったようです。
これを見たハガティ氏が非営利組織の「コモン・グラウンド」を設立。「コモン・グラウンド」が建物を買い取り、1994年にサポーティブ住宅(Supportive Housing)としてオープンしたことは上で紹介した通りです。
サポーティヴ住宅というのは、身体的・精神的な健康のサポート、薬物乱用についてのカウンセリング、スキルトレーニング、雇用機会の提供、コンピュータやクッキング教室など、居住者が身体的・精神的な病を癒し、経済的な自立を果たすことで、社会に関わっていくための多様なオンサイトの社会サービスが組み込まれた住まいのこと。
「ザ・タイムズ・スクエア」にはホームレスだった人や、低所得の単身者、アーティスト、精神的な病を抱える人、身体障害者、HIV/AIDS感染者等が生活しています。
「ザ・タイムズ・スクエア」は社会サービスが提供されているだけではなく、共用スペースも非常に充実しています。建物を入ると吹き抜けのロビーになっていて、ロビーを取り巻く中2階は地域のアーティストのためのギャラリーになっています。その他、コンピュータールーム、スタジオ、図書室、クリニック、リハーサルルーム、エクササイズルームなどもあります。個室にはにはキッチンがあり、家具は備え付けられていますが、自分自身の家具を持ち込むことも可能です。
家賃は一律ではなく(自分で稼いだ収入か、助成による収入かに関わらず)収入の30%とされています。
写真は「ザ・タイムズ・スクエア」の一画にある「BEN & JERRY’S」というアイスクリーム店。サポーティヴ住宅では居住者が身体的・精神的な病を癒し、経済的な自立を果たすことをサポートする様々な社会サービスが提供されていますが、このアイスクリーム店も「ザ・タイムズ・スクエア」の居住者の仕事場になっています。
コモン・グラウンドでは住人の雇用を生み出し、さらには組織の運営資金を拡大するために、コモン・グラウンド・ベンチャーという営利事業部門も設けている。
有名アイスクリームショップの運営はその活動の一例だ。コモン・グラウンドは、社会貢献志向の強い大手アイスクリームチェーン、ベン&ジェリー*1から、4店舗をフランチャイズ料金なしで譲り受けて運営。同社からは無償の経営支援も受けている。タイムズ・スクエア・ホテルの45丁目に面した1階に94年、第1号店をオープン。第2号店は2000年、クリスマスツリーで有名なロックフェラーセンター内のコンコースに、次いで、42丁目のブライアンと公園内のキオスク、第4号店は2002年、ブロードウェイ104丁目にオープンした。
*渡邊奈々『チェンジメーカー』日経BP社 2005年
「ザ・タイムズ・スクエア」の中で、ここで実施されているプログラムが書かれたホワイトボードを見かけました。ディナー、コンピュータークラスなど、毎日様々なプログラムが行なわれていることがわかります。
「ザ・タイムズ・スクエア」の最上階には、ダイニングルーム、ギャラリー、テラスからなる「トップ・オブ・ザ・タイムズ(Top of the Times)」と呼ばれる場所があり、入居者のイベントに使われたり、一般の人々に貸し出されたりしています。
サポーティヴ住宅では、色々なサービスが提供され、豊かな公共スペースもあります。これに対して、確かにサポーティヴ住宅は魅力的だけれど、運営のために多額の費用・補助金が必要ではないのか? と思われるかもしれません。答えは否です。
「コモン・グラウンド」のウェブサイトには次のような金額が示されているように、サポーティヴ住宅の運営費用は非常に安いことがわかります。
- サポーティヴ住宅:$36/泊
- 市のシェルターのベッド:$54/泊
- 州の刑務所$74/泊
- 市の拘置所$164/泊
- 精神病院のベッド$467/泊
- 病院のベッド$1,185/泊
「コモン・グラウンド」の創設者・ロザンヌ・ハガティ氏は、ホームレスの問題は住宅の量の観点ではなく、利用可能な住宅に十分な種類がないという観点から議論すべきだと述べ、こうした考えのもとで、「コモン・グラウンド」ではThe Times Squareのようなサポーティヴ住宅だけではなく、いくつかのタイプの住宅の供給も試みらています。
その1つが「ファーストステップ・ハウジング(First Step Housing)」。「ファーストステップ・ハウジング」とは、「簡易宿泊所・どや(flophouse)」をモデルとした住宅です。「簡易宿泊所・どや」というとあまり良い意味では使われないこともありますが、ハガティ氏は「何も問われることなく、短期間滞在することができる、安くて、安全な場所」だと述べています。そして「ファーストステップ・ハウジング」においては日本のカプセルホテルも参考にされたとのこと。
だから、もっと支払い可能な家賃の部屋を増やし、最低限の収入を得られる道を付ける必要がある。それにはまず、『家』の概念を変え、より『一時的に住む場』としたい。失業者が定職を得るための取りあえずの定住地を提供したい。
*「家なき人々支え10年」・『朝日新聞』2004年07月07日号
「コモン・グラウンド」の実践を目の当たりにすると、「家」というものについて、いかに固定観念に縛られているかということに気づかされます。
□参考
- Curtis Sittenfeld, photographs by Ethan Hill: What Would It Take to End Homelessness?, Fast Company, 2003.01.01
*「地域社会圏」について
1つの住宅に1つの家族が住むシステムはもはや破綻しているのではないか? 建築家・山本理顕氏は次のように指摘しています。
もはや「1住宅=1家族」という単位は再生産のための装置になり得ていないというのが現実なのである。1世帯あたりふたり、もしそのふたりが高齢者だったら、「1住宅=1家族」の内側だけでその家族自身を維持管理するという家族の「自立性」も、もはやとても無理だと思う。「1住宅=1家族」の標準が閉鎖性、自立性にあるのだとしたら、その基本原則がすでに成り立たなくなっているわけである。さらに厄介なのは「閉鎖性自立性」がその内側から維持できなくなっているのに、住宅という箱だけは相変わらずきわめて閉鎖的につくられているという矛盾である。頻発する「1住宅=1家族」の内側の悲惨な事件は、そのシステム自体の悲鳴である。「1住宅=1家族」に変わる新しい居住システムについて考える必要があるように思うのである。
*山本理顕「地域社会圏」・『新建築』2008年11月号
山本氏は「「1住宅=1家族」が国家の最小単位であるとしたら、国家(パブリック)と「1住宅=1家族」の中間にあるはずの地域社会という視点がすっぽりと抜け落ちてしまうのである」とし、社会を構成する基礎単位として、「1住宅=1家族」に代わる「地域社会圏」という概念を提案しています。
「地域社会圏」においては、400人が基礎単位となる人口として仮定され、そこではエネルギー供給や地域内交通、ゴミ回収といった「インフラストラクチャーの構築」といった大きなシステムから、高齢者や障害者、子どものための小規模多機能施設、託児所・保育園、図書館、ネットカフェ、会議室、多目的室、菜園、コンビニ、商業施設といった「空間的(施設)支援」、保険制度、介護制度、育児制度、教育制度、健康保険制度、年金制度といった「経済的支援」、医師、看護士、保育士、介護士、福祉士、ヘルパー、ボランティアといった「人的支援」、「1住宅=1家族」を前提にしない「住戸プラン」、「セキュリティ」そして、「タウンアーキテクトを中心にした景観管理委員会による維持管理」までを幅広く提案すべきだ、と。
その空間モデルこそ、仮説が共有されるための最も重要な役割を担っているはずなのである。断るまでもないけれど、400人がひとつの地域に住むその住み方のシステムのデザインを求めている。みんなが仲よく暮らすコミュニティの計画を求めているわけではない。まして、それがゲイテッド・コミュニティのようになったら最悪である。徹底的に合理的にそして効率的に、そしてそこに住む人ができるだけ自由になるようなものが求められている。さらに、家族単位で住むことを排除するものではない。家族という単位もまたこの「地域社会圏」の内側にある。それが今までの「1住宅=1家族」システムとの決定的な違いである。
*山本理顕「地域社会圏」・『新建築』2008年11月号
コモン・グラウンドは「家」についての観念を変えていこうとするものだと言えます。山本理顕氏による「地域社会圏」の提案、あるいは、「シェア住居」「シェアハウス」「住み開き」といった動きなど、日本でも「家」についての概念の組み換えが徐々に進みつつある気がします。
(更新:2018年11月3日)